傍聴席のカケラ|第10話|同棲
「引っ越しちゃうの? 千代ちゃん」
私は、パートを辞めることを伝えに、近所のスーパーに来ていた。
「うちのスーパーは、これから万引きGメンがいなくなるね。これまでは、千代ちゃんがうちの万引きGメンだったから。千代ちゃんの勘は、ほんと当たるからね」
「だから、私は、万引きGメンでは……」
「そういえば、この前、男の人の声で、千代はお休みしますって連絡きたけど、あれ、もしかして彼氏さん?」
相変わらず、人に喋る隙を与えない店長のマシンガントーク。
こう言われるだろうと予想し、返す言葉は事前に用意していたため、スムーズに話を流すことができた。
最後に一緒に働いていた従業員にお礼を言い、私は、スーパーをあとにした。
なぜか、動悸が止まらない。
緊張が抑えられない中、大量の荷物を抱え、アパートのエレベーターに乗った。
今日から、麻也との共同生活が始まる。
そう、ここは麻也が住むアパート。
スーパーを出たあと、そのまま私はアパートに向かっていた。
途中、誰かが乗ってきたらどうしよう。
こんな大量の荷物を抱えてどこへ行くのかと、不審者扱いされてもおかしくない。
今日から妻が来たと近所で噂になったらどうしよう。
そんな浮かれ気分には1ミリもならず、エレベーターが上がるのをひたすら待っていた。
そして、部屋の前に到着した。
初めて、この家のインターホンを押す。
すると、すぐに扉が開いた。麻也が、急いで私の手荷物を持ち、中へと入れてくれた。
彼が長年住んでいるはずのこの部屋。
普通なら男くさい匂いが漂うはずの玄関。男性の一人暮らしにしては、爽やか過ぎるほどフルーティーな香りが漂っている。
靴は麻也のものしか置かれてない。
でも、なんか怪しい。
この間、寝言で言っていた沙奈恵という女、やはり彼女なのだろうか。
「何をしてるんですか? 危険なものはありませんので、安心してください」
そうだ、私は今、家がない。
色々と疑いすぎて追い出されるようなことがあれば、住む場所がなくなる。
私はすぐ気持ちを入れ替えた。
掃除ぐらいしてあげても……とは思っていたが、麻也の部屋は、どこを見渡しても、女の私が嫉妬するほど綺麗だった。
それどころか、一人暮らしなのに部屋数が多い。
てっきりワンルームの部屋に住んでいると思っていた。
やはり、女を連れ込んでいるのか。怪しい。
私は、さらに麻也を疑い始めた。
「そんなに他の部屋が気になりますか? あとで、千代さんの部屋は案内しますので、とりあえずリビングに来てください」
明らかに、今、私は不審な動きをしている。
そんな私を、リビングで落ち着かせるつもりだろうか。
しかし、どうも落ち着かない。正座したまま背中を小さく丸め、バレないようにこっそり周りを見渡した。
「お茶、ここに……」
「わっ! あ、ありがとうございます」
麻也は少し笑いながら、お茶を出してくれた。
「まさか、家があんな風になるとは、思ってもみませんでしね。それで、これから、どうされるおつもりですか?」
「あっ、そうですね。どこか人目につかない奥まった場所に住もうかと……」
相変わらずリビングの様子が気になって仕方ない。
「私は、安全を最優先に考えて、セキュリティがしっかりしているこのアパートを選びました。警察官という職業柄、逮捕した人間から恨まれることも多々ありますので。逆に、人目がつく場所のほうが安全かもしれませんよ?」
「そうですね。セキュリティがしっかりしているほうが良いかもしれませんね」
時間が経っても、中々落ち着かない。
「あの……私に聞かないんですか? なぜ、一人暮らしなのに、こんなに広いのかって」
「い、いや、聞きたかったんですけど、何というか……」
「安心してください。この部屋に足を踏み入れたことがあるのは、千代さんと私の母だけです。昔、ここで、母と暮らしていたんです。その名残りでここから離れられなくて」
「お母さまとですか。それで、こんな広いところに住まわれていたんですね」
