見出し画像

反抗期アイシャドウ




 変わりたい、と言った。
 何をか思うところのあった友人は、自分を変えるため、まずはファッションに目をつけた。私を含む友人3人を家に呼び、所持している服を引っ張り出して見せる。一人は関心がなく、一人は「いいと思うんだけど」と言い、一人はミッションを与えられると燃えるおせっかいから、いくつか提案をした。
 印象的だったのは小さな花柄のトップス。薄黄色を散りばめたそれは、どこか幸薄そうに見え(失礼)元々色白の、平安にいたら間違いなく美人に分類されるであろうふっくらとした輪郭の彼女には、水色や桃色が似合いそうだった。事実、所持していた服の中に見つけた水色を着た彼女は、持ち前の柔らかい雰囲気とすっきりとした寒色が絶妙にマッチしてとても魅力的だったのを覚えている。いいじゃんそれで、と「むしろ何でそれを着ない」ぐらいのニュアンスで言うと、彼女ははにかんだ。
 
 はにかんで、翌日また小さな花柄のトップスを着て現れた。意味がわからなかった。だったら聞くなと思わなかったと言えば嘘になる。けれどあのはにかみは、たぶん彼女なりのNOだったんだと今になって思う。
 
 自分が好むものと似合うとされるものは必ずしも一致するとは限らない。
 それは好きなこととできることが一致しないのと一緒で、だから皆が皆好きなことを仕事にできる訳ではない。だから何でもかんでもこだわりを貫くのではなく、状況に応じて賢くやればいいものを、それを受け入れられる人と受け入れられない人がいる。
 問題は「でも好き」なこと。
 彼女の「変わりたい」という意思はきっと本物だった。ただ、だからと言ってもはや無意識レベルで心惹かれるものを捨てるかというとそうではない。それは「彼女」なのだ。彼女の一部を担うパーツであり、それを取り上げるのは身体の一部をもぐのと同じ。息をするように好きなものを、だから保ったまま、でも変わりたいというのが彼女の本当の望みだった。
 
 ベース、他人が口出しすることではない。けれどやるとしたらどうしても譲れないものを先に聞くべきだった。小さな花柄のトップスだけは外せないというのなら、アウター、アクセサリー、靴など、こだわりの薄いところを工夫すればよかったのだ。
 


 
 最近アイシャドウを買った。対象、似合う色味はイエローベース。ブルーベースの私には基本縁のないものだ。けれど、使ってみて心が弾けた。すごく好みの色だった。
 

これな


普段使い。高いベースありきのわがまま。


 
 
 桃色に限った時、私の色はブルーを含んだローズ。一方それはイエローを含んだサーモンピンクで、変とまではいかなくても大して力を発揮するものでもなかった。ただ、その色味に覚えがある。
 
〈サーモン〉
 
 いつだったかまろにゃんが指差して笑った。私がよく羽織っていた上着、夏になると登場するそれを見て「速水さんの色」と言った。
 それは私にとっての小さな花柄のトップス。似合う似合わないじゃなく、好んで身につけていたもの。いくつかある選択肢から、毎度それを選んでいた。
 
 例えば人に好かれたいとした時、その人から見て魅力的に映るものを選びがちになる。いわゆる無難。だってそっちの方が勝手にバフがかかる。でもじゃあ好きなものを身につけて生き生きしてる時にバフはかからないか。たぶんここはベクトルの違い。
 前者は経年で化けの皮が剥がれる。後者は「分かってるんだけどね」と、いざという時公を前に化ける。双方とも変身可能。その時上がるか下がるか。
 
 自分がどうしたいかと「たまには外面優先してやんよ」
 個人の時はやりたい放題。代わりにパートナーと並び立つ時、ふさわしい公を身にまとう。いい男なんて定義するまでもない。いい女が傍にいるのがいい男に決まってる。逆もまた然り。
 
 正規ルートがあるとして、素直に従えない人がいる。譲れないこだわりがある人がいる。でも変わりたいと思っている人がいる。
 反抗期アイシャドウ。私は似合わないピンクをつける。地味な顔立ちの中に差す、数少ない色味に、ときめいた色を選ぶ。分かる人にはきっと分かる。
 
 





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?