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真面目か(あのちゃん)【テニス】


 にわかに耳にするのが「真面目に生きていると人生詰む」というもの。
 内訳は多々。融通が効かないと取って代わられる、優先順位を考えないとキャパオーバーする、結果病気になる。
 そもそも今の日本において、終身雇用が崩壊しつつある訳だから、常にアンテナ張ってた方が精神衛生上もいいに決まってる。このこと自体、今いる場所の足元の高さも確認できるため、実は一石二鳥。今ある当たり前は当たり前じゃない。

 何よりいつだって変化していく世の中で、全てを自責にする必要はないが、他責にする割合が多くなればなるほど主体性は薄れる訳で、だからこそ「どう生きたいか」という自問自答には何度だって立ち返る必要がある。
 何より真面目なこと自体、決して悪いことではない。けれどもそんな消極的な言われ方をするのは、その中に同じくらいのマイナスの要素が隠れているから。じゃあそのマイナスとは何か。それを補うために必要となるものは何か。ベースの整備。土台さえ安定すればセーフティーネットは勝手に張られる。

 この記事を書く2日前、日比野菜緒選手とシェイ・スーウェイ選手のシングルス動画がYouTubeにアップされた。横文字覚えるの苦手な人用に、「シェイ・スーウェイ選手=伊藤あおい選手=あのちゃん」という公式を提示しておく。要はテニス界のあのちゃん(台湾国籍)だ。
 相変わらずである。私の目には日本ランキング1位の日比野菜緒選手が腰を落とせば落とすほど、力強い打球を繰り出せば繰り出すほど、煮立った鍋で舞うカモにしか見えなくなってくる。ただ今回取り上げたいのは試合結果云々ではなく、じゃあ日比野選手のシングルスを、この時勝っていたとして続けて見たいと思うか。エンターテイメントとしての視点から見た競技。実際ウィークエンドテニスプレイヤーな一般人Aの答えは否だ。

 だって疲れる。YouTubeという娯楽媒体を通じているからか、頑張ってるのはすごいけど、なんかいやもうお腹一杯っていうか。一方シェイ・スーウェイ選手、あるいは伊藤あおい選手の動画は割と見ていられる。そんで連続再生になっても苦にならない。同じテニスの、同じ賞金のかかった試合でも、「楽しい」「沼」とエンタメとして鑑賞できる。感覚として近いのはキリオス、バーラミ、ダスティンブラウン辺りか。
 もちろん精度が高い上でのギャップに違いないが、彼らのパフォーマンスは必ずしもテニスファンでなくても楽しませる。「テニス」と聞いた時、バーラミの動画を一度でも見たことがある人はきっと頬を緩める。柔軟性。相手に合わせて自分の形を変化させる。その変化の割合が大きいほどに、その人のテニスは柔らかいと言える。

 出力すればいいってものじゃない。同時に合わせ、コントロールする力も必要。真面目に練習量を増やせばいいってものじゃない。同じくらい遊び球を打つ余裕も必要。固さから欠けて傷ついたり、怪我をしたりしないために。全てはストレスなくこの競技の傍にいるため。

 恋はエネルギーが必要。ヒールを履いて背筋を伸ばして。けれど疲れて投げ出してしまいたくなるくらいなら、靴を変えてリラックスして、ただ話をするように。どちらかに偏る利ではなく、互いを労るような。そんなやりとりがあってもいい。だって誰しもきっとそこから始めていて、テニスの魅力はそこにもあるはずだから。そんなやさしい競技でもあると紹介してみたい。






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