はじまりの一冊
9月のある日の夕方、西日暮里ブックアパートメントで、ぼくは一日店長をしていた。その日、知り合いが店に来てくれた。その人とはスタンドエフエムという音声配信プラットホームで知り合った。耳ごこちのよいおしゃべりで、読書感想なんかを配信されている素敵な大人の女性だ。たまにコラボ配信で声の共演をすることはあるが、実際に彼女に会うのはこれが初めてだった。彼女はこれまでも何度か店に足を運んでくれていて、すでにお気に入りの棚もあるようだった。この日もお目当ての棚を見たあとで、本を何冊か手に持ってカウンターの前に立つと、ぼくにそっと声をかけてくれた。
彼女が手にしていた数冊の本のなかにサマセット・モームの「月と六ペンス」があった。あとで調べてみたら、ゴーギャンがモデルになっている物語だということが分かった。ぼくも昔、一度は読んだことがあるはずなのに、内容は完全に忘れてしまっていた。でも、はじめてその本を手にした時のことは、今でも鮮明に覚えている。
読書が楽しくなりはじめた10代の頃、ぼくは地元北九州の井筒屋ブックセンターという書店によく通った。井筒屋ブックセンターは、ジャンルごとに4フロアに分かれていて、黒崎という小さな街のなかでは比較的大きな書店だった。ガラス張りの壁に沿うようにして階段があり、ぼくはよくその階段に座って道行く人をガラス越しに見下ろし、見知らぬ誰かの人生を勝手に妄想しては時間をつぶしていた。
その当時ぼくは、一生をかけて世の中の全ての本を読んでやるつもりでいた。死ぬまでのタイムリミットは、ほとんど永遠のようにはるか彼方に感じていたし、ぼくにとっての世の中の全ての本というのは、このビルにおさまる程度の、限りのあるものだと思っていた。ところが、現実はまったくの逆だった。人生には限りがあり、本は永遠に増え続ける。
いずれにしても、井筒屋ブックセンターにある全ての本を読破すると決心したぼくは、エアコンがあまり効いてない一階の文庫本の棚の前に立っていた。記念すべき最初の一冊にふさわしい本をどれにするか暑さを忘れるほど真剣に考えていた。古いものから順に歴史をたどるみたいにして読み進めていけば、そのうち現代の新しい本にたどり着くはずだ。できるだけ古そうな名作っぽいものから読んでやることにしよう。そう考えた。ツルゲーネフ「初恋」、ヘミングウェイ「老人と海」、シェイクスピア「ハムレット」、夏目漱石「こころ」、太宰治「人間失格」次から次に手にとっては棚に戻した。こういう本ではない。最初の一冊はなにかもっと素敵な感じがするやつじゃないとダメだ。本そのものに惹きつけるものがあって、一生の宝物みたいになるような本。
新潮文庫の棚にそれはあった。
小さな花柄のワンピースを着た大人の女性がその棚から取り出した本が見えた。何色と呼べばよいか分からないツートンカラーの背表紙に目が止まった。モームと書いてある。不思議な響き。表紙のデザインも良かった。英語で何か書いてあるし、謎のマークがあってカッコいい。これしかない、モームにしよう。「月と六ペンス」「女ごころ」「お菓子と麦酒」、この三冊でしばらく迷って、結局「月と六ペンス」と「お菓子と麦酒」の二冊を買った。井筒屋ブックセンターの階段に座って、ぼくは「月と六ペンス」のページをめくった。大きなガラス窓からふりそそぐ夏の日差しが紙に反射してまぶしかった。