その娘、危険なワイフ【連載小説】(21/22)
【2017年3月某日】
何でピーマン、と思った。
「ダイヤの3だーれ?」
9分の1で手が上がる。
いやいやいやいや、集まり良すぎでしょ。ほとんど皆社会人であるにも関わらず、学生かと見紛う出席率。不定期で開催されるピーマンによる大富豪大会。数日前、一斉送信される連絡一本で、大の大人がこぞってやってくる。
独り身、カップル、既婚、子連れ。仕事内容、生活背景。テニスと同じでそんなの一切関係なく、ただ目の前のゲームに興じる個々。今回のパートナーはピーマンだった。
「おかしくナイですか?」
こたつから押し出され、ソファから会話に入ろうとするはアキラ。今回のパートナー、鈴汝さんの隣には杉田さんが座っている。
「ねえねえ、ボク全然参加できてナイんですけど」
「うるさい。今集中してるから黙って頂戴」
鈴汝さんの隣では今回「一回休み」なはずの杉田さんが真剣にカードを見つめている。だんだんアキラがペアということ自体、私の思い込みだったのかもしれないと思い始める。
「いいじゃねぇかどっちでも。見ろ。杉田がこんなに楽しんでんだ。黙って見とけ」
「エ、もしかしてボクがおかしい? アレ、ボクがおかしい?」
ブラザーはアキラにやさしい。でも杉田さんにはもっとやさしい。
かわいそうに。自罰傾向の強いアキラは、そうして静かになった。ブラザーの隣で伊織さんが微笑む。
「すぐ終わるから。ちょっと待っててね」
「待っテる! わぁいボク待ってるウウウウ!」
前言撤回。キモいアキラは瞬時に元気を取り戻すと、背筋を伸ばした。その満面の笑み。
「おかしい……って言えば、俺こないだ2人で歩いてるの見かけたんだけど」
手札を吟味しながら口にする。ピーマンは何のことなしに続ける。
「あ、でももう20歳過ぎたのか。じゃあ手ぇ出したとしても犯罪ではない訳だ」
息を呑む。
ばくん、と跳ねる心臓。突然何を言い出した。何のこと。2人で歩いて。
「別に部内恋愛は禁止してないけど、そういうの見ちゃうとやりづらくなるから、ちゃんと隠し通すか、ちゃんと報告するんだよ」
言いながら右に左に首を振る。いつから部活動化したかは分からない。分からないが、
背筋が凍った。
見られているかもしれないなんて、考えたこともなかった。でも考えてみれば近所のコンビニで杉田さんと遭遇する位だ。気づかず目撃されていてもおかしくなかった。
角を挟んで横並び。自分はどうでも、寺岡さんは気にしてる。報告した所でピーマンはいじり倒すに違いない。かと言って庇おうとすれば、かってドツボにハマる気がした。
背中側から音が聞こえる心臓。今にも口から飛び出そうだ。
どうしようどうしようどうしよう。
「なぁ、アキラ」
……。……ん?
