見出し画像

【5、任してって言わせてよ】独り言多めの映画感想文(井上雄彦さん『THE FIRST SLAMDUNK』)



 どうしてリョータに彩子をつけたと思う。
 ともすればサイボーグが如きバスケバカが集う中、不毛な赤毛のやりとりを除いて、特定の女性と関わりがあるのはこの男だけだ。

 これはことバスケに限らないのだが、あまねく競技は先を読み合い、頭を使う。現在進行形の動きではなく、その後のその後。縦に潜る。
 どこにパスを出せば、どう切り込めば、どこでスクリーンをかければ、誰を使えば、どこを突けば崩せるか。
 ノールックで出すパス。視野は常に広く。人差し指を立てて一本。ブレーンは己の動きの速さの何倍もの速さで縦に横に頭を回転させる。読み間違えれば瞬時に修正し、次の手を考える。同時に手元をおろそかにしないよう、狙われても容易くいなす。

 いなす。それはまるで一つのことをしながら、片手で誰かの頭を撫でるように。
 片手を常に空けておく。何かあった時、すぐさま動けるように。
 たしかにバスケは大切だ。でもバスケだけが全てではない。競技こそ違うが、大坂なおみ選手が「テニスは私の全てではない」と発言していた。彼女は今、新しい命のための存在も兼ねる。

 先を読む。未来を見据える。そのために今自分がするべきことは何かと逆算し、行動に移す。常に視野を広く保ち、没頭しても夢中になりすぎない。あくまで片手は空けたまま。
 パスを欲しているのは、余裕がないのは、空いているスペースは。じゃあ仮に余裕がないのが自分自身だったとしたら。


〈なんで俺の相手はいつも凄いやつばかりなんだ〉


 5人だろうと、それぞれに役割があろうと、自分だけでなく周りを活かすために、勝ち筋を辿るために、必死で頭を使うポイントガードは、比較的小柄な人が多い。ゴール下は身長や体格がものを言うため、鍛えればセンターはガードができても、よっぽどのことがない限りガードはセンターができない。
 コート上で最も非力に見える人間が、自分より身長も体格も勝る相手に喧嘩を売りにいく。それはたぶん、想像以上に勇気がいるし、自信がいる。ゲームメイクをすること自体、チームを取りまとめることに近い。ただでさえどこのチームも「凄いやつ」ばかりなのに。自分のことだけでいっぱいいっぱいなのに。

 重圧。
 リョータは台形周辺からのジャンプシュートが打てず、相手陣地の中心部まで入り込まないと点が取れない。だから直接身体で張り合える赤木や桜木、どうとでも点の取れる流川、外から打てる三井に比べて、見える成果をあげにくい。だからこそ、直接手柄を立てる男たちに比べて、負け試合は誰より堪える。立場で言えば軍師。満身創痍の兵士の傍、自分だけ傷が浅いなど、恥以外の何ものでもなかった。
 頭を使うというのは、ゲームメイクをするというのは、一体どれほどのストレスがかかるのだろう。思い出したのは諸葛亮孔明。男は最後の最後まで頭脳を振り絞って病に倒れた。己の采配一つで一つの出来事の顛末が変わる。リョータもまた二度と負けられない中で、絶対の中で、その背中一つに負わせるのは、何より作者が不安だったに違いない。

 だから彩子をつけた。
 弱音を吐ける場所を。片手では支えきれなくて、両手が溢れそうになって、でも取り落とせなくて、どうにもこうにも身動きがとれなくなった時、必要なのは信頼できる第三者の声。
 補うべきは勇気と自信。
(漫画では安西先生が〈PGのマッチアップではウチに分があると私は見てるんだが…〉としているが、)映画では綾子がその弱音を受け止める。本番で手のひらに「NO1ガード」とマジックで書く様子が描写される。

 最近思うことだが、こと男性の「思い込み」の力は凄まじい。良くも悪くも、高い確率で思い込んだ通りを体現してみせる。上手くできないと思い込めばその通りになるし、やればできると思えばその通りになる。ただ、そうは言っても自分で自分に自信を持つことは難しい。プレッシャーに不安は容易くかすめる。
 必要なのは、振り切ってくれる存在。


〈あんたはえらそうにして相手をおちょくるくらいがちょうどいいのよ〉


 そうして「たいしたことではない」とぎゅうと容量を圧縮させて、片手を空けさせる。
 何より必要なのは、考えるための、建設的な思考をするための容量。

 どうしてリョータに彩子をつけたと思う。
 それは相応の負荷が発生するから。一人では抱えきれないものを、上には上がいるとわかっている中で、人一倍負うポジションだから。
 そうして同時に、必要だと分かったからこそ、彩子はリョータについた。






この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?