【理解者】そもそも他人の心なんてわからないから、じゃあどうするか?
こんにちは、早川です。
今回は、こんな質問について、一緒に考えてみたいと思います。
「理解されない苦しみってありますよね?そもそも他人の心なんてわからないんだから、世の中の全員が理解されない苦しみを持っているということですか?」
そう聞かれたら、あなたならなんて答えますか?
逆に、そう思ったことってありますか?
僕はこう思います。
わかってほしい時ってある。
共有したい思いって、やっぱりある。
辛い時に話を聞いてくれる人って、ありがたい。
でもそんな人がいたとしても、その人が「僕の全て」をわかっているわけではない。
同じように、僕も「その人のすべて」をわかっているわけではない。
だって100人いたら、100人とも違う人間なんだから。
同じだったらそもそも存在している意味も怪しくなってくる。
ボールペンが壊れたら、「同じボールペン」は店に行けばたくさん置いてある。
でも「あなた」は、店に行っても売っていない。
だからあなたはあなたとしての価値がある。
僕はそう思っています。
ちょっと話が飛躍しちゃいましたね。。。
他人の心なんてわからない。
これってデフォルトです。
だって他人なんだから。
わかったら、逆に怖い。。。
でも僕は、「理解する」って、「全部わかる」こととは違うことのように思うんです。
あなたはどうですか?
人を理解するって、
「その人がその人として考え、感じている」
ということを理解することだと、僕は思います。
考え、感じたことの「表現方法」は十人十色。
うまくストレートに表現するのが苦手で、「ちょっとひねくれた表現方法」を取る人。
(”愛してほしい”と思っている時に、”もう別れる!”って言う人とか)
相手の感情はいったん横に置いておいて、「ストレートにズバンと表現」する人。
(”オマエってまじ最低だな!”って言う人とか)
もちろん、、相手に上手く伝わらない「表現方法」を使ってしまっているのであれば、これって本人に変えたいという思いがあれば変えることができる。
考えや気持ちは、できるだけ「いま目の前にいる人」に伝わりやすいように工夫して伝えるほうが、お互いにとっていい。
これって「表現方法」の問題。
じゃあ仮に、気持ちや考えを上手に伝えられるようになったとしても、それって別に「相手の心をすべて理解」しているのとは違うこと。
「理解する」って、「その人が、その人である」と理解する、ということ。
考えが自分とは違うということ。
感じ方が自分とは違うということ。
表現方法が自分とは違うということ。
違うということを理解して、関係性を築ける人。
違うということを理解したうえで「じゃあ自分だったら」と自分自身に置き換えて考え、感じることの出来る人。
相手の表現方法を、自分の表現方法に「翻訳」して理解しようとする人。
それが、「理解者」だと思う。
理解者って「自分の考えや思い」を相手に押し付けることをしない人。
犬がいて、猫がいたときに、、、
犬は猫に対して「違う!オマエもワンって言え!」
猫は犬に対して「ふざけるな!オマエもニャアって言え!」
これでは犬と猫は理解し合えない。
犬は「猫とはニャアと言う生き物なんだな。」
猫は「犬とは、ワンと言う生き物なんだな。」
その「前提を理解」していれば、コミュニケーションはもうちょっと上手に取れるようになる。
あとは「好き、嫌い」の問題だ、と僕は思う。
世の中には、一緒にいて楽しいヤツもいる。
おもしろおかしいヤツもいる。
頭がめちゃ切れるヤツもいる。
趣味や興味が同じヤツもいる。
そういうヤツが仲間になると、人生ちょっと楽しくなる。
仲間になるには、やっぱり「自分を上手に表現する力」があるに越したことはない。
だって上手に表現できれば、「自分ではない人々」に、「自分」をもっと理解されやすくなるんだから。
理解されやすくなるということは、理解者に出会いやすくなるということ。
もちろん自分も「自分ではない人々が、自分ではない人々なのだ」と理解していく必要はある。
そしたら理解者同士のいい仲間になれる。
僕はそう思っているし、今はそう思って人と接している。
(昔は違かったけど、、、)
僕も以前には理解者と出会えず苦しんだ経験がある。
でもちょっとコツさえ身に付ければ、理解者は必ず現れる。
今の僕はそう確信して生きている。
PS.
理解者がいたら、、って思うことありますか?
「理解者に出会える自分になる方法」を僕の無料メールレターでお伝えしています。noteには書けない人間心理のちょっとディープな話もしているので、読むだけでも楽しいんじゃないかなって思います。
こちらからどうぞ。
https://top.dreamandvision.com/rikaisha01
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