【コランダ地方】食事の温度
食事が美味しくない、と感じたのはいつのことだっただろう。食器を出来る限り鳴らさず肉を切って、口に運ぶ。臭みもなく柔らかい。デミグラスソースも、最高級かつ美味しいと呼ばれる味なのだろう。
もぐ、と口を動かす。肉を噛み切り、ごくんと飲み込む。一連の動作は作業でしかなく、栄養を取り込むためだけに行われる面倒な工程だ。
「……なんだか、君はつまらないね」
「そうですか?」
「あぁ。つまらない女だ」
手順通り、お手本通りナイフを使いフォークを操り作業を続ける。レストランの最上階、夜景が見える窓際の席で、目の前からはひどくつまらなさそうな男の声。アスターはそちらに礼儀だけでちらりと目をやり、すぐ食事に戻った。
男はそんなアスターの態度すら不満らしく、フンッと鼻を鳴らす。
「何もかもがお手本通り、見本通り。ロボットと会話でもしてる方がマシだね」
「そうですか」
興味がない、どうでも良い。味のしない肉を噛み切る。相手もアスターに興味を無くし、かちゃかちゃと食器を鳴らし食事を再開した。
しばらく無言でいて、クラシックの音色に耳を傾ける。あぁ、家でいくらでも聞いた。つまらない。
惰性で食事し終わって、デザートがくる。こちらも随分と高級品なのだろう。艶のあるチョコレートの上に散る金箔を見て、淡々と分析した。
「……もう会わないでおこう。結婚の日まで」
「そうですね。無為な時間でした」
産まれた時から婚約者と定められてきた男が、ひどく冷めた声で言う。
それを返した自分の声もきっと、同じくらい冷めていた。
──────
「ただいま帰りました! あぁもう、疲れた! 最悪!」
「おかえり」
「お帰りなさい、あるじ!」
コランダ地方リフィアタウン。老舗の旅館にある一室でアスターはバチギレながら紺のポンチョを脱ぎ捨てていた。ダズルは恒例行事だからかわははと笑ってポンチョを回収し、カノアは驚いて主人を見る。
アスターは心底イラついていた。
「あぁ、あぁ本当に腹が立つあのナルシストクソ男が!! 金と地位がなければあんなやつと婚約なんてしてませんよ!! 最悪です、本当婚約破棄したい……!!」
「多分向こうも同じこと思ってますよ〜」
イライラ地団駄を踏み婚約者の愚痴を吐き散らすアスターに、カノアはなんだいつものことかと顔を伏せた。手持ちと遊ぶ作業に戻ったようだ。
ダズルはシワにならないようポンチョをハンガーに掛け、アスターが脱ぎ散らかした夜会用ドレスを回収し、手洗い用の洗濯カゴに入れる。
さっさとネグリジェに着替えたアスターはまだ文句を言っている。
「つまらない! つまらない! つまらない! 私はクラシックなんかよりポップスとかロックが好きだしわざわざ嫌な点を伝えてくる男は嫌いだし! 地雷タップダンス名人戦の人ですかねェ!?!?」
「相変わらず向こうの方もあるじも性格最悪ですね!」
「別れは……いえた……?」
わはー! とナチュラルに主人まで陥しにくる駄犬を無視し、アスターはギロッ! と目を光らせる。それを見てカノアは地雷を踏んだことを悟り、しかしアスターに対して地雷とか配慮してたら頭がパンクすると言うことを思い出して黙った。懸命な判断である。
「結婚まで会わないようにはね、なりましたよ──相手の提案で」
「ひぇ〜!」
「うわ」
うわ、と思う。純粋に。アスターはプライドが高く面倒臭くシンプルに天邪鬼なので、自分から別れを切り出せなかったことに苛々しているのだ。
もとより特別気に入らない相手。傷付けるのなら完璧に完全に。プライドをへし折る形で。
そう考えていたアスターにとって、向こうからプライドを傷つけられやり返すことのできない状況は耐え難い地獄に等しい。
アスターはイライラと周囲の風景が見渡せる広縁、片方の椅子に腰掛けて踏ん反り返った。お嬢様らしく所作だけは優雅だが、珍しく組んだ足といいむっつりと黙り込み腕を組む姿といいつむった目といい、最高に機嫌が悪い。
「あるじ、お腹すきました?」
「……いえ。無駄に高級な料理を詰め込んできましたので」
「他のひとの努力の結晶を、そう言う物じゃ無いですよ」
「……クオリティとしては値段に釣り合っていましたが、美味しいとは感じませんでした」
「そうですか。なら何かお作りしますね!」
軽い調子でダズルとアスターが会話を交わす。お腹は空いているか、と聞きながらも食材を用意していくのはいつものこと。アスターが最高にソリの合わない婚約者と会った夜はいつもこうだ。
備え付けの調理台に引っ込んだダズルを見届けて、カノアは預かっていたイーブイを持ち上げる。
「……お嬢様」
「? 何ですかカノ──わぷっ」
カノアが萎縮してしまうからか、アスターはこう言う時いつもダズルにしか当たらない。相棒としてはダズルがああもヘラヘラっと怒りを躱せるというのも不思議だけれど。
