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そうしてまた巡る(1/4)「張り合わない」




 美しさには種類がある。美術品全てに心惹かれないように、一人の感じる美しさが全てではない。けれど共通する認識はある。憧れるもの、自分もそう見られたいと思うもの。周りが目を輝かせるもの。

 
 旦那は私と張り合わない。秒で折れる。
 折れることができるのは同じ高さに立っていないから。ご飯の時しか寄ってこない飼い猫に、都度文句を言いながらも「ママには内緒だよ」とこっそりおやつを与える男は、娘なんかいた日にはとんでもない女王を育成していたに違いない。
 旦那は私と張り合わない。もちろん飼い猫とも張り合わない。
 そんな次元にいない。私はこの人以上の仕事をする人に出会ったことがない。そもそも張り合う対象にすらならない。
 スポーツショップで買い物をしていると、年上の女性同士でヒソヒソ話し合うのをよく耳にする。
「こういうのはああいう子が着るの」
 私の体型は無駄に人を刺激するらしい。その度にいつかはああなるのかと不安になる。
 
 先日呼ばれてスッと席を立った女性がいた。マスクをとった姿を見て驚く。思うより遥かに年上だったからだ。腰が軽い。反応がいい。姿勢がいい。髪がキレイ。後ろ姿に品がある。
エレベーターが止まった時、我先にと出ていく場面で、道を譲られる女性がいる。
美しさには種類があり、大きな区分が「対象に対して己の欲望、主体性を引き出す」美しさと、「その意思とは関係なく、有無を言わせず従わせる」美しさ。ざっくり下に見るか上に見るか。前者は主に若さに起因し、後者は生き様に起因する。何を見て何を感じ、何をとり入れ、結果どんな表情で日々を過ごしているか。ここに人の目が加わる。どう見られるかで周りの目に沿うように人格が形成される。
 年齢を重ねれば刺激にも鈍感になる。けれどその中で重用されるもの。
 述べたとおり、一人の感じる美しさが全てではない。けれど共通する認識がある。それは「自分の憧れる人が好むものは、自ずと自分にとっても好ましくあるというバイアス」分かりやすいのは権威。
 ボスが然りとするものは然りに決まってる。キレイと評したものはキレイなのだ。これはもはや個人の目ではない。表面にベールがかかり、そういうものになる。美化。それは本人の預かり知らぬところで育ち、連鎖する。例えば力ある複数が「是」だとすれば、それはもう是なのだ。
 
 化粧は誰かのためにするものではない。そもそも口紅の微細な色みを解さない相手に、その妙が、こだわりが分かるはずがない。化粧はあくまで自信をつけ、自分の望みを叶えるための手段の一つ。だから自信のある女性は張り合わない。笑顔ひとつで全てを手に入れられると分かっているから。
 
 余裕がある人ほどモテる。
 余裕は自信がある人がもつ。だから
 ありのままの自分を受け入れる覚悟をする。争うのではなく、無理をするのではなく、目指すのは、なんかよく分かんないけどキレイに「見える」人。
 
 女性という枠に捉われず、人として傍にいたくなるような、
やわらかくてあたたかい、日だまりのような人。








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