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BUMP OF KAMO(前編)【feat. 】



 例えば生きとし生けるもの全てが同じだけの心拍数を刻んで生命を終えること。「生き急ぐ」という言葉は、実は嫌いではない。
 例えば同じ話をしても、入る人と入らない人、入った上で応用、発展まで至れる人もいれば、話したこと自体記憶していない人もいること。
 今回は「容量」をテーマにテニスの話をしようと思う。


 容量。言ってみれば一つの物事に相対した時に「それ」がその人にとってどれほどの問題であり、どれだけの容量を占めるかという話。いくつか例を挙げよう。
 サーブが苦手な人がいたとする。この人はサーブ権を得た瞬間から「ダブったらどうしよう」という不安感に支配され、とてもじゃない、入った後の展開、増してやどうやってゲームを組み立てるかなんて考えられない。例えばこの人が凄まじいストローカーで、ラリーだったら誰にも負けないほどの実力者だったとしてもだ。
 他にも強打にこだわることでラリーになった後の展開を考えていなかったり、(必ずしも直接競技に関することでなくても)相方が念使いで、へっぽこな失敗を繰り返したら精神的に殺される可能性があるというのも立派な容量圧迫要素だ。

 だから大事なのは日々の鍛錬によってそんな容量を圧迫し得るものをできるだけ軽量化しておくこと。サーブの苦手意識がなくなるだけで、1STの確率が上がるだけで、容量に空きが生まれる。強打せずとも、タイミングを合わせてそれなりに球威を見込めるようになれば、全体リスクは下がり、その分視野が広がり、次の展開を探れる。調子が上がらなくて一時的に容量を圧迫しても、戻し方が分かれば炎上せずに済む。
 ただ、何事も言うは易し。このために一体何年の時を費やし、同じところでもがき続けていることか。一向に試合の緊張感には慣れないし、その日のサーブの調子で全体の出来も大きく左右されるのだからしょうもない。それこそがずっと夢中でいられる要素だとしても、つい「下手クソがァッ」と自分に叫びたくなってしまう(時々出てる)さて、


 受験の時に一度は聞いたことがあると思う「徐々に伸びるんじゃなくて、ある時いきなり伸びる瞬間がくる」というやつ。父親は「開眼」と言った。狭い世界が突如開け、全容が見えるようになる。その状態から今までこだわっていた問題と向き合った時、同じものであるはずなのに、今までと違った見え方になる。
 きっかけは人それぞれ。「その瞬間」は誰にでも訪れる。努力している人なら、誰でも平等に。

「それ」は私にとって全く予期せぬ事。
 思い出したのは初めてこのクラスに来た時のこと。
 頭上に上がったボール。
 細身の背中。私では到底届かない高さの空気を掻っ切る。
 そうだ。あの時もこの男が前を張っていた。
 同じ背中を見ていた。違うのは、だから私の気持ち。


 やさしさには種類があって、実は本質その人自身のためのものだったり、ただただ無償のものだったりすることもある。ピンキリで、女性が好きな男性のタイプや、自分のパートナーを形容する時口にするやさしさもあれば、その人のためを思って注意するやさしさもある。この言葉自体背負う役割が多く、個人的にもう少し細かく分類してもいい単語だと思う。
 一言で言えば、男はやさしかった。やさしすぎた。
 酸いも甘いもある世の中で、賢く器用に生きていけばいいものを、何だか容量が悪いとか、いい人すぎてとか、損をする人種がいる。そう「なって」しまう人はまだしも、中には自らそっちへ向かう人がいて、私自身、そういう人の気が知れない。

 初めてこのクラスに来た時のことを思い出す。男はサーブからのラリー練習でなかなかサーブが入らず、合間に「サーブ入らなくてすいません」と言った。別にネットさえ越えればラリーはできるので、こっちからしたら大した問題ではない。
 オープンスタンス。フォーム自体はとてもキレイだ。
 縦に力を放出するスタンス+グリップの関係で、打球はトップスピンオブトップスピン。いろんな人と打つ中で、それは私にとって最も苦手なタイプ、対極にあたる球種だった。さて。

 トップスピンはガシャりやすくメンタル弱め。
 ただでさえそうなのに、加えて男はやさしすぎた。例えば「ここ狙ってね」の的を打ち倒してしまったら、目安なくとももう皆「あの辺」だと分かっているのに、ちゃんと戻しに行ったり、打ったボールが入っているにも関わらず、自分がアウトだと思うと止めてしまったり、何というか、誰も求めていないのに自ら損をしにいく。「いいカモ」という言葉がよく似合って、よくコーチにボコボコにされていた。帰りは誰よりも早く、いつだって負け試合を両手一杯に抱えて、一直線に帰って行った。よくそれで毎週来るなと思っていた。

 思うに、求める理想が高すぎる。失敗ゼロなんてあり得ないのに、その一つにこだわる。
 ペアを組む時、たまに声を掛けられるが、その内容が「2本セカンドで行きます」とか「返せないんでロブで返球します」とか、バチボコストローカーからしたら「あ?」と半ギレで返してしまいそうなことばかりで、そんな時はしただかしてないだか分からないような返事をしていた。私がこのクラスに来て一年半、そんな感じでずっと同じコートにいた男が、

 この度目覚めた。
 頼りなくて、情けなくて、そもそも戦うこと自体向かないような男の身に何が起きたか知れない。
 とある日、男はいつも通りミスを量産していた。下を向き続けている相方など、とうに当てにしていない。調子の良い対戦相手を食い止めるため、バックハンドで足元に叩き込む。怯んだ相手をボレーで打ち抜く。暴打を誘う。スマッシュ返球3本、やっとキレイなロブが抜ける。ストレートのラリー、調整などかけるつもりがなかった。攻めて、攻めて、やっと相手が逃げた。クロスに上がったボールは短い。
「お願いッ」
 その位なら決められるでしょう。その位の感覚で発した声。
 まさかひここのような派手さはない。丁寧に迎えに行くハイボレーは、上体が倒れない。キレイにインパクトして前衛の足元を抜けた。少なくとも私と組むことに関しての男の分岐点はここだった。


 たぶん自分に自信がなかった。以前も少しだけ触れたが、顔立ちはキスマイの玉ちゃんと向井理を足して2で割ったようなイケメンで、たまに現れる女性プレイヤー(主におばちゃん)は、一様にして声を高くした。未だ外見至上主義の世の中で、そんなどう考えても得をするタイプの人種であるにも関わらず、だ。
 練習では、個人ではできるのに、ダブルスになった途端できなくなる。それはひとえにそのやさしすぎる性格ゆえ。自分が苦労する分にはいいが、人に迷惑をかけたくない。何より求めたのは「人の役に立つこと」人を介した自己肯定。誰かが認めたものなら受け入れられる。まるで赤子のように、危うくて不安定な、けれどもそれは時に俄に信じがたい力を発揮する。

 本来トップスピンはガシャれば元もこもないが、本気で打っても入るような性質を持つ。回転量が飛距離を制限し、面白いようにベースライン付近に落ちる。だから、


 



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