その娘、危険なワイフ【連載小説】(18/22)
【続、2017年元旦】
「『自慢の娘』っていうのは、なかなか言えるものじゃない」
赤信号。大通りに面した道は待ち時間が長い。目の前を行き交う車。その動きが止まれば、今度は右折の車が、こっちの信号が青になろうと、素知らぬ体でぐいぐい曲がってくる。分かりやすく悪態をつくブラザーと違って、寺岡さんはのんびり発進する。元々マイペースな分、相手に同じ感覚を求めていないようだった。
「『自分がそうした』よりは『結果的にそうなった』双方の協力がない限り出てこない言い方に思える」
早くも夕方を感じさせる陽は、橙を孕んでそうっと車内を覗き込む。
時刻は13時半。車は南に向かっていた。
「あの時『この子はそれだけ価値がある。お前はそれに値するか』と問われた気がした。はっとしたよ」
あの後、あたしを母の元に送り届けた後、寺岡さんは一旦外出したという。紅葉が連絡を受けていた。
そうして膝の上にぽん、と置かれたのは、白地に赤や緑や黄土色の矢絣紋様、ちりめん生地の細長い入れ物。お腹の部分にくるくるっと紐が巻かれている。
顔を上げると「どうぞ」と言われた。開けてみる。それは。
息を呑む。同じようなものを持っている。同じような色で、同じような形の。
それは、かんざしだった。赤の一文字。けれどもそれは
「……本物だよ。悪いけど、前にあげたものは捨ててほしい」
太陽がそうっと覗き込む。「ふぅん」と照らす。
りんご飴のようなツヤ。純粋にキレイだと思った。
元々つけていたものを引き抜くと、髪を巻き直す。「え、それ、刺さってるだけじゃないの?」と驚く寺岡さんは、続けて「知らなかった」と呟いた。車内が静かになる。守備範囲での出来事に、何となくショックを受けているのかもしれない。
「お仕事は実家で?」
「いや、会社員だよ。商品の買い付けをしてる。バイヤー、って言えば分かりやすいかな?」
聞き慣れない単語に、むしろ謎が深まる。
「何かを買う時、お店に行くでしょ? そのお店に並べる商品を仕入れるお仕事だよ」
ふと思い出すことがあった。
「ピーマンはやり手の商社マンって言ってた。そんな感じ?」
「何それ、五十嵐のこと? アイツは、原料を仕入れてメーカーに提供する『売る側』で、そこで作られたものの中から良さそうなものを買い取るのがこっちの仕事」
まぁそもそも規模が違うけどね、と苦笑いする。
ピーマンの「ピー」の部分。ピーマンの正体は1泊3000万の商社マンだった。
「その都度納得のいくものを仕入れるんだけど、現代の生活スタイルに合わなくて、どうしても売れなくなっていくものがある。品質は良くても需要と供給が見合わなければ失われていく。そうして必要とする人と必要とされるに値するものをつなげるっていうのは、いずれ実家を継ぐことになったとしても活きて来るものだと思っていてね」
着物。窮屈で、面倒臭くて、時間がかかって、手入れが大変で。
とても現代の生活スタイルに合いそうもない、非効率。
寺岡さんは着物がよく似合う。
「簡単に使えて簡単に捨てられるものが出回る世の中で、でも元々ある質の良いもの、失われて欲しくないものを活かすことにこそ力を使いたい。職人と呼ばれる人達が真摯に向き合って来ただけの価値を保てるような、その価値をきちんと伝えたい」
到着。車を降りる。
「もちろん本来の用途以外の使い道を考えるのも必要だと思う。でも仕立てから始まっているものだ。そうして人に合わせるだけじゃなく、人も体型を調整するようにそのもの自体に敬意を払う。その心は失いたくない」
そうして手を差し伸べた。
「ほら、こんなにも美しい」
大元。起源。仕立てから想定されているもの。
人に合わせるだけでなく、人もまた合わせる。腰に当てたタオル。
花火に行った時のことを思い出す。和服の方がずっと寺岡さんだと思ったこと。
スマホに集約して、皆が皆身軽になっていく中で「歴史」とか「伝統」とか時代遅れのものをいつまでも引きずって生きる。
実害だった門限。
御家。習わし。親族の集まり。
この人が立て直そうとしているのは、力を使いたいと言っているのは、あるいはあたしにとって「形骸化して残ったプライド」その中身を取り戻すことじゃないだろうか。
赤妻家の者として。
刹那の煌めき。それは兆しだった。
〈この子には〉
あの時、母は言ったじゃないか。
〈この子達には、自らの手で生み出し、利を得ることのできる力があります〉
捨ててしまうのは簡単だ。
でも諦めるにはまだ早い。
その価値を、きっとこの人なら分かってくれる。
「お願いがあります」
まっすぐ向き合う。初めて正面に立つ。
寺岡さんは聞きもせず「なんなりと」と言った。
【2017年1月3日(火)】
「……で? え、何だこの鬼畜の所業。それでお前、三ヶ日までアイツ働かせてんのかよ」
あきれついでにつかれた大きなため息。ブラザーは続ける。
「お前の家の話も、アイツの仕事の話もどうでも良いから。需要ないから。んなことよりお前、絶対力の使い方間違ってるからな」
いるよねー、と思った。
昔は遊んでばかりいないで勉強しなさいとか言ってたクセに、今になって勉強ばっかしてないで少しは遊んできたらどうって言うタイプ。何あれ、何なの?
