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人間の生き方 美輪 明宏
美輪 明宏(みわ あきひろ、1935年〈昭和10年〉5月15日[1] - )は、日本の歌手。俳優・演出家・タレント・声優・コメンテーター・ナレーターとしても活動している。
長崎県長崎市出身。本名及び1971年までの芸名は、丸山 明宏(まるやま あきひろ)、幼名は臣吾(しんご)。愛称はマルさん。
海星中学を経て、国立音楽大学附属高校中退する。兄と姉と弟のいる五人兄弟の次男である。自らの個人事務所である「株式会社オフィスミワ」に所属している。
エンリコ・カルーソーや、ベニャミーノ・ジーリの様な、オペラ歌手や、コンサート歌手を夢に見て、1951年の春に、15歳の美輪は、国立音楽高等学校(現・国立音楽大学附属高等学校)に進学するために上京する。
ある時、帰省した際に、父が生活が苦しくなった親戚に対して、無情に見捨てるような態度をとったことに激怒して、大喧嘩した。
父から絶縁を言い渡されて、仕送りも当然ながら止められた。美輪は東京で自活するために高等学校を中退する。
生活費を稼ぐために、アメリカ進駐軍のキャンプ廻りをして、歌を披露した。2015年時点で「芸歴64年、1951年(昭和26年)に進駐軍のキャンプ廻りでジャズを歌いギャラを頂いたことがプロとしての始まり」と本人が語っている。
新宿駅で寝泊りしていた時期もある。
美輪 明宏(みわ あきひろ、1935年―)は、日本の歌手。俳優・演出家・タレント・声優・コメンテーター・ナレーターとしても活動している。長崎県長崎市出身。
人間の生き方について彼は語っている。
「苦しみを経験するから幸せの有り難みが分かる。苦しむことは幸せになるためのプロセス」
さらに彼はこういう。
「恋とは自分本位なもの、愛とは相手本位なもの」