私は一気に心が落ち着いた。
初めて男性の一人暮らしの部屋に上がり、しかも泊まるなんて、私には免疫がなかったからだ。
いや、待てよ。
これも彼のテクニックかもしれない。
母と暮らしていたと言っておけば、大抵の女は疑うことなく受け入れてしまう。
ただでさえ、彼はマメな性格。一切の隙を作らない。
そう簡単に私を騙そうなんて……。
「千代さん、千代さん! 聞こえてますか? まだ体調戻ってないんじゃ……」
「あっ、いや、そういうわけではなくて」
急に自分が恥ずかしくなった。
「母が使っていた部屋で申し訳ないのですが、この部屋を使ってください。次のアパートが決まるまで自由にしていただいて構いませんので」
麻也に連れられ、私は、これから使う自分の部屋を見せてもらっていた。
床にベッドが片づけられた跡はあるが、都会の一等地にも関わらず、5畳ほどはある広い部屋に、クローゼットがついている。
「トイレはこちらです。お風呂も自由に使って構いませんから。とにかく自分の家だと思ってゆっくりしてください」
麻也は、私のために、この部屋を用意してくれていた。
「とりあえず、これで生活は問題ないと思います。それで、これからのことなのですが、ご依頼はどうされますか? 少しお休みしますか?」
麻也は、私を心配して聞いてくれた。
「確かに危険は伴うかもしれませんが、それも分かったうえで、今日から使命を果たすつもりで家も出ましたので。いつも通り、依頼は受けたいと思います」
「分かりました。千代さんがそう仰るのなら、私もサポートさせていただきます」
そう言うと、麻也は、カードキーをくれた。
「このアパートは、オートロックです。かざすだけで開きますので、持っていてください」
「分かりました。ありがとうございます」
「一応、私が仕事の日以外は、一人で出歩かないでください。千代さんが次の家を見つけるまでに、犯人を特定できれば良いのですが」
「そうですね。何か捜査に協力できることがあれば、何でも仰ってください」
最初は、警察の捜査には一切関与しないつもりでいた。しかし、今はそんなこと言ってられない。
むしろ、このまま犯人を放っておくほうが危険。
お互いに協力することで、使命をより早く果たすことができると、この時は思っていた。
「部屋にあった服を何着か持ってきましたので、霊視してみます」
私は、何者かに引きちぎられた灰色のワンピースを取り出し、霊視を開始した。
犯人は一体、どんな人物なのだろうか。
すると、ワンピースを引き裂いた人物の姿が見えてきた。
「子ども……?」
「子どもですか!?」
「はい、子どもの姿が見えます。もしかして、これは悪戯?」
「そんなはずは……。でも、千代さんがそう仰るなら、その可能性も考えられます。見えている映像は確かですので。他に情報はありませんか?」
「女の子の姿しか……。いや、待ってください。玄関のすぐ近くに、黒い服を着た男性の姿が見えます。もしかすると……」
私は、口元に手を当てながら考えた。
「監視役」
「……」
「その子どもは、何者かに操られていたんじゃないでしょうか?」
「確かに、そうかもしれません。その監視役の男性の手元に、大きな水晶が見えます」
「やはり、水晶術を使う者たちの仕業ですね。警察官として、奴らを必ず捕まえてみせます。とにかく、千代さんは、日曜日までゆっくり休んでいてください」
「ありがとうございます。また何か分かり次第、お伝えします」
私は、自分の部屋に戻った。
風呂に入ったあと、布団をひき、電気を消した。
当然すぐに眠れるわけがない。
使命に対する不安はもちろんだが、他人の家に泊まっているという事実だけで、動悸がおさまらない。
だが、今、自分の居場所はここしかない。
「使命とはいえ、服や物をほとんど壊されることになるなんて」
私は、枕元にマグカップを置くと、それをずっと眺めていた。
その間、麻也がリビングと部屋を行き来する足音が、絶えず、部屋中に響いていた。