そうしてまた巡る(3/4)「美より優先するもの」
クローゼットで大人しくしていたプリーツスカートは、飼い猫にとって初見だったらしい。猫の基本習性は「自分のにおいで空間を満たしておくこと」だからよそ者のにおいに敏感で、警戒したり、自分のにおいを擦り付けて安心できる空間を取り戻そうと試みる。だから例えば「ママがなんか違うにおいの着てる」時、猫は全力で自分のにおいをつける。そのこと自体、そうしてイレギュラーを受け入れようとしているようにも見える。見えるのだけれど、
時は今まさに換毛期。朝晩のブラッシング何のその。常に抜け毛をくっつけて歩き回るような生き物がスカートにスリーで地獄絵図。思い出す。
愛猫おかゆが我が家に彗星の如く現れたのは4年前の9月。秋口で、慣れてなついて一緒にいるようになる頃、ニットを着るような季節になっていた。そうして知ったのだ。この子がいる限りおしゃれはできない、と。
着るもの着るもの毛にまみれ、爪でほつれ、見るも無惨な姿になっていく。例えとしてあげるのが正しいか分からないが、涎を垂れ流し続ける子供相手にTシャツ、ジーパンの母親の服装は正しい。そう思った時から服を離れていた。
効率、機能。最初の内は玄関に全てを集めてオンオフを切り替えていた。けれどいつからか面倒になり、おかゆがやって来ても気にしないものだけを身につけるようになっていた。すると脳は適応する。自分が優先するものに対して照準を合わせるようになる。
フリル、レース、繊細な生地を排して、スポーティーで丈夫な、機能性に特化したもの。どちらが良いという訳ではない。今の自分の生活スタイルに合うもの、馴染むものの中から、自分の感性を刺激するものを選ぶ。この中から選ぶ、その枠の大きさが変わっただけのこと。その枠の外にはみ出たものが、それまで好んで身につけていたものだっただけ。
にゃあ。
ソファに座ると同時に膝に着地する。毎回思うけど私が中腰で一旦停止したらどうするつもりなんだろこの子。起こるのは私の太腿に爪がぶっ刺さる事故な訳だけれど(こわ)
立ち上がるとついて来る。どこへでもついてくる。そんで足の周りをくるくるくるくる。
にゃあ。
あっち行ってて、と言うとちゃんと行く。「あっち」から、いつになったら構ってもらえるのかじっと見てる。目が合うとゆっくりまばたきをする。質量私の10分の1に過ぎないこの小さな生き物にとって、突如現れた10倍の生き物が占める割合はどのくらいなのだろう。
食べて寝て食べて寝て、たまに相手をすると狂ったように駆け回る。当たり前に明日があることを信じ、当たり前に幸せな眠りにつく。違うか。猫にとって過去も未来もない。いつだって「今」、その中で記憶している。
このひとはいちばんたいせつなひと。
ひたむきに見上げる。真っ直ぐに、自分のしたいようにする。
ママは明日もいると信じて。ねえおかゆ。
それがどれだけ残酷なことか分かる?
いや、分からなくていいんだけどさ、生涯知る必要もないんだけどさ。
そのひたむきな姿を見るたびに、今が永遠でないことを自分に言い聞かせる。その度に自分は強くないのだと思い知る。
あなたより年下の隣の家の末っ子が成人する時、私はその着物姿を見て「おめでとう」と言うだろう。友人の出産報告に返信をする時足元にいてくれたあなたは、その時いないだろうけど。
スカートに残ったものだけじゃない。何を見ても思い出すだろう。そうして少しだけまた弱くなる。
お願いだからそこにいてね。いいの、スカートもニットも。
あなたがいたって証拠になるから。証人は多くないけど、その分いっぱい思い出すから。それまで、
優先順位、あなたが一番。
ねえ、おかゆ。