見出し画像

涼を求めて訪れる夏の風物詩!お化け屋敷は江戸時代の医師が起源だった🌈

今や、昔懐かし昭和レトロな雰囲気のものから最新技術を駆使したものまで、様々な種類がある夏の風物詩『お化け屋敷』。

お化け屋敷は、1830年(天保元年)、江戸に暮らす瓢仙(ひょうせん)という町医者が、自宅の庭に小屋を作り、その壁に『百鬼夜行(鬼や妖怪など)』の絵を描いたのが始まり。

「何やら面白いものを見ることができるそうな」

すぐに町中の話題になり、大勢の人が訪れるようになりました。

しかし、「悪趣味だ」との批判が相次ぎ、わずか3ヵ月でその小屋を閉めることになってしまいます。

その頃、庶民の間でも、歌舞伎や狂言が流行り始め、怪談の演目が『東海道四谷怪談』として演じられていました。

その後、お寺の境内にある見世物小屋に人形師が作った亡霊の人形などが並べられるなど、今の『お化け屋敷』の原型が出来始めます。


こうして人々が『恐怖』を楽しむようになった江戸時代。

この時代に、もう一つ、ブームになっていたのが、怪談集『百物語』です。

百物語の怪談会では、

「怪談が一話終わるごとに一つずつ灯りを消していき、最後の一つが消えて場が闇に包まれると、怪異が起こる」

という言い伝えがあり、何本も灯りを灯しながら行うのが特徴。

起源ははっきりしていませんが、室町時代の武士の肝試しが始まりではないかと言われています。

百物語の中でも、『嚆矢(こうし)』と呼ばれる怪談話は、幽霊を扱ったものが、全体の3分の1を占めており、

「他界した前妻の亡霊が、自分に悪い呪文を掛けていた後妻に仕返しするために首を取って殺してしまう」

このような『復讐』や『嫉妬』にまみれた幽霊談が多いんです。

その他、ヘビ・キツネ・タヌキ・ネコなど、動物の『妖(あやかし)』や得体の知れない『化け物』が登場するのも、この百物語の特徴です。


江戸時代には、絵巻・写本・絵本などに、リアルな妖怪たちの絵が墨で描かれていました。

絵巻に描かれたものは、子どもたちに強烈なインパクトを与えるものから、可愛いものまで、多くのバリエーションがあったそうです。


明治から大正時代に入ると、日本各地のお祭りや催し物の会場に、『お化け屋敷』が登場するようになります。

特に、夏は『納涼会』と題し、

「恐怖によって涼を求める」

というキャッチコピーのもと、一気に全国へ広がり、夏の風物詩として定着しました。


現在では、廃墟となった病院・学校・家屋などをテーマにしたものが多く、『リング』や『呪怨』といったホラー映画とのコラボも増えてきました。

江戸時代に開園した日本最古の遊園地『浅草花やしき』には、昨年7月に開園170周年を記念してオープンした新エリアに、江戸四大怪談をモチーフにしたお化け屋敷が設置されています。

「浅草花やしきのお化け屋敷は本物が出る」

涼しさを求めて、この夏、一度足を運んでみてはいかがでしょうか😌

最後まで読んでいただきありがとうございました🌈
 

いいなと思ったら応援しよう!

早坂 渚
もしよろしければサポートをお願いします😌🌈