傍聴席のカケラ|第9話|隠し事
僕の前に現れた一人の男性。
彼は、神主から紹介してもらった『柳田ハジメ』という霊能者。見た目は、僕より少し若く見える。
黒い服にサングラスを掛け、帽子を目深に被ったまま、彼は、呼び出した喫茶店に姿を現した。
ハジメは、僕の顔を少し見たあと、何も言わずに席へ座った。
人見知りなのだろうか。
僕はどう声を掛けていいか分からず、彼に笑顔を振り撒いていた。
すると、メニュー表を手に取り、サングラスを胸ポケットにしまいながら、急に話し始めた。
「柳田ハジメです」
想像していたよりも声が軽い。
神主から紹介されたときは、千代と同じぐらい高い霊格者だと聞いていたが、何か違和感がある。
失礼は承知の上で、僕は、彼を霊視した。
すると、すぐに彼の謎の行動の真意が明らかになった。
「そういうことだったんですね。面白いなぁ」
僕が笑いながら言ったこの台詞を聞いて、目の前にいるハジメが、初めて顔を見せた。
「もう気づいちゃいました?」
「ええ。今、私の斜め後ろに座っている人物、その方が本当の柳田ハジメさんですね。あなたは誰ですか? お弟子さんか何か?」
すると、急に立ち上がり、斜め後ろに向かって頭を下げた。
「いやぁ、こんなに早くバレてしまうとは。……お前の演技が下手なんだよ!」
こう言って、弟子の頭を叩いて現れたのは、天然パーマで、いかにも陽気な雰囲気の男。
「早く、コーヒーを持ってこいよ! 俺がこっちに移動したんだから」
へこへこと頭を下げながら、弟子と思われる人物は、ハジメの飲みかけのコーヒーを慌てて取りにいく。
「すみません、こんな感じで」
「いいえ、何か安心しました」
柳田ハジメが、思っていたよりも気さくな人物で安心した。人柄の良さが滲み出ている。すぐに打ち解けられそうだった。
この時までは。
弟子は、急いでコーヒーを持ってくると、ハジメの隣りに座った。
帽子を返せと言いながら、こちらには笑顔を振り撒いている。
よく見ると、目の奥は笑っていない。悟られないように愛想の良い表情を浮かべながら、僕の腹の底を覗かれているように見えた。
そもそも、警察官の僕でも、彼の年齢すら見当がつかない。
それほど、卓越した熟練技を持ち合わせているのか、印象操作をされている気がしてならなかった。
この見た目とのギャップに、じわじわと気づいてくる。
ここで、神主の言っていた霊格の高さは、事実であったことが分かった。
「ほう、麻也さん、あなたは若い頃に色々と苦労されたようですね」
帽子を斜めに被ったまま、まるで探偵のように探りを入れてくるハジメ。顔の顎に手を当てながら、こっちを見つめてくる。
「まぁ、色々と……。確かにそうですね」
歳上であることは間違いない。
しかし、あまりに最初の登場からペースを乱されている。
これ以上、過去まで見透かされてしまうと、僕も心が持たない。
「柳田さんは、普段、何をされてらっしゃるのですか?」
「私は、こいつと歩き回って、ただ遊んでるだけですよ。何せ、暇な世の中なんで。麻也さんは大変な使命をお持ちのようで。羨ましい限りです」
「分かるのですね、私の使命が」
「もちろん」
「そのことについて、今日は、お話しさせていただきたくて」
「何でしょう? 私で良ければ、何なりと」
「実は、あなたと同じ霊格者である千代という女性と、その使命を果たすべく活動しているのですが、彼女が今、何者かに狙われていまして……。体が急激に弱っているのです」
ハジメは、千代の名前を聞くと、すぐに霊視を開始した。
「あの神主のところで寝てる彼女が、千代さんですね。まだ若い。世話焼きじいさんに助けられて、看病してもらっているというわけですね」
「本当に危なかったので、神主さんには、大変感謝しております」
「誰かに恨まれているようですね。心当たりは?」
「いえ、誰も。一週間前に水晶を買わされて、魔術のようなものが掛けられていた女性の依頼を受けまして、その魔術を彼女が祓ったところ、霊感に亀裂が生じていると言われたのです」
