インスピのべる(猫野サラさん『くるくるヘアでこんにちは』より)【3000字短編小説】
1枚絵から物語をつくる企画「インスピのべる」今回は猫野さんの作品を拝借します。ちなみに猫野さんの作品をお借りすること自体、初めてではなく、ただののべる「一緒に帰ろう」でも使わせていただいています。お世話になっています(低頭)
それでは。
『くるくるヘアでこんにちは』
「やっほ、元気?」
座っている目の端をかすめた毛先。その見慣れない色味に、思い当たる人間関係は持たない。人違いだと思って顔を上げるが、そこにあったのは予想外に見慣れた笑顔だった。
「ゆかり?」
愛らしい丸顔が、この角度からだとシュッとして見える。というか
「どうしたの? その頭」
高校生からの付き合いであるゆかりは、誰もが羨む黒髪を持っていた。その腰まである長さをいかして、ポニーテール、編み込み、お団子、何段階にも変身できた。中でも評判が良かったのは何もせずおろしたままの状態で、歩くたび光を弾く後ろ姿に、多くの異性が恋をした。そんなゆかりが
「ゆかり? 誰ソレ。くるくるコロネな私の名はベーカリー」
壊れた。
パリーンと私の中の黒髪美人像が割れる。
しかし、未だ信じられずにいる私の両手を「ホラ、いこ」と掴んで立たせてくれた時見えた、首元にあるホクロが、ゆかりその人であるという何よりの証拠だった。
私は地元で、ゆかりは東京で就職してから、こうして会うのは実に2年ぶりだった。
髪を耳にかける時に見えたゴールドのブレスレットとイヤーカフ。学生時代はきちんと着こなしていた制服。今は首元に余裕のあるワイシャツを着こなしている。そのラフな格好は、今の彼女の雰囲気によく似合っていた。
人を変えるのは土地か年月かはたまた出会った人か。いずれにしても名前とホクロ以外一掃してしまった友人に対して抱いた感情は、決してプラスのものばかりじゃなかった。
自分という個性を消して、個人の感情を押し殺して、日々の仕事に打ち込む私は「前髪は眉毛より上」でなければいけないし「肩にかかるようなら一つで結」ばなければいけないし、学校で言う風紀委員みたいな人が常に携帯している毛束の、左から3つ目以上に明るい髪色にしてはいけない。この人が今のゆかりを見たら、その場で卒倒しかねなかった。
学生の時からいつも行くカフェに入ると、懐かしい背景をバックに、ゆかりだけが借り物みたいに見える。
「ひまは最近どう?」
私の名前である「ひまわり」ゆかりは頭の2文字だけとって呼ぶ。
昔から自分の名前が嫌いだった。いつでも明るくいなきゃいけない気がする。
「んー、フツー。何か大人になっちゃったーってカンジ。毎日毎日よくもまぁ頑張ってるよ自分って思う」
「あっは! 完璧サラリーマンじゃん!」
私よりよっぽど「ひまわり」なゆかりは、上の歯を全部見せて笑うと、落ちてきた横髪を耳にかけた。大窓から差し込む光を、イヤーカフがチカリとはね返す。
ゆかりの仕事内容は知らない。けれどもきっとキラキラした仕事に違いない。
私が毎日書類を整理したり、段ボールを抱えて走ったりしている一方で、例えばステージに立って観客に手を振るような。だから普段返すはずの「ゆかりは?」の4文字が言えなかった。学生の時は隣にいたはずの彼女と異なる要素が、これ以上増えて欲しくなかった。
その後、同級生の近況や、最近の恋愛事情など、一通り話し終えると「またね」と言って帰路につく。両手を横に広げるようにして手を振るゆかりは、その仕草は変わってなくて、変に傷つく。
〈ゆかり? 誰ソレ。くるくるコロネな私の名はベーカリー〉
変わってしまったゆかりは、けれども悔しい程キレイで、大事なのは方向ではなくて振り切れていることなんだろうなと思う。中途半端に、狭い範囲で規定の範囲内で髪色を染めるしかない今の私には絶対届きっこない所でキラキラ輝くゆかりの、やっぱり私が引き立て役だった。
実家のドアに手をかける。色のない爪は、強い電球の光でさえ上手にはね返してくれない。
「ゆかりちゃん、元気だった?」
台所から母の声がする。いい加減一人暮らしをした方がいいのだろうけど、何をせずともご飯が出てくる環境に飼い慣らされた身体は、そんな提案を容易には受け入れない。「んー」と何にもならない返事をする。
「大変なのねぇ。まぁあなた達ぐらいの年ならいくらでもやり直しはきくでしょうけど」
動きを止める。
「やり直し?」
「あら、聞いてないの?」
ゆかりちゃん、仕事辞めちゃったんでしょ?
そう言うと、鍋の蓋をとって菜箸で一かきする。火を止めると今の今までグツグツだかブツブツだか言っていた本体がおとなしくなった。
「なんでも人間関係とか。やぁね、大人にもなって。キレイな子だからやっかみでしょうけど、随分辛い思いをしたみたいよ」
〈ひまは最近どう?〉
私よりよっぽど「ひまわり」に見えたゆかり。光をはね返したイヤーカフ。
「心機一転、前を向くために色々試してみたんだって。さすがにくるくるヘア? には驚いたって言うけど、ホラ、自殺の可能性とか考えたら、それで元気になれるならって」
私達が会っている間、親同士でも連絡を取り合っていたらしい。
自分の娘を心配するゆかりの母親が、私にお礼を伝えたくて電話をくれたという。
「昔っからひまわりちゃんの笑顔を見てると元気になるから、って。あんたもたまには役に立つのね」
〈やっほ、元気?〉
何でもない、昨日会ったばかりというようなテンションで現れたゆかり。そんなゆかりは、
〈ゆかり? 誰ソレ〉
確かに壊れていた。でもそれは私の思っていたのとは別方向に。
思いっきり振り切れていた。
「ちょっと! どこ行くの? 夕飯できるわよ」
「出かけてくる! 先食べてて!」
帰り際「またね」と両手を広げてゆかりは言った。
何もなかった、望んだものを得られないまま、それでも変わらずあの頃のまま。
玄関を飛び出すと、電柱の高い所から蛍光灯が照らした。等間隔で並ぶそれ。照らされた所で、変わらず私に光をはね返す要素なんてない。でも
そのドアを開ける。
ブレスレットもイヤーカフもないゆかりが、目を真っ赤にして抱きついてきた時、その頬についた自分の涙は、それだけは、きちんと光をはね返していた。