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『谷川俊太郎の33の質問』に答える(1)

ぼくの大好きな本に『理想的な朝の様子ー続 谷川俊太郎の33の質問』というのがあります。今日はこの33の質問に自分なりに答えてみようと思います。谷川さんが本当に聴いてくれているかのようにイメージしながら答えたいと思います。数が多いので3回に分けて投稿しますね。


金、銀、鉄、アルミニウムのうち、もっとも好きなのはどれですか?

アルミニウムが好きです。
英語だとアルミナムと発音されるようですね。金、銀、鉄には金属の種類ということ以外にも、優劣や価値を伴ういろんな意味を詮索してしまいますが、アルミニウムにはそんな思惑はこれっぽっちも感じられない。気づいたらすぐそばにいてくれる。そんなやつ。金さん銀さんといえば縁側に座ってニコニコしてそうだけど、将棋の駒なんてオレ様感が強すぎるし、鉄だって熱々の溶鉱炉から出てきた誇りみたいなものを感じるし、鉄人28号とかアイアンマンなんていう戦闘能力重視のやつもいる。やっぱり彼らには気を使ってしまいます。そこいくと、アルミくんは、愚痴でも何でも聴いてくれそうで、安心してつきあえる気がします。

自信をもって扱える道具をひとつあげて下さい。

カッターです。
写植時代の版下作業を体が覚えているんです。三角定規2つとカッターを使って印字された印画紙を平行に切り出しては台紙に貼っていく版下作業。懐かしいなぁ。紙をタテに薄くスライスするなんて神業もお手の物でした。老眼になってしまった今は難しいかも…

女の顔と乳房のどちらにより強くエロチシズムを感じますか?(女の方であれば、男の顔と身体。)

顔と答えたい。なぜなら、そっちの方が知的なことが言えそうな気がするから。でも、正直に言うと乳房です。顔にはエロチシズムの他にいろんなものを感じてしまうけど、乳房にはエロチシズム以外なにも感じないもの。にんげんだもの。しかたないじゃん。

アイウエオといろはの、どちらが好きですか?

アイウエオですね。アルミニウムと似た理由で、いろは先生はいろいろお作法に厳しそうでしょ。それに引き換え、アイウエオは古いお作法なんてどこ吹く風、書き順だって気にしない。ニュースタイルっぽく「アカサタナ」と言ってみてもいいかも。

いま一番自分に問うてみたい問は、どんな問いですか?

仕事中にこの原稿を書いているようですが大丈夫ですか?

酔いざめの水以上に美味な酒を飲んだことがありますか?

これは、酔いざめの水が美味であることが前提の質問ですね。「酔いざめの水下戸知らず」ということわざがあるようで、下戸ではないが、ぼくも酔い覚めの水を知らないかもしれない。ただ、美味しさの話でいうと、小学生の頃に入団していたソフトボールチームの有志十数人で、夜どおし歩き続けるということをやったことがあって、それは、ぼくの親父が主催していたので息子のぼくも率先して参加することになっていたイベントだったわけだけど、それで、夜中に60キロほど歩きつづけて、夜が明けた頃に食べたうどんのだし汁は、体中の毛細血管がのたうち回るほどおいしかった。

前世があるとしたら、自分は何だったと思いますか?

カピバラ。来世もカピバラがいい。ちょっとだけみんなより頭のいいカピバラがいい。

草原、砂漠、岬、広場、洞窟、川岸、海辺、森、氷河、沼、村はずれ、島、何処が一番落ち着きそうですか?

洞窟の一択ですね。身の回りの大事なものを全部持って引きこもりたい。たまに遊びに来てくれれば、美味しいコーヒーとクッキーくらいは出しますよ。お礼に詩を朗読してください。

白という言葉からの連想をいくつか話して下さいませんか?

カタカナだったら犬の名前を連想するんですが、漢字の「白」となると色を想像します。白うさぎとか白波とか白旗とか。「はく」と読めば、潔白、告白、余白。「びゃく」と読めば、白夜、白虎隊なんかが思いつきます。いずれにしても、濁りがなく汚れていないものを表しているようですね。ただ「告白」の白はどういう意味なのでしょうか。独白とか自白なんて言葉もあるから、話すという意味がありそうですね。そこに「白」という字をあてているわけだから、つつみかくさず全てをつまびらかにするということなのかもしれません。そうなると恋愛における「告白」とは、隠しておけないほどのあふれる気持ちを告げるということなんでしょうね。

好きな匂いを一つ二つあげて下さい。

刷りたてほやほやの本の匂いが好きです。
もうひとつは、とくに寒い冬の季節で、こちらはずっと家の中でぬくぬく過ごしているところに、外出から帰ってきた人が連れてくる外のひんやりと乾いた匂いが好き。あれ、ほんの一瞬なんですよね。

もしできたら「やさしさ」を定義してみて下さい。

ユーミンは「やさしさに包まれたなら」の歌詞のなかで、カーテンを開いて/静かな木漏れ日の/やさしさに包まれたなら、と歌っています。木漏れ日のやさしさと言ってるように、「やさしさ」とは人の力がおよばない、自然界にあるような、どこまでも無邪気な存在がそっと差し出してくれるもの。そういうものなんじゃないかと思います。例えばぼくは、散歩中の柴犬の黒い瞳と目があったときにやさしさに包まれます。人間にもごくたまにやさしさをまとっている人がいます。今朝のことですが、道端のお地蔵さんに手をあわせている女性がいたんですが、その人がほんの少しだけ微笑んでいていたんです。あの横顔はやさしさそのものだったと思います。

次回につづく。

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