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正当化を覚えた害【テニス】


 何が害かって、それはコーチの存在理由を否定しかねないから以外にない。
 サークルではなくスクール。学び、向上し、結果を残すための施設としたとき、授業そっちのけでサッカーしてる連中いたら迷惑なのだ。だからか。
 だから会員というシステムがある。漠然と好きなことをやりたい人たちがコート借りてやるもんだと思ってたけど、目的を勝利としない遊び場としての場所提供という見方もできる。始めから窮屈ではなく、のびのび打っている間に知らずベースが出来上がって、いいイメージがついて、少しだけ退屈になって来たから「ちょっと試合やりませんか」って別の人に声をかけるみたいな。理想は「勝つためのテニス」ではなく「結果勝ってたテニス」。ただ打っていてもどうせ退屈する時が来る。そこで初めて緊張感、勝敗というカンフル剤を求めるのだ。それは公式の試合を想定する人しない人、互いにとってメリットになる。
 
 いつだったかこのコーチに教わりたいとして、ないクラスを作ってしまった集団に出会したことがある。始め聞いた時意味がわからないと思ったが、空いているコートを使うという意味では双方ウインウィンなのだろう。
 いずれにしても似たもの同士を集めた方がストレスは少なくて、けれど飽きも来る。反対色。そういう意味では害も必要と言えないか。3人いれば一つの社会ができる。正統と異端。上等だ。スーパー使えないパースンが全力で暴れ回ってやる。
 そうしてごめんねコーチって言うんだ。コーチもプレイヤーとして入れば問題ないよねって。
 ああ、本当にヤベエ奴は私だった。






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