僕がこう話すと、ハジメは、ゆっくりと口にカップを持っていき、真剣な眼差しでこちらを見始めた。
先ほどまでとは打って変わって、彼の気がガラリと変わり、隣りにいる弟子が震え始めた。
「なに、怖がってるんだよ! すみませんね、こいつはその辺、ちょっと敏感なもんで。怖い話になるとすぐ震えちまうんですよ。あんま気にせんといてください」
そう言いながら、また弟子の頭を叩くハジメ。
「彼女の周りに集団で動く連中がチラチラ見えます。おそらく、こいつらの仕業かと。中々ねちっこい奴らなんで、まだ何か仕掛けてくるかもしれませんね」
「そうですか……」
すると、急にスマホが鳴り始めた。
神主からの着信だ。
「どうやら、千代さんが目を覚ましたようです」
「それは良かった。ただね、その……千代さんでしたっけ? どうも麻也さんとこれから何かある気がしてならんのですよ」
僕は少し驚いた。
「いやね、言いたくなければ良いんです。いずれ分かる時が来ますから。まぁ、ここからは私個人の意見になるので、もしあれでしたら聞き流してください。麻也さん、あなたは彼女から離れたほうが良い。私がこう伝える意味も、あなたならもう分かるでしょ」
僕の心を読み取りながら、ズバズバと切り込んでくるハジメ。
彼の言葉の意味は、当然分かっていた。
しかし、僕は、何も返さなかった。
「そうですか。所詮、私の戯言なんで気にしないでください。これから苦労される道を選ぶのですね。それも良いでしょう。ただし、その分、彼女に対する選択だけは、決して間違えないようにしてください。要は、あなたの考えではなく、彼女の想いを感じ取って動くのです。一歩間違えれば、すぐ後ろに、敵が迫っていますので……」
僕は、これから行う決断の重要性をハジメから改めて聞かされた。
僕の隠していること。
それは、警察官になりたての頃、ある事件を担当したことで知ってしまった、とんでもない事実。
それを瞬時に透視し、アドバイスをくれたハジメは、本物の霊格者だった。
感謝を述べたあと、それでも考えは変わらないと、ハジメには伝えた。
「思ったより回復が早くて驚きました。若さとあなたの霊格の高さが、そうさせたのでしょう。これから、色々と困難はあると思いますが、また何かあればいつでもいらしてください」
神主が優しく看病してくれたおかげで、私は、すっかり回復した。
「もう、本当に大丈夫ですので。一人で帰れます」
「いいえ、ダメです。また、何か起きたら大変ですから」
私は、麻也に見守られながら、家路を目指していた。
辺りを見渡しながら歩く麻也の気持ちに、私は感謝しつつも、やはりやり過ぎではないかと、心の中で思っていた。
「そういえば、スーパーに連絡するの忘れてました! 無断欠勤になっちゃってるかも……」
「私から連絡しておきましたよ」
「えっ!?」
「当然です」
「何て伝えたんですか? 知り合いとか? 驚いてませんでした?」
いくら聞いても、大丈夫としか言わない麻也。
私は、余計心配になった。
そんなこんなしているうちに、無事、帰路に着くことができた。
久々に見る、自分のアパート。
しかし、何か違和感がある。
「ポストが壊されてます」
「何か、危ない気がします」
麻也も、同じように違和感を感じていた。
そんな私たちの直感は見事、当たってしまう。
私のアパートの部屋だけ、玄関のドアに、刃物でズタズタに切り刻まれた跡があった。
恐る恐る玄関の扉を開けると、中は、物が散乱している。嫌がらせのレベルではない。一気に恐怖が襲いかかる。
私を狙って、何者かが侵入したのは間違いない。
ここまで酷い仕打ちをするあたり、私が祓った悪霊の持ち主、もしくは、それと何らかの関係がある者の仕業だろう。
とにかく、麻也は、すぐ仲間の警察官に連絡をしてくれた。
彼の使命とはいえ、私に危険が及ぶことは、もう避けられそうにない。
私は、そう肌で感じ始めていた。