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【(4/8)付録、統べる者(独り言多めの読書感想文、村木嵐さん『天下取』)】


 あーこれは堅苦しい設定とか抜きにした、単純なおしゃべりなんだけど、
 信虎の対比として非常に優秀なサンプルがあるから参考までに紹介する。同業で仕事をしていた時の旦那の話だ。惚気として捉えられても仕方ないが、個人の主観とはいえ「イイ男」のビジョンはないに越したことはないと思うから、よろしければお付き合いいただきたい。
 
 一般人A、スーパー使えないパースンである私は、当時箸より重いものを持たずに済むくらいの甘やかしを受けつつ、お偉いさんにいい子いい子されながら働いていた。「え、これ仕事の話だよね?」にも「そんな職場あるの?」にも反応は同じ。これは歴とした事実だ。
 じゃあそんな舐めた(本人は限っては大真面目)仕事をしていたパースンが、ずっとそのままいられるかといえばそんな訳もなく、異動した先にいたのが旦那であり、旦那をトップとした組織だった。男は満面の笑みで「地獄へようこそ」と迎えた。
 あとはもうご想像の通り、0.5にも満たない非力が何の役に立つ訳もなく、最低限の業務さえできない。ことあるごとに「使えん」と舌打ちされながら、こっちはこっちで「マジでアイツ帰り事故れ」と連日念を送りながら、何だかよく分からん日々を必死で駆け抜けた。唯一の救いどころとして、この「必死で」が功を奏したんでしょうね。使えないなりにちょっとずつ使えるようになってくるのと、あとはその組織に馴染んでくるのが重なって、何となく「見える」ようになってくる。
 
 この組織は「地獄」でありながら、誰一人脱落者を出さない。切り捨てることは簡単で、「使えない」と「自称使える人間」が鼻で笑うことは簡単で、だからこそ私のような、あるいは私に近い力量の、例えば入社したての新人が、誰一人としてこの場を去らないという事実は、後から考えてみれば純粋な異常だった。数字で見た結果上から異動を言い渡される以外、ここからの退職者は結局誰一人として見なかった。
 
 見やる。相変わらず余裕のない男は、パソコンに鼻をくっつける勢いでブツブツ言っている。気づく。朝礼で情報共有をする時、誰も発言しない。意見を求めても誰一人口を開かない。それはこの男の言っていることが正しいとしてか、あるいは単に何も考えていないだけか。
 初めて声を上げたのはこの時だった。そのまま進んだら、この人が全ての責任を負わなければいけなくなる。ハタから見ればトンチンカンなことを言っていたとしても、それは多少なりとも行先を変える。そこに生じた差分だけは男の責任ではなくなる。
 肩を持つ、という言葉がある。片棒を担ぐというニュアンスで捉えると悪事だが、この場合、結果的に悪事になったとしても大勢に影響は無い。大事なのはそこじゃないからだ。
 心の負荷を取り持つこと。使えないパースンにできることは限られているのかもしれない。けれどある分野において特化している可能性はあって、
「そこ」では力を発揮できなかっただけ。だから「ここ」にかえて仕事を任せてみる。そうして男は誰一人見捨てなかった。結果、何か育った。
 
 箱買いしてロッカーに置いてあるカップ麺の数が減っていることに、ただただ悲しそうにしていた男に、代わりに怒る生き物が現れる。カップの自動販売機で、カップが落ちて来ず、ただただカルピスが流れていくのを見ていた男を「かわいそう」と笑う生き物が現れる。
 だから何が変わる訳ではない。けれど感情を共有しようとする生き物がいるというのは、たぶんそれだけで感じるものがあるようで、ある日男はポツリと言った。


 
「僕は何もできない」


 
「突然何を言い出した」と元祖使えないパースンが目をまるっとする。

 
「でもあれがダメ、これがダメって、それぞれの持ち場を否定されるのだけは嫌だ。だってみんなこんなにも頑張ってる。だから頑張るんだ」

 
 それから少しして私は異動になった。時間をおいて男もまた異動になった。ただ母体を共有している以上、その情報は社内メールを通じて届く訳で。
 当時(一方的に)まだ張り合っていたパースンは、男をトップとした組織の一社員の働きが好事例として上がってきた時、「優秀な社員に恵まれてよかったね」と思った。少しして同じく男をトップとした組織の、また別の社員の働きが好事例として上がってきた時も「社員に恵まれたね」と思った。ただその後、また別の社員の働きが好事例として上がってきたのを見た瞬間、いや正確には件名を目にした瞬間、一般人Aは完全に負けを認めた。最終、半年以内にその組織全員の好事例が社内メールで流れたのだが、本当はもうとっくに分かっていた。
 
「優秀な社員」なんてどこにも存在しない。そこには社員の優秀な部分を引き出す人がいるだけだ。
 人はそれぞれに特性を持つ。その強みを活かせるかどうか、本当はただそれだけの話。パラメーターの総量はそのほとんどが皆似たようなもの。だから手綱を握る者が、本気でその相手のことを考えた時、自分だったらできなかったことが高次元で可能になる。
 人は、必要とされるとうれしい。役に立ったと思えるとうれしい。だから能動的に動いた結果、それはそれは大きな花を咲かせる。それは、誰の目をもってしてもキレイなのだ。
 
 男が「何もできない」と思っていることは、他から見てどうであれ、本人にとっては真実なのだろう。けれどだからこそ素直に人に助けを求めることができる。話をして、その人にとっての最善を「一緒に」導き出すことができる。
 
 基本、プレイヤーと管理職は求められる能力が異なる。
 日本の社会構造として、プレイヤーとして優秀な者が管理職に「出世する」イメージが強いが、実際これも役割に過ぎない。いずれにしても見るところは同じ。本人ではなくその周囲。だって本人は自分に向けていくらだっていい顔ができるから。本人ではなくその周囲。その人の持つ環境、背景はさまざまあれど、限られた枠内でどこまで変えられるか。年収500万円の人の出す300万と、年収1000万円の人が出す300万は根本的に価値が異なる。どっちの方が大事にしてくれるかなんて火を見るより明らか。
 
『忍びの国』という小説がある。辿々しくも私が歴史を話すようになるきっかけとなった作品だ。男と話をする中で好きな本として挙げた時、当初何とも思わなかった。どうせやり取りの一環に過ぎないと思っていたから。
 一年後、ある日男は会話の中で「僕は無門だ」と口にした。作品内、随一の腕を持つ忍者である無門は、ベース農民。挙げた手柄をせっせと嫁である姫の元に運び、「これでこれからも仲良くしてください」とする。「は?」と笑った。
 数年後、旦那の実家で本の片付けの手伝いをしていると、処分する中に『忍びの国』の文庫本を見つけた。「買ってたの?」と聞くと、何のことなしに「うん」と返ってくる。笑ってしまった。だって当時貸していたから。別に読みたきゃまた貸してたし、わざわざ買う必要なんてなかったのに。
「そう」
 ハードカバーで持っていた私にとって、初めて見る文庫本の表紙。そこにはハンター×ハンターのノブナガをもう少しだけ男前にしたような出立の男が描かれていた。
 
 無門ねえ。
 確かにプレイヤーとしての仕事も優秀だ。けれど男の本当の魅力はそこではない。
 例えば鉄砲の腕があったとして、一発で仕留められるのはせいぜい一人。けれどそれを空に向けて放ったなら。鼓舞する存在としての一発だったら。
 あなたを慕う人が一斉に奮起する。それはどんな力にも及ばない。それが、人望こそが何よりの力。だから。
 
 誇ってやるよ。
 スーパー使えないパースンは、それならできるから。







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