生きていく為に正解や不正解って必要なの❓
皆さん、こんにちは!
Haya Natural のリカード なほみです。
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新型コロナ発生から1年が経ちました。
世界中で子供から大人まで、自殺の数が急増しているそうですね。
なんと、日本では子供の自殺率が20%を占めているそうです。
自然の中で生活している、フランスの子供ですらも、マスクを一日中着けて生活し、
嘔吐、呼吸器の問題、鬱、と身体的に症状が出て学校にいけなくなった子が急増していると話を聞きました。
自殺って、今すぐ決断出来ることではないし、実行に移すにはかなりの時間苦しんで、考えて、たくさん悩んで、生きるよりもこの世を去る方が楽だと思った人が実行に移した事ではないかな?と思います。
これは誰もが出来る事ではないですよね。
私も昔こう見えて、自分じゃどうする事も出来ない問題にかなり苦しみ、長ーいトンネルの中の様な時期がありました。
ただ自殺まで追い込まれた人は、私とは訳が違います。
そこまで窮地に追い込まれるって、どれだけ考えても分からない心境なんだと思います。
この世は生きにくい?
正直これは事実だと思います。
だって、この世に完璧はないから。
〇〇が食べたい!と思っただけで、その食べ物が目の前に出て来るわけでもない。
だから働く事が絶対になる。
その中でも人間関係だって、意見が合わない人だっている。
傷つけられる事だってあれば、傷つけてしまう事もある。
良かれと思ってやっている事が、全員にとって良い事ではない。
我が子が365日可愛くて愛おしい存在かというとそうではない。
正直これが仕事だったら何億円もらってもやめたいと思う時すらある(笑)
並べれば並べる程この世は生きにくい。
これだけでも受け止めておくのは大切なんじゃないかなと思います。
何でも完璧を追いかけて、真面目にやって、疲れて、それでも頑張って、家族のため!
生活のため、そうそれはきっと自分の幸せのためなのよ!
なんて言い聞かせている人が大半なんじゃないでしょうか?
私も今でも気付いたらそうなってしまう時があるし、昔はまるっきりそうでした。
でもある日、この世を渡っていくのに正解や不正解がある様に感じていたけど、これっていつ誰が作ったルールなの?と思い始めた事がありました。
それはオーストラリアにいた頃、学費を稼ぐ為に一生懸命働いていた場所で、文化の違いからたった一言の意見でとんでもない想いをする事になったのがきっかけです。
バイト先でオーナーが変わってから文化の違いについていけず、たくさんの人たちが辞めていきました。
そんな中私はちょうどワーキングホリデーから学生ビザに変わった事がきっかけで、どんな理由があってもそこを離れるのは良い選択ではありませんでした。
今まで感じた事のない違和感に、私はどんどん人格が変わる程イライラしていました。
あの時の自分を思い出すと、まるで自分ではない様です。
人は環境で良くも悪くも変わってしまう生き物だということを、心から感じた瞬間でした。
国や人、環境が作り上げたルール。
それって本当に必要なんでしょうか?
毎日どこかで誰かが苦しんでいる。
考えただけで胸が張り裂けそうです。
幸せな人生を歩む事が、私たち人間に平等に与えられた恩恵です。
誰かの目を気にしながら、正解や不正解の2択でしか歩めない人生なんて与えられてはいません。
私はイスラム教徒です。
イスラムの教えでは、神さまは私たち人間の為に地球を創り、衣食住があれば充分な幸せを得ていると伝えられています。
この世には"成功者"なんて言葉がありますが、成功者ってなんでしょう?
お金をたくさん持って、何でも欲しいものが買える人?
地位や名誉がある人?
この世には容姿や性格までよく、おまけに上記に値していて一見幸せそうに見えますが、自殺したり犯罪に手を染めて、全てを失った人がたくさんいます。
これって本当に成功者なんでしょうか?
この世に正解はないし、日本では正解と言われている常識が、一歩外に出たら海外では全く通用しない事はたくさんあります。
他人の正解は自分の正解ではない。
自分にとって心地の良いものなら、それはその時は正解で、また心地よくなったらそこから少し離れて、違うものを見てみるのも良いんじゃないのかな?
この世に正解なんて存在しない。
人目を気にして生きていくなんて、自分に嘘をついて、自分の首を自ら絞めている様なものなんじゃないかな?
そう思ったのでした。