家康公認!江戸時代が約260年続くきっかけを作った陰の仕掛け人🌈
幕府を開いてから崩壊するまで約260年続いた『江戸時代』。
江戸時代が長く続いたのは、「徳川家康の影響が大きい」とされていますが、その裏には、ある人物の智恵や労力がありました。
彼は、江戸が発展するために、『あること』を仕組んでいたんです。
江戸の町は、1590年から、徳川家康によって整備が行われました。
当時、江戸城のまわりは湿地だらけで、城にも関わらず石垣などはなく、竹が茂り、非常に荒れ果てた状態でした。
しかし、家康は、この地に本拠を置き、開発を始めたんです。
① 江戸城のまわりに堀を巡らせる
② その土砂で湿地を埋め立てる
③ 東海道など五街道を整備し、江戸に人や物が流れるようにする
このとき、江戸の町づくりを進めるにあたって、ある人物が、家康に助言をしていました。
その人物が、天台僧(天台密教の僧侶)の『南光坊天海(なんこうぼうてんかい)』。
彼こそが、江戸の発展を企てた張本人。
天海は、108歳という長命で、3代将軍の家光にも仕えました。
栃木県宇都宮市にあった天台宗の寺院『下野国粉河寺』で天台宗を学んだ後、比叡山延暦寺をはじめ、各地の寺で学を深めていきます。
やがて、天台宗の中で関東の実力者となった天海は、家康の信頼を得て、江戸の町づくりに参加することになるんです。
関ケ原の戦いに勝利した家康は、1603年に幕府を開きます。
その際、関東の地相(土地の良し悪し)を天海に見てもらうことにしました。
天台僧だった天海は、天文・遁甲・方術など、陰陽道の知識も持ち合わせていたんです。
彼は、それらの知識を駆使し、西は伊豆から東は下総(現在の千葉県)まで、広大な土地の地相をくまなく調査。
その結果、江戸こそが幕府の本拠地とするのに相応しいと見定めたんです。
この判断の基準となったのは、『四神相応(しじんそうおう)』。
四神相応とは、風水術における大吉(好立地)の地相。
「東に『青龍の宿る川』が流れ、西に『白虎の宿る道』が走り、南に『朱雀の宿る水』、北に『玄武の宿る山』がある土地は栄える」
古来より、この条件を満たす土地に住むと長く繁栄ができると考えられてきました。
江戸は、「東に『平川』が流れ、西に『東海道』が走り、南に『江戸湾』、北に『富士山』がある土地」。
つまり、四神相応に当てはまる場所でした。
そのため、天海は、江戸は繫栄すると判断したんです。
安泰した江戸時代を陰で導き成功させた『天海』。
天海は、『黒衣の宰相(僧でありながら権力者の側近として影響力を持った人物)』でありながら、弟子にも自分のことについて語っておらず、非常に謎の多い人物。
「実は134歳まで生きていた」
「明智光秀の後身だった」
このような説が数多く残されています。
天海の謎がすべて解き明かされる日はいつになるのでしょうか😌
最後まで読んでいただきありがとうございました🌈