もふんっとイーブイの胸毛に顔を埋めさせられたアスターは、不思議そうにされるがままになる。
「ポケモン……せらぴー……?」
どこかで苛々や鬱々とした思いは、ポケモンと触れ合うことで解消されると聞いたことがある。しばらくもふもふとさせてそっと引き剥がせば、ポカンとしたアスターがカノアを見つめていた。
「効果、あった……?」
恐る恐る。表情は変わらないけれど、遠慮がちに胸元にイーブイを寄せる。当のイーブイはアスターの手持ちらしくふふんとふんぞり返っていて、なんともふてぶてしい。
その、二人の態度の違いが何となくおかしい。ふっ、と吐息が漏れ、口角が上がった。
「あった、ありました。効果抜群ですよ!」
「!」
「ありがとうカノア。気を遣わせてしまいましたね──スミレも、驚かせてごめんなさい」
カノアの手から受け取ったイーブイは、全くだと言わんばかりにアスターの脚をテチテチ叩く。その頭をよしよしと撫でてやり、しっかり整えた毛並みをもふもふとかき混ぜる。
貴方もしてあげましょうか、とカノアに手を伸ばせば、大人しく頭を差し出される。遠慮なくもふもふさらさらと撫でては癒された。うん、今日の毛並みも完璧ですね。
しばらくすると室内にいい匂いが漂って、ダズルがひょっこりと顔を出す。
「出来ましたよー!」
「「ダズル」」
「わはー! 仲良しですね!」
ふわふわふわ。キャラメルの香ばしい香り。ダズルはニコニコと頬を緩めながらプラスチックの皿を二つ持ってきていた。高級な皿の三枚くらい買うべきだろうか。
「はい。俺はもうさっきつまみ食いしてきたんで、あるじとカノアに」
「……ありがとう」
「ありがとうございます、ダズル」
カノアは一瞬自分も? と顔をして、すぐにアスターを見て正面の席に座った。カノアの動作を見届けて、ダズルは恭しくアスターの前、そしてカノアの前に皿を置く。
「これは……バニラアイス、ですか?」
「それは市販のですけどね。キャラメルバナナを添えてみました!」
「あまそう」
「美味しそうですね、てっきり肉料理とかがくるのかと」
貴方は空気が読めませんから、と言えばダズルは涙目でひどい!と返す。先ほど怒りに任せて当たり散らしていた時はするする躱していた癖に、変な男だ。
カノアも不思議そうに首を傾げている。えぇ、不思議な子ですよね、彼。
溶けてしまうから、とついてきた銀のスプーンでバニラアイスをまず掬い上げ、口に入れる。
瞬間、ほろりと解けるように広がる甘味。バニラの濃厚な香りと風味に目を見開いた。
「貴方、これ……」
「そうそう! あるじが褒めてた店で買ってきたやつなんですよ。あるじの味覚は確かなので、気に入ってくれるかなと」
「なるほど……いや、でも、私結構バカ舌な方だと思いますよ」
もう一口。やっぱり美味しい。キャラメルバナナも、絶妙な量と時間の調節が入っていて早く丁寧に作ったのがわかる。アイスと合わせるとさらに美味しい。
「えぇ、あるじの味覚ってかなり繊細ですよ! 隠し味すぐわかっちゃうし……」
「婚約者、言われた?」
「何だそれ許せねー!」
「え、あぁいや。違いますよ。自分で思っただけです」
すぐさま否定する。アスターはプライドが高いので、嫌いな相手に貶されても怒りしか湧かず殊勝に信じ込むことは無いのだ。
首を傾げながら、アスターはもう一口とバニラアイスを掬った。
「今日食卓に並んでいたレシピは、向こうでも五つ星と称えられる最高級のものでした。仕込みだって時間がかかってます」
「え、お、俺だってめちゃ長く仕込みできますけど!? やろうと思えば!! 贅を凝らせますが!!」
「ダズル……」
「やめなさい。そしたらその間私たち何食べるんですか。それに……」
それに?
言葉を止めて、おかしいと思う。変な思考だし、体質だなぁと思って、首を傾げた。
でもそれが私の目から見た事実で、真実だから、と、アスターは言葉にする。
「……こちらの方が、おいしく感じます」
「!」
「……!」
輝いた顔が、アスターの私の舌はおかしくなってしまったんですかね? という言葉でキョトンとしたものに変わる。それこそよくわからなくてアスターは同じようにキョトンとした。
「違いますよ、あるじ。それは舌の問題じゃないんです」
「?」
隠し味とか、ランクとか、食材とか、そういうのはわかる。でもおいしくない。それって舌の話じゃないんだろうか。
首を傾げるアスターに、ダズルは本当にわかんないんですか? と呆れた顔をした。
「だって、精神的なものですもん! ね、カノア!」
「ん」
カノアが微笑んだ。軽く口角を上げた程度だけれど、アスターとダズルには微笑んだ、としっかりわかる。
「『家族』と食べるご飯……おいしい」