街の銭湯に行く
温泉や銭湯に行くのが好きなわたし。
久しぶりに街の銭湯に足を運んだ。
それは私の住んでいる街から20分くらいの古びた住宅街の一角にある昔ながらの銭湯。銭湯の前は、古い長屋が連なっている。今のスーパー銭湯とは趣が違う、番台があって、男湯と女湯とそんなに大きくないけれど、使い勝手の良い銭湯。スーパー銭湯ではありえないような、熱い熱いお湯が魅力的だ。最近のスーパー銭湯は、その膨大な広さの風呂すべてにお湯を満たし、原油高で高騰している燃料代を負担しないといけないせいなのか、ぬるいぬるいぬるい。近くのスーパー銭湯はぬるすぎて、全く魅力を感じない。
この小さな昔ながらの銭湯は高騰する燃料代で経営は厳しいはずなのだが、しっかりと熱湯風呂にしてくれている。風呂桶があって、プッシュ式の赤と黒のカラン(蛇口)、すべてがノスタルジーでもあるけれど、キチンと現代にこのような憩いの場所がある。
この小さな銭湯は、本当に変わっていないのが、利用している方々の面々である。昔から銭湯には刺青の方が多く利用されていた。最近の風潮では、スーパー銭湯や温泉では刺青の方はお断りというような看板までつけているところがある。この昔ながらの銭湯は、刺青の方も気軽に利用できる数少ない銭湯なのであろう。そのようなところも含めて、本当に素晴らしい銭湯である。
私の義理の兄が、若い頃にファッション的な刺青を入れて、それを今でも気にして、スーパー銭湯などに行きたがらない。今度、彼を連れてこの銭湯に行きたいと思っている。彼のファッション的な刺青など全く気にならないくらい、立派な和彫りの龍が見られるような古風な銭湯だからだ。
世は多様性と言っているが、刺青の印象は決して良くない。和彫りの刺青=ヤクザという図式は、一般人にある方程式といっても間違いない。たしかにあながち間違ってはいないが、さまざまな理由でアウトローになり、その決意として入れている方もいれば、実に多様な理由で刺青をされているのだろう。ファッション的な刺青は、実に多くの方がしていると思われるが、和彫りの刺青には日本の伝統的なアウトローの矜持が感じられる。
今でも思い出す。今は亡き叔父さんと祖母で、小さい私を連れて街の銭湯に歩いて行く。私は銭湯の中で、和彫りの男性を指差して、「なんであの人は背中に絵が描いてあるの?」と言って、叔父をヒヤヒヤさせたらしい。風呂上がりは決まって、コーヒー牛乳かアイス。風呂上がりの冷たくて甘い魅惑は、銭湯の熱い熱いお湯で熱を帯びた体にスーと気持ち良い清涼が浸透していき、最高の気分に誘ってくれる。叔父と祖母と手を繋いで、夜風が熱った体に気持ちよく通り過ぎていった帰り路の多幸感が忘れられない。
今回も銭湯で、同じように風呂上がりに昔ながらのアイスの冷凍庫の中から好きなものを選んで食べていたら、一連の叔父たちとの思い出がフラッシュバックして、涙が出そうになった。ああ、こんな銭湯を絶やしちゃいけねぇ。また来よう。
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