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ずっと欲しかったもの【テニス(後編)】


 手を叩く人がいる。こちらがポイントを取った時、悔しがったり肩を落としたりするのが普通の中で。ジョコビッチを思い出す。コースの打ち分けで完璧にポイントを取られた時、腕をまっすぐ横に伸ばして、親指を突き立てながら、2バウンドしたボールを追う背中。「カッケエ」と旦那と盛り上がったものだ。
 
 いつだってじゃない。手を叩くのは確かに「取られた」と思った時のこと。相手を認める時必要になるのは、自分はこれだけのことをやったという自負。要は「自分結構いい球打ったつもりだったんだけど」。いつだったか「いや、本気で打ってましたよ」と笑っていた中上級を思い出す。自負があるから、その上で取られたから脱帽する。
 それは存分にラリーを「させた」上で勝ち切っていたメガネくんの手法であり、バチボコ打っていた結果バチコと仕留められたななコとのやり取りであり、そう。一定値の出力が叶ってさえいれば結果的に人は満足する模様。
 
 だから大事なのは第一手。出力を可能にする足元。
 面の角度と打ち出し方向。そこが無意識レベルに染みついて初めてロックがかかる。どんな打球にも対応できて初めてそれはバチボコストローカーの根幹となる。
 出力において、たぶん私はそこまで弱くない。大事なのは、だから早い段階で心拍数にパフォーマンスを合わせること。心と身体を一致させること。
 
 全員に好かれることは難しい。私のことを邪魔に思う人もいるだろう。
 その大きな原因を「それぞれ重きと置くものがあり、そこにそぐわないと」と仮定する。行動指針というやつだ。例えばある人は「権力」に弱かったり、他のある人は「情」に弱かったり。そういう意味ではその人の重きを置くものが見えさえすれば、コミットが可能になるということ。どんなプレイスタイルで、どんなビジョンを持っていて、何を至上とするか。似たような色味を持つ人が何人かいる。直接コミュニケーションを取らずとも当人同士は相性がいいと、傍から見ていて分かる。
 その人は「理知的なテニス」を好む。基本競技としてのテニスの分母は間違いなくこっちの方が大きいが、いかんせんマイナーロード爆走する筆者なもので。偶然ではなく必然。崩した結果、取るべくして取った一点。その精度のためには、例えばアングル、相手のバックハンドに早い打球を「きちんと」打てる技術が必要とした時、ただラリーをするだけじゃない。その中でそれが使えるか測ってる。
 結果できたけど崩された上、逆に取られたから拍手。自分を認め、相手を認める。そこにある種、勝敗はない。それはあくまで結果論。その本質は〈互いにいい時間を過ごしましたね〉
 
 ベース私は心拍数とパフォーマンスが乖離しやすい。だから早く終わらせたくて、そのための動きになる。例えばド・ミ・ソと順番に弾くところを一度にまとめて弾くような。一音ずつ弾けばドを弾いている間、ソに当たる小指は浮いててもいいのに、頑張って弾く分親指、中指、小指に力が入る。以前も話したが、どこかに寄るというのはリスク。だから威力に合わせてリスクも上がる。上がったリスクの分回収できればいいが、それが叶わないから結果がついて来ない。
 加えて一音ずつ弾く相手と組んだ時、味方であるはずの相手がたぶんものすごくやりにくい。自分も出力を、と煽られ、本来の良さを失う。加えて自分のやりたいことをしようとしても意図が通じない。結果今やっているのがダブルスなのかシングルスなのか分からなくなる。
 
 ずみはメンタルが乱高下する。でも発言とは裏腹に、プレイスタイルはやわらかい。
 最終そのポイントを取れようと落とそうと、まず「やってみる」。そうしてそこから組み立てていく。ゆっくり、丁寧に、自分のリズムでドミソを踏んでいく。
 高さは♯、低さは♭。半音の上げ下げ、微調整。クロスはト音記号、ストレートはヘ音記号。そうしてコートに譜面を引いていく。三角食べの苦手な私は、どうしても一つのことに固執しがちで、だからこそその柔軟性はやさしく視野を広げた。かつ、彼女がどんな絵を描こうとしているか見える。幼子が字を学ぶとき、薄くリード線を引いたものを用意するような、「それ」は私にとって手本だった。
 能動的に、意図的にメガネくんから取った一点は、過度な心拍を遠ざける。静かに彼女の動きを追い始める。大事なのは9割の模倣と1割のオリジナル。ずみは、
 
 女ダブで一戦終えた後、対戦相手を変えた時、ミックスに組み替えてもいいとした時、
 自分が迷惑をかけることに後ろめたさを感じながら、相変わらず乱高下を繰り返しながら、でも、ずみは、
 
 女ダブを選んだ。「ごめんなさい」そう言って。
 
 きっとずみは然る場所に行けばもっと違う輝き方をする。けれどそれを選ばないのは、自己肯定感を削られても執着するのは、そこに欲しいものがあるからで、ここでしか得られないものがあるためで、私はそれが涙が出るほどうれしかった。
 女性だからと、力じゃ敵わないからと、自ら道を開けるような、自分の意思を、自らを大切にできない人じゃなくて、
 
 よかった。確かに聞こえた。ずみはあの時「悔しい」と言った。震えながら「戦いたい」と言ったんだ。
 温度が変わる。
 

 任せろ。

 
 頭が、冷える。心拍数を、確実にパフォーマンスが上回る。
 赤が青に変化する。
 
 ずみは紫。女性は最初、桃色から始まり、価値を上げるほどに青みがかっていくという。青は知性。ただ愛でられる存在から頼もしいパートナーに。私達は、女性は、実に男性の4倍の色彩を識別するという。豊かな譜面に、そうして彩りを加えていく。
 インスピレーション。それはまさか仕事ではない。
 私達は楽しむためにやってきた。私達はこの競技が好きでここに集まった。だから。
 
 謝らないで。
 結果だけが全てじゃない。
 そこで何を得たか。「互いにいい時間を過ごしましたね」と思えたか。それこそが至上。
 そうしてまた一つ一つ積み上げていく。







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