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日本独自の山岳信仰!山伏たちが命懸けの修行を行った修験道とは?🌈
日本独自の宗教『修験道(しゅげんどう)』。
山を崇拝する『山岳信仰』に、日本の『仏教(密教)』や『道教』の要素を織り交ぜた宗教です。
この修験道の道者のうち、山で修行をする者たちを『山伏(やまぶし)』といいます。
修験道の開祖は、葛城山で山岳修行を行ったことで知られる『役小角(えんのおづぬ)』。当時の呪術者です。
役小角の伝承には、仏教や道教にまつわるルーツが多数存在します。
奈良時代、仏教は、朝廷の管理下に置かれ、都では『南都六宗(なんとろくしゅう)』と呼ばれる宗派が主流でした。
平安時代になると、政争に敗れ、亡くなった者たちからの祟り(たたり)を恐れ、その恨みを鎮める『御霊会』が流行します。
特に恐れられていたのが、北野天満宮に祀られている『菅原道真』。
御霊会で、巫女が道真に会い、相次ぐ天変地異や疫病の原因を聞いたところ、自身の怨念であると証言したそうなんです。
これが、『神降ろし』と呼ばれるもの。
神降ろしは、巫女の役目。
巫女から直接言霊をもらい、対話をしながら、その言葉を噛み砕いて伝えるのが、山伏の役目でした。
つまり、神降ろしは、二人三脚で行うものだったんです。
『霊』や『鬼』、『天狗』や『神さま』、時には『悪霊』が、山伏との対話を経て、人との繋がりを深めていたとされています。
古来から、日本の信仰は、
「『敵味方』や『善悪』をつけず、たとえ、目には見えない者でも言い分を聞き、それらを認める」
人に危害を与える可能性があるとはいえ、悪霊も、神が生み出した存在。
「話せば分かる」
これが当時の考え方でした。
現在、霊山と呼ばれている山は、かつて山伏が修行に励んだ山。
つまり、霊山は、人地を超えた存在を臨む者だけが足を踏み入れることが許される場所なんです。
彼らは、過酷な環境に身を置きながら、一日中走り続けるなど、感情や肉体を解き放ち、命懸けで修行に励んでいました。
山伏の修行は、時代とともに減少しましたが、今も、私たちと繋がりがあります。
スポーツの練習も、この修行に近いものがあるからです。
勝敗を分けるスポーツは、大会のために日々練習に励むことが求められますが、これは、感情や肉体に左右されない『鍛練』とも言えます。
神さまは、結果ではなく、その過程に意味をもたらす存在。
多くの場合、
「結果にこだわることで早く達成できた」
「頂きに辿り着けた=大成できた」
こう思われがちですが、これらは、神さまにとって『きっかけ』に過ぎません。
時代に沿った形で、私たちに鍛練を積ませるのが、神さまの役目。
山を通して、人・神・異界・霊界を支えてきた山伏たちは、その役目を知っていて、自己鍛錬を積んでいたのかもしれませんね😌
最後まで読んでいただきありがとうございました🌈
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