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あのぶどうはすっぱいに決まってるから、3【feat.中上級2、5】
あの日から何度も思い出すのは、初っ端から7、5割削られて生命の危機を感じた鬼とのラリーではなく、2割のななコとのボレストだった。
今はまだいいよ。繁忙期で仕事上での研修ストップしてるから。でも4月になれば再開する。近頃帰りが遅いから猫は以前にも増してひゃーひゃー言ってる。なのにここに2割のボレストが入ったら。
これ外面2割なだけで、その実全然2割じゃない。練習量が増えれば自ずと他の時間が削られる訳で、猫はいつ相手をしてくれるのかと足元を離れないし、仕事が入れば本来それどころではなくなるはずだ。
先の展望が一切見えない。
先日テニスから帰宅した私と入れ替わりに「そばが食べたい」と言って旦那が外出した。声をかけられたが、冷えた身体で一緒に行く気にはなれなかった。何も考えていなかったが、本来週末の、最もリラックスできる時間。私はいつだってテニスのことしか考えていなかった。
中級だろうと中上級だろうとどうでもいい。私はただ、ななコと打ちたかった。
でも単体のショットだけでも満たない。あるいは中級にさえ至っていない。至ってもいないにも関わらず、打ちたいと思ってしまった。ななコはいつだって楽しそうに見えた。珍しい球種を歓迎しているように思えた。こんな私でも、この競技の役に立てる、人を楽しませることができると夢見てしまった。
ななコと打ちたいは私のエゴだ。
そのためにあるはずのメニューを削ったり、ゲームで支障が出たりするのは違う。私は。
「ありがとうございました」
時間になって練習を区切ると、玉ちゃんが言った。
シングルスコートでサーブからの勝負。前後左右の打ち分け。
玉ちゃんはやっぱりやさしい。トップスピンとスライス。圧倒的にスライスの割合が多い。
サービスライン上で構わない。トップスピンをセンターに打ち続ければ勝手に潰れる私でも、何も削られることなくコートを後にする。
こんな私でも、この競技の役に立てる、人を楽しませることが。
泣くのは思考停止だから。悔しくても、苦しくても、ミスから目を背けず、かき集めて何故そうなってしまったのか見直してきた。次どうすればいいのか考えてきた。
不意に、涙が出た。
「次」がないと思った時、どうすればいいか考えたところで仕方なくなってしまった時、押し込めていた感情がどっと溢れ出た。
〈じゃあここ速水さん半休取りなよ〉
ポッと入った休みは3月に2度。いずれも中上級翌日。
いらない、と思った。そんな中途半端な休み、テニス以外使い道が分からない。
高いところにあるぶどう。あれはきっとすっぱくて。
欲しくなんかない。探せばきっと他にいくらでもある。わざわざ視野に入れなきゃいいだけだ。
それでも月は探さずにいられなくて、うっかり顔を上げて視界に映り込む。
完膚なきまでに叩きのめされて、しょんぼりとぼとぼ歩いて帰る私に、ななコは「お疲れ!」と、肩をど突くような勢いで挨拶して追い越して行った。うるさい。
一瞬走っているのかと思った。歩くのまで速い。でかいから。
覗き込んだそれは、まさか泣いてないかしれっと確認したようで、それがまたムカついた。ベースはちゃんと「嫌い」なのだ。
あとはもう時間に頼るしかない。
目を瞑って、耳を塞いで、
じっとしていれば、日々新しい情報に接していれば、きっと忘れられる。ただの私に。テニスがなくても普通に生活していた頃の、精神的に安定していた頃の自分に、きっと戻れる。旦那はにっこり笑った。
「この日、帰ってきた時家にいたら信じてやるよ。ペテン師」