手のひらの歌
手のひらの歌・38
「写真機や望遠鏡などで、目的とする物が鮮明に映るように、レンズの位置を定めることを照準という。だが、目的は必ずしも完遂させるためにおくのではなく、自分の進むべき道を定める照準点としてあればいい。人は生きるために、挑戦という心の弓矢を絶えず放つ。的を自分なりの大きさに絞ると、見えやすく確率が高い」
「目的」
目的とは、成し遂げようとすることがらである。また、行為の目指すところである。プラトンは、イデア論を唱えた。これは、観念や物質が、合目的的に形成されるという考えを基礎にしていた。
アリストテレスは『自然学』において、ものごとの原因について解説して、質料・形相・作用・目的の四種を挙げた(四原因説)。
アリストテレスの『自然学』においては、《目的》は四つの原因のひとつである。
『自然学』第二巻第三章では、次のように記述されている。
「物事の終り、すなわち物事が、それのためにでもあるそれ(目的)をも原因と言う。たとえば、散歩のそれは健康である、というのは、「人はなにゆえに[なんのために]散歩するのか」との問いに、われわれは「健康のために」と答えるであろうが、この場合にわれわれは、こう答えることによって、その人の散歩する原因をあげているものと考えているのだから。
なおまたこれと同様のことは、他の或る(終わりへの)運動において、その終わり(目的)に達するまでのあらゆる中間の物事についても、たとえば痩せさせることや洗滌することや薬剤や医療器具など健康に達するまでの中間の物事についても、言える。
というのは、これらはすべてその終わり(すなわち健康)のためにある物事だから。ただし、これらのうちでも、その或る物事(前の二つ)は行為であるが、他の或る物事(後の二つ)は、そのための道具である(そして道具はさらに行為のための手段である)という差別がある」
アリストテレスは、質料が形相を実現していくなかで高まっていく過程をもって、万物が一定の目的の実現のために存在する、という説をたてた。
たとえば、ポリス的生物にある目的は、「ポリス内でのみ可能な、良き生の実現」とされた。
アリストテレスの場合は、目的は個人の自己決定によるものではない。神的なものに与ることが、自由意志を超えた必然の目的とされた。
「確率」
確率とは、偶然起こる現象に対する頻度であって、起こりやすさの指標のことである。確率を定義する方法は、主に確率の古典的な定義、確率の公理、頻度主義統計学の3つがある。
確率は、「場合の数」と呼ばれる概念と、非常に深い関わりを持っていて、両者は切っても切れない関係にある。
確率は現在では数学の一概念であり、確率論として組み合わせて、数学や解析学と深くかかわりのある数学の一分野と認識されている。
元々は、賭博における賞金の、配当率を求める過程で考案されていった。確率を求める問題では、起こりうる結果が同様に確からしい場合と、起こりうる結果が無数にあり、解析学を利用して考察する問題や、ベイズ確率のように、統計学的な観点で確率を考察する問題に大別される。
だが確率は、どのような現象でも定義できるというわけではない。実際に、確率をもたない集合(非可測集合)や、解釈により確率の計算結果が異なる問題(ベルトランの逆説など)などの存在が知られている。
理論や結果に基づいたこれらの「客観確率」に対して、個人または特定の集団にしか真偽を判断できない「主観確率」が提唱されている。
客観確率の導入は、確率分布を通して、サービスの信頼度などといった、推定や検定に応用されている。