その娘、危険なワイフ【連載小説】(8/22)
【続、2016年4月30日(土)】
「かぼちゃ」という名前は、色味や座っている形が似ていたためつけたらしい。成長するに従って、多少模様や毛色は変わったものの、かぼちゃっぽさは失われずに済んだという。
あたしは助手席で前を見ていた。
「タバコ、吸われるんですか?」
聞くと寺岡さんは「バレちゃったか」と言った。
「たまにね。ストレス溜まった時なんかに」
「普段全然においしないのに」
足元の芳香剤を指差す。よく見れば確かにタバコの絵柄がついていた。
「まぁ、マナーだからね」
始まりこそ国で推奨していたと聞くが、今では取り上げるようにして削られていく喫煙スペース。百害あって一利なしと、正しさが追い込んでいく。
「テニスもストレス発散のためですか?」
「そうだね。大人は色々大変なんだよ。君達みたいに百パーセント能動でやってる訳じゃない」
そうやって心のバランスをとっているというのだろうか。
少しだけ、何かが翳る。
「自分をまっすぐ保つための一手段として」
「ん。いい塩梅だ」
〈ボールを、上から見下ろす〉
あの時、後ろからがっしり支えられたかのように思えた。
〈それで、打ちたい方向に向かってまっすぐ振り切る〉
コート上を行き来するボールを見つめたままの目。
当たり前ではないのだと気づく。
私自身、普通の家に育ったと思っていた。取り立てて特徴のない親だと思っていた。でも当たり前と思うような生活を成り立たせるのは、決して当たり前ではないのだ。
赤妻の家。
良家と縁を結ぶことで保ってきた体裁。たぶんあたしは見えない所で少なからずその恩恵を受けていて。
自分で自分を生かすこと。
やりたいとか、なりたいじゃない。それは生きていく上での義務。それは
一番を取りなさい。
一番になりなさい。
母の教え。
きちんと生きていけるように。
カズハ、と呼んだ。あなたは自由に生きなさい、と。
自由に生きるための、そのために必要なものを与えて来た。
成果に対する報酬は、すでに十二分に支払われていた。
子供ではないと認めるのは、判断するのは、何も「その人」だけじゃない。最も誤魔化しが効かないのは、他の誰より自分だった。
自分で自分を大人だと認められるか。それは高校を卒業して、成人と呼ばれる20歳を迎える前の、年齢に依らない、どちらとも取れる自分に残された猶予。
「寺岡さん」
「ん?」
突然呼ばれて空気がかしこまる。あたしは前を向いたまま言った。
「待っていてもらえませんか?」
「ん? どこで?」
バックミラーを確認しながらそう返事をする。もう少しで五十嵐さんの家に着く。
〈……。……してねぇよ。頼むからして欲しいくらいだ。あんなカタブツ、そのまま行ったらどっかでバッキリ壊れちまう〉
あたしは、子供だ。
〈だから同じ温度できちんと向き合えるような相手に〉
まだ。
〈そうだ。何でもかんでも子供って理由つけて、テメェの未熟さと向き合おうとしないヤツなんて〉
ブラザー、あたし、スタートラインに立つよ。
「あたし、早く大人になるんで」
ヤバい力持っていようと、考えなしに突っ込まなきゃいいんでしょ。
〈頼むから変な気は起こさないでくれよ、シスター〉
だから、それは断る。
寺岡さんはよく分かってないまま「ん? あ、うん」と言った。
必要なのは強さ。不条理を跳ね除ける強さ。それは母があたしに与えたもの。
「約束ですよ」
五十嵐さんの家に着いた。
【2016年8月13日(土)】
あと1ヶ月半。
驚いたのはプレイスタイルの変化。
寺岡さんは見慣れたストロークのやりとりを繰り広げると、不意に面の角度を変えた。同じスピードのスイングから放たれる、それはドロップショット。ベースラインに釘付けにされていた相手は、つんのめるようにして前に出るが、間に合わない。
コートを縦に使う意識。
クロスかストレートだけの駆け引きじゃない。相手のリズムを崩すのは、何も前衛だけじゃない。
前後の意識。
いつものストロークにしては、いつも見ていたものに比べて低い精度。その訳は立っているポジションの変化によるものだった。下がって打てば自分の理想の高さでインパクトできる。けれどもインパクトの高さの融通と引き換えに手に入れたもの。
相手もお返しと言わんばかりに前を使ってくる。ネット側に落とされたボール。その、前への動き。一歩が届く。相手は低い弾道でセンターに返されたボールを何とかバックハンドで捉えるが、持ち上げるために弾道を上げた。
それは、浮き球。
いつも見ていたものの1、2倍速。早かろうと、いやむしろ早い方がノリやすそうなブラザーは、踊るようにしてステップを踏むと、逆クロス、思いっきりボールを叩きつけた。
「何も攻めるのは前衛だけの役割じゃない」
前衛を知らない寺岡さんは、前衛をオフェンスにカウントしている。活き活きとそう言う様子はうれしそう。
「精度は高くないけど、もしボレーで対応しなきゃいけないって時に、つま先の向きさえ気をつければいいって分かったから、少しだけ前に出られるようになったんだ」
やったことは、やり返される可能性が高い。相手にとってもさまざまな攻撃の手段を思い出すきっかけになる。だから自ら仕掛ける「相手を前におびき出す攻撃」は自分が前に出させられる可能性と表裏一体。その選択肢を取れるようになることは、単純に攻撃パターンを増やす。できるテニスが増える。
「ありがとう」
俯く。
それこそ「別に、実際打っていたのは寺岡さんだ。あたしは何もしてない」
思いながら、こういう感謝の仕方もあるのだと知る。
ただのありがとうなら誰にでも言える。でも受け取ったものを元に加工して、枝葉をつける。花を咲かせる。ボレーからストロークの打点を変える。球種を変える。コートを広く使う。一つの物事から生み出すそれは、花束を作る工程に似ていた。それはきちんと受け取れて初めて加工できるもの。
影響すること。その人の一部を形成すること。
「何もしていない」のに生まれる自己肯定感。それは自分という限られた枠組みを、内側からふっくら押し上げる感覚があった。