私と彼の事情(前編)【feat.ひここ】
できると好きは違う。食事と一緒で、「食べられる」と「進んで食べたい」は違う。それは表情に出るし、態度に出る。そうでなくても見ている側からすれば一目瞭然。
初級の延長線上と中上級の延長線上の違いは、文系と理系の違いに似ていて、数学嫌いはボレーに対する様子から窺える。かく言う純粋な文系の私も、一介のバチボコストローカー(フォアのみ)としてここまでやってきた。何この融通の利かなさ。今考えてもどの面下げて中級にいるという話ではある。
しかし最近、そんな「ほっそい道を耕し続けた結果、無駄に深い穴掘ったったドヤアな30代女子」におあつらえむきなパースンに出会っていたことに気づく。そう、パンパカひこにゃんである。いい加減、いや今更著作権案件。こっから先「ひここ」でお願いします。かわいらしい名称に似合わず、見てくれクッパだけどな。え。
そう、今更である。私の武器は無駄に高いロブとショートストローク。ゆっくりな深い球と秒で前衛の足元に沈める球。あとは8割でのコース打ち分け。こうして並べた所で、あんまというか全然冴えない。何しろ相手のミス待ち。たまにストレートで息の根を止めることもあるけど、基本コバンザメポケモンだと思ってもらって間違いない。
ただ、ここにひここを追加すると、ただのロブがご馳走になって返ってくるという(ちなみに私にそんな球寄越されてもあわあわするだけ)前衛の足元に沈めると、ネット越えるために相手のラケット面は上を向く。これも球速の落ちた浮き球になるため、ごはんになる。コース打ち分けで何とか返されたボールも、ええ、横に振られると前に力が向かわず飛距離が出づらくなるため、ご馳走に早変わり。総じて、私はこの男をメタボ街道まっしぐらさせるための存在になる訳ですねコバン。
ただ一言にテニスと言ってもシングルスとダブルスはまるで違って、最も異なるのは精神面だと思う。1人だったらどう展開しようと自己責任で自由にできる。けれど2人になると責任のありかが分散され、けれどもポイントとして明確に勝敗がつくため、「2人の」在り方が評価される。だから一般に責任感の強い男性側がその評価に過敏になる。仕事と同じで結果を出すことにこだわり、気負う。自分がどうにかしなければと思う。だから常日頃無敵ショットを量産するプレイヤーが突然「子クッパ」化することもある。
原因は、実は分かっていた。
ひここと対戦する時、私は大方フォアサイドにつく。男は正面、アドサイドだ。
「圧だけでおされちゃうよねー」というコーチの言葉は最もで、この男が動くとその辺の空気もまとめて動く。研ぎ澄まされた前線、矢面。点を奪い、力づくで流れを引き寄せる者。それは3割の球数で成果を残すための存在。
一方、私視点で男は獲物。その性質は「逃げたら追いかけてくる」故に腹を括るしかない。ひここは基本センターに張る。それは味方のサーブが「とても良き」の前提ありき。
効くかよ。
まずはストレート一本。足止め、続いてボディ。
殺傷力の高いフォアに比べて、バックの低い打点は難易度が高い。スライスにならざるを得ない。先にも言った通り、私の武器の一つにショートストロークがある。それは前衛を潰すための一手。一撃ではないし、あくまで相手のミスに依るものだが、本人の意識に「自分がミスった」という負い目を作るには、確かな効果を発揮する。
足止め、自らのミス。そうして動きが鈍くなった所で、どこでもいい、本気で打ち込む。重心が後ろになった相手はフラットのもつ速さに対応できない。それは深く突き刺さる。これが私なりのひここ討伐セオリーである。結果的に男は私に対しての苦手意識が強い。そう。
原因は、実は分かっていた。
私に対しての苦手意識。けれども、それは必ずしも男のせいではない。
勿体無いな、と思う。
元々狩る力は強いのだ。例えば、「強力なサーブが打て」て、「容易にコース変更を許さないラリーができ」るパートナーに恵まれた時、きっときちんと照準が合うことでこの男は真価を発揮する。
いつになく細々されたシャッフル。次の瞬間はっと閃くものがあった。
「はーい、じゃあこれで最後までやっちゃうねー」
ネットを回ってやってきたひここは、オートでアドサイドにつく。
自分の役割を分かっている。私はボールを受け取るとベースラインに下がる。
自分の役割は。
強力なサーブが打てて、容易にコース変更を許さないラリーができるプレイヤー。
強力だとは思わない。所詮女の力だ。けれども回転のかけ方、狙うコースで返球を限定することはできる。
スライスは使わない。全ての打球から逃げない。全てフラットで叩いてやると決めた。それは相手にコース変更をさせるだけの余裕を与えない。ラリーを嫌がって逃げれば、それは男の守備範囲上に上がった。
その浮き球を見つめる。
込み上げるは、想い。
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