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遅咲きの大器晩成型!カーネル・サンダースの躍進は定年後に始まった🌈

皆さんも一度は、口にしたことがあるのではないでしょうか?

『ケンタッキーフライドチキン(KFC)』

絶妙な組み合わせで味付けされたハーブとスパイスが香るチキンは、創業以来変わっておらず、今も世界中で愛され続けています。

ケンタッキーフライドチキンの創業者は、アメリカの実業家『カーネル・サンダース』。

彼の代名詞にもなった、カーネル・サンダース像は、世界中の店舗に置かれており、毎日、店舗に来るお客さんを笑顔で出迎えています。

カーネル・サンダースは、最初から成功した『栴檀双葉型』ではなく、中年期以降にようやく芽が出た『大器晩成型』。

彼の人生は、幼いときから波乱万丈でした。


カーネル・サンダースは、6歳のときに父親を亡くし、10歳のときから農場へ出稼ぎに。

14歳で学校をやめ、農場の手伝いや市電の車掌をしながら家計を支え、16歳のときに年齢を詐称して陸軍へ入隊。

キューバで勤務していた経歴があります。

もともと教師を目指していたサンダース。

しかし、正義感に溢れていたためか、性格は短気だったようで、仕事は続かず、青年期に40を超える数の職を転々としています。

そして、30代後半に自動修理店を開業。

このタイミングで彼が見出したのは『チキンレシピの開発』。

自動修理店でサンダースが提供していたチキンがお客さんに好評だったのを受け、1952年にチキン専門店「サンダース・コート」をオープンします。

このチキン専門店が、ケンタッキーフライドチキンの前身です。

サンダースが、ケンタッキー・フライドチキンを創業したのは、65歳を過ぎてから。

年金生活を捨てて、一世一代の賭けに出たんです。


サンダースは、自身のチキンレシピを使い、フランチャイズ事業を展開。

70歳にして、全米中を車1台で走り回ります。

「フライドチキンのレシピを教えるかわりに、売れたチキン1つにつき5セント受け取る」

そんな飛び込み営業はそう簡単に上手くはずもなく、

ただ、味に自信があったサンダースは、あきらめずに、なんと『1009回』も飛び込み営業を行ったそうです。

その飛び込み営業が功を奏し、73歳のときに600店舗を達成。

その後も規模を拡大していきます。

権利を売却し、『カーネルの称号』を得ると、81歳になってからも現役で活動を続け、KFCの広告塔として活躍していました。

親善大使として、世界中のKFCの店舗を巡っていた彼は、日本にも3回訪れています。

その際、

「日本のケンタッキーフライドチキンが一番気に入っている」

と述べ、日本びいきをしていたそうです。


そんなサンダースが編み出したチキンレシピ。

実に、11種類のスパイスを使い、彼が独自に開発したブレンドは、きれいな黄金色をしたパリパリの皮から、ジューシーでスパイシーな身肉まで、完璧に仕上げられるものでした。

未だにレシピの公表はされておらず、その価値は『5億円』とも言われています。

この独自の味付けが、老若男女問わず、世界中から支持を受けている理由となっているのは間違いありません。

カーネル・サンダースのように、いくつになっても挑戦する心を、私たちも持ち続けなければいけませんね😌

最後まで読んでいただきありがとうございました🌈

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早坂 渚
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