何でアキラ。
アキラはソファの上で自分の膝を叩くと「違ウ!」と言った。
「ムリヤリ連れて行かれたンだ! そんでよく分からナイくまのマスコットめっちゃ買わさレた!」
「ボクは被害者だ!」と喚き立てる26歳。その姿を見つめるも、未だ焦点が合わない。続けて口を開いたのは紅葉だった。
「めっちゃって……4つ目で欲しいの出たんだから言う程大したことじゃないし。どんだけ金欠なの」
「待って! 小声で最強呪文唱えるのヤメて!」
杉田さんがカードを出す。上がりだった。
「勝ったから続投な」
「え、杉田サン、そもそも今がボクのターン……」
「4つ目でパトりん出すなんて、引きはいい方よ」
鈴汝さんが続ける。「パトロンゲットくまりん」略して「パトりん」
よく分からない中でも本当にヤバいラインは脱したようだけれど、余波に油断できなかった。綱渡。ずっとヒヤヒヤしている。
紅葉がカードを出す。上がりだった。残りはブラザー、伊織さんのペアと私達。
向かいに座るブラザーと目が合った。ニヤリと笑う。「お疲れ様」と伊織さんが言った。
出されたのはエースのダブル。隣で五十嵐さんが両手を上げた。
「ううわやられた」
続けて出されたクローバーの5。上がりだった。
「最後に残しといてよかった」
ブラザーの声に、大貧民の五十嵐さんがカードを集めながら応じた。
「単体ならまだしも、ダブルはなぁ」
そうは勝てねぇ。そう言うと再びカードを切り出す。
左側を見る。角を挟んで横並びの寺岡さんは、困ったように笑った。
いつからか寺岡さんのプレイスタイルは元に戻っていた。ドロップショットを使わない代わり、前に出ることもない。ブラザーは特に何を言う訳でもなく、元通り一辺倒のテニスに色を添えていた。
できること、やりたいこと。
自分の強み、弱み。何より
何のためにテニスをするのか。
いつだったか、赤妻の宝、商品である反物に出しかけた手をピシャリと叩かれた。
「身の程を知りなさい」
母は鬼のような形相で言った。
「あなたが容易に触れていいものじゃない。増してや赤の他人なんて尚さら」
赤の他人。
さくりと刺さる。自分が傷つくより辛かった。
唇を噛み締めると、同じように唇を震わせている母が、肩で大きく息をついた。
「……そんなものじゃない。あなたにどう見えているか分からないけれど、赤妻の家の者全員で抱えているのは、そんな軽いものじゃない。一人では抱えきれないものを、親族こぞって守っているの」
何も持たない手が震えた。冷たさ、とか寒さではない。ただただ己の無力さ、浅はかさが浮き彫りになる。
宝のありかは知っていた。「お願いがあります」と言った日の後日、滅多に人目に触れることのないそれを、本家の息子はどこか自慢げに見せてくれた。
寺岡さんが息を呑むのが分かった。それが余程心地良かったのだろう。次々取り出す。母親も顔を出して、常日頃自分達の秘めている宝の価値を分かってくれそうな男をもてなす。そこまでは良かった。けれど。
「負えない責任を負うのが大人なの。負えない責任を負えないあなたが、聖域に土足で踏み込んだこと、一生忘れないで」
本家、家長が赫怒したという。
20歳を過ぎようと学生。自ら稼ぎ、生計を立てることもしていない娘相手に、かける言葉もない。その怒りは父親を直撃した。
「ごめんなさい」
謝ることしかできない。負えない責任。負うこともできない。
ずっと見ていた床。母のスリッパが動いた。肩幅。大きなため息。
「……。……相手が良かったわね」
ゆっくりと顔を上げる。腕組みをしたまま母は言った。
あの後寺岡さんは、とてもじゃない、自分が踏み入ってはいけない領域だと分かった途端、すぐさま立ち退いた。おかげで最低限財産目当てでやってくる輩とは思われずに済んだ。
「身の程、というのは自分を客観視する力」
母は続けた。
「これからは自分視点だけでなく、自分自身を外から見る力を養いなさい」
そうして少しだけ頬を緩めた。
「……あなたには丁度いい目標ね。全力で追いなさい」
振り返る、その背中に声をかける。
ずっと聞きたかったこと。
「お母さんは、お父さんのこと好き?」
お母さんは幸せだろうか。
私達のために無理をしていないだろうか。
それだけが、ずっと気がかりだった。
「赤妻家の者として。そのプライド」
真っ先に捨てられたのが父だった。そう言い残すと台所に戻る。
父は、ほとんど家にいない。決まっているのは年末年始のみ。
〈大きくなったな〉
父の仕事は知れない。けれども当たり前に暮らしていられることは、当たり前じゃない。その働きに、
ふさわしいか。
〈全力で追いなさい〉
その差、丸々12年。
久しぶりに見つけた目標。
気づくと笑っていた。
〈この子達には、自らの手で生み出し、利を得ることのできる力が〉
火がつく。
宿る。それは色鮮やかな一文字。