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付録、御役を果たす


 まだ学生だった頃、共通の知り合いの類でテニス集団の仲間に入れてもらったことがあって、仲間を拾って行くついでといつも送迎してくれる人がいた。その人が言っていた。
〈仕事は3割楽しければ続けられんねんで〉
 シャカイを知らなかった当時の私は目を丸くした。
道に迷ったらそこを基準にするといい、そう続けるとその人はうれしそうに笑った。だから「〇〇さんにとっての仕事はどうですか?」と尋ねると「7割くらいかなあ」と返ってきた。「自分は幸せ者だ」と。その表情は「『女子大生助手席に乗せてん』って報告したら、彼女に『ええやんうらやまし』って返された」と言っていた時と全く同じだった。
 
 離職の理由は多々あるものの、原因という言い方に変えた時、そのほとんどが人間関係に思えるのはただの主観としておく。ただ、逆にそこさえクリアできれば大幅に容量を確保でき、仕事上のパフォーマンスも上がりやすいことから、根幹にして最大の関所であり、個人の見解としては人間関係に心配事がないなら3割とやらは充分確保できているものとして良いと思っている。
 
〈この世には御役を果たすほど愉しいことはない〉
 
 御役というのは、気持ちだけ先走ったところで実現できるものではない。そこには相応の技術、知識、経験が必要になる。加えてその場におけるアンポータブルスキル(ニュアンスはローカル)と別のところでも応用が効くポータブルスキルがあり、きちんとなじむ力もつぶしが効く力も同じくらい大事。そうして仕事の深度というのは、意外なところで発露するものなのだと知る。
 
〈夷仁は文字を用いぬ民でございます。すべて口伝で成り立つ国というのは、何やら神々しゅうございますな〉
 
 情報を伝えるのに効率的なのはデータのやり取り。けれどその情報の重さを感覚で伝えるのに適しているのは、やっぱり直接のやり取りだと改めて思う。いつだったか書いた〈共通語は情報を伝え、母国語は心を伝える〉というやつだ。

 その日の仕事中、足早にやってきたその人の歩調と表情で分かった。
「車から動けない。先に診てもらった方がいいかもしれない」
 続く診察は中学生。自分がいなくても良さそうな状況を確認して、Drに声をかけた上で先に車に向かう。必要な情報を得ると診察室に戻り、情報共有する。直接見てるから「たぶん」とかない。その上で指示を仰ぐ。何がヤバくて、最低限どんな状況だったら大丈夫なのか、その線引き。それはポータブルスキル。だから科をまたごうと変わらない。
 
 ここで最も重要になるのが第一手、情報を受け取る瞬間。伝言ゲームが上手くいかないのは個人の主観、無意識の思考の癖が入ってしまうから。けれどその誤差を限りなくゼロに近づけられたなら。大事なのは前提共有。同じ事象に出会した時、同じ温度で受け止められるか。そうして「自分だったらこうする」という動きを、代わってできるか。
 託す。全て自分でやることはできない。だから脳みそを分け合うことのできる人に依頼する。この時受け取る用件の重みこそがその人における信用。そうして信用とは一朝一夕で得られるものじゃない。繰り返し積んで、時に失敗して、じゃあどうすればよかったのか方針を定め、また繰り返し積んでいく。そうして知らず出来上がっていた高いベースが、看護師でない私に看護師の動きをさせる。
 高いベース。そこに備わっているのは「その相手の言葉を受け取ろうとする熱意」「その相手の言っていることの本質(何故それを言ったのか、どうして欲しいのか)の理解」「優先順位の判断」。所謂阿吽。
 常から1言えば10伝わる。それはこんな赤ランプ点灯時にこそ最も力を発揮する。全てではない。どこに注力してどこで調整するか。バランサーは一杯一杯じゃできない。常に余力がなければ身動きが取れないからだ。だから極力無駄を削る。それができるのが今一緒に働いている人達で、時間に厳しく、問題を解決するまでがとにかく早い。ブレインストーミングそのもの。
 
〈人ひとりの性根〉
 全部は無理だ。でもその場に応じた役割を果たす。結果母体が十二分に機能する。
最低限敬意は必要。けれど同じくらい上下のない「同志」も必要。そうしてそれぞれが真っ直ぐ進むだけでなく、同じものを見て進めたら、そこに別の色の絵が浮かび上がる。濃い線が自分の役割。うっすら見える線が別の誰かが補う役割。そうして最終全く同じ絵になる。そんなことができたなら。
 そうして最後には〈ああ愉しい日々であった〉と笑い合う。
 自分は人の役に立ったと、ああよかったと、幸せな眠りにつくのだ。
 
 





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