「知らねぇよ。俺が言いたいのはただ一言『近いうちにアキラが死ぬ』ただそれだけだ」
そう言って再びつかれるため息。
ピーマンといい、ブラザーといい、皆何だかんだアキラにやさしい。というか
「何でアキラ?」
「アイツはな『ボクにしかできないコトだから』ってヨボヨボになるまで頑張っちまうからだよ」
杉田さんのボールを受けながら、いつだったかピーマンも同じようなことを言っていた。『アイツは俺なら取れると思ってる』とか何とか。頼られることがよほどうれしいのだろう。
あ、と思う。
「……でも『しょうがないって言いたい』って言ってた。嫌ならどうとでも断るって」
「嫌じゃねぇだろ。頼られてんだから」
「どうしようブラザー」
再び大きなため息。天を仰ぐ気配がした。
「いるよねー。時限爆弾ギリギリになって投げて来るヤツ。断る! 俺は知らん!」
一人憤慨するブラザーは、そのまま通話を切ろうとする。慌てて止める。
「ブラザー」
今になってやっと分かった。
ブラザーには迷惑をかけてもいいと思った理由。寺岡さんと同じ高さで話す人に気後れしなかったのは、ブラザーが「タイヨウ」だから。
「太陽は、お父さん」
ほとんど家にいない父。だから母と紅葉と三人で互いに支え合ってきた。何より求めたのは陽の光。
〈寺岡はやめとけ〉
〈その相手は少なくともお前じゃねぇよ、シスター〉
〈そうやってすぐ答えを求める所が子供なんだよ〉
「パパをやってくれてありがとう」
〈好きか? アイツが〉
〈いい加減力加減覚えろやみっともねぇ〉
いつだって幸せを考えた。
そっちじゃない、と嗜めた。その一方で、
〈後は自分でどうにかしろ〉
しょうがない、と甘やかされることも少なくなかった。心から信頼して甘えることができた。
再びのため息。このたった数分のやりとりで、ブラザーの寿命は結構縮んだ。
「今日誕生日」
「え?」
「アイツ、今日が誕生日」
じゃあな。それだけ言い残すと電話を切る。
突然のことにパニックになる。
誕生日。
カレンダーを見る。1月3日。三ヶ日最終日。
もしまだ発掘が終わっていなければ、寺岡さんは今も赤妻本家にいるはずだ。いや、待ってプレゼントは? 何をあげたら良いんだろう。
〈……本物だよ〉
いやいやいやいや、何てことしてくれたんだ。プレゼントのハードルめっちゃ上がってる。もう何あげたって残念な予感しかしない。
〈いるよねー。時限爆弾ギリギリで投げてくるヤツ〉
チキショウブラザー!
困った困ったと自室で右往左往していると、紅葉がドアを開けた。
「どうしたの」と聞かれる。それはこっちのセリフだ。けれど今それどころではない。
「忙しいの」
「でも、ブラザーがお姉呼んでって」
ヒマか。今電話切ったばっかじゃん。
そうしてブツブツ言いながら部屋を出る直前、ふと足を止める。
「……。……どっち?」
紅葉は笑った。「くまりん」と言った。