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『ホワイトアウト』
一人の少女が、クリスマスを取り戻す話。
※今作は、西野夏葉さん主催の下記企画の参加作品です。
◇
「クリスマスなんか……消えちゃえ!」
粉雪が降るアーチタイルの商店街。
星空の下でわたしは、精いっぱいの願いを魔法の杖に込めた。
すると、その無茶な願い事に応えるかのように、杖の先から光の粒が溢れて出てくる。雪のようにふわふわしていて、イルミネーションのように温かい。そんな優しくて強い光の粒が、星に向かって真っすぐ飛んで行って、夜空を覆いつくす勢いで広がっていった。
わたしは辺りを見回した。町を彩っていた電飾も、広場にどんと構えていたクリスマスツリーも、光の粒に触れた途端、パッと白い塊になる。それが冷たい風に煽られて、タンポポの綿毛みたいに、ふわっ、と粒になって散っていく。クリスマスに関係するものたちが、みんな光の粒になって飛んでいった。
やった! 本当にクリスマスがなくなっていく!
これでわたしが好きな「あの人」も、きっと振り向いてくれるよね。
パニック映画みたいな光景なのに、誰も慌てた素振りを見せてくれない。きっと、クリスマスの存在自体が頭から抜け落ちてしまったんだ。もちろんわたしも、慌てるどころか恋の行方に胸をときめかせていた。
ふと気になって、右手に握った魔法の杖に目を移す。
金色の取っ手の先についた、ピンク色の結晶。グミみたいに透き通ったそれは、内側でチカチカと柔らかい光を灯していた。
◇ ◇
今日の帰りのHRも、宗教問題の話だった。
遠い国と、同じく遠い国が、宗教の違いについて揉めて、喧嘩している。それで世界中がピリピリしてる……なんて毎日のように話されても、高校生の俺には実感が湧かなかった。
そんなに突飛な問題よりもまず、いま目の前にある面倒事について何とかしてくれないだろうか。
箒を動かす手を止めて、俺は大きな溜息を漏らした。換気のために開けた窓から、木枯らしが吹き込んでくる。
憂鬱な気分だ。何で一日テスト漬けの日に掃除当番に割り振られるんだよ。というか、もうすぐ大掃除あるだろうが。その日にまとめて綺麗にすればいいのに。そうすれば今頃、冬休みの予定だって……。
……あれ。冬休みの予定って言ったって、何もすることなくないか?
ふと気づいて、俺は今までの冬休みを思い返してみる。目立ったイベントは、親の実家に帰ることぐらい。夏は海水浴とかキャンプとか、暑いから行事がなくても友達とワイワイ楽しめる。だけど、冬はどうだ。雪が降らないと、何もすることがないんじゃないか。部活動も大抵オフシーズンに入るし。
そう考えると、冬休みって夏に比べて味気ない。
今年も基本的に家に篭もる羽目になりそうだ。こんな寒い中、何の理由もないのに外出するなんて正直どうかしてる。仮にいたとしても、それはずっと一緒にいないと気が済まないバカップルぐらいで──。
……カップルかあ。
そんな言葉、俺とは一生無縁なんだろうな。
「……なにボーっとしてるの?」
その時だった。不意に右肩を触られ、耳元に吐息がかかる。
思わず「わっ」と声を挙げて、飛び退いてしまう。そこにいたのは……後ろに手を組んでいたずらっぽく笑う、星合雪菜の姿だった。
「ちょっ……何すんだよ!」
「えへへへ、だってボーっとしてる時の幸輝の顔、すごい面白くて……!」
お腹を抱えて笑い出す雪菜を見て、俺はついムッとなる。
中学から高一の今に至るまで、ずっとクラスが一緒の腐れ縁。同学年にしては背丈が低く童顔の彼女は、事あるごとに俺にちょっかいをかけてくる。
出席番号が近いせいで掃除当番も一緒になるし、何ならメンバー四人のうち二人がサボり魔なせいで、どう足掻いてもこの時間は二人きりになってしまう。そうなれば相手の思う壺だ。イタズラ好きな雪菜のペースに乗せられて、毎度頭を抱える結果となる。本当に、困ったものだ。
「それで、なに考えてたの? もしかして嫌らしいこと?」
「んなわけないだろ。ほら、あれだ。冬休みって夏休みと比べてこれといったイベントがあるわけじゃないだろ? だから味気ないよなぁ、なんて考えてただけだ」
「ええ、ホントにぃ? あ、あれでしょ? 鈴原先輩をいつデートに誘おうか、考えてたでしょ?」
「うっ……」
あながち、間違いじゃなかった。
こうしているうちにもまた、先輩の顔が簡単に浮かんでしまう。
俺が所属している体操部の先輩である鈴原桃香先輩は、まさにモデルのような人だった。ブラウンの長髪に白い肌がよく似合っていて、顔もスタイルも凄く好み。おまけに性格も大人っぽくて、一目見ただけで虜にされてしまう。俺の憧れの人で、だけど手を伸ばしても届かない高嶺の花だった。
「……そんなに好きなら、告白しちゃえばいいのに」
「あのなぁ……そんな簡単に事が進むわけないだろうが。鈴原先輩は人気者なんだよ。それにほら、それこそ冬って行事ないだろ? イベントない中でデートに誘うっていうのも、何だか気が引けるんだよなぁ」
「ふうん……じゃあ夏に誘えば良かったじゃん」
「お前……簡単に言ってくれるけどなあ」
落胆するあまり、俺は思わず嘆息した。
「鈴原先輩ってさあ、めちゃくちゃ部活熱心なんだよ。マジで命賭けてるぐらい。そんな中でデートとかに誘ってみろ。逆に嫌われるだろ」
「へえぇ……そういうものなんだねぇ」
「いや、そりゃあそうだろ。俺だって忌み嫌うわ」
そう吐き捨てるように答えたものの、胸の内ではじんわりと痛みが広がっていく。身体の熱が冷めて、内側に冷気が染み渡っていくかのようだった。
あーあ、冬も夏みたいに、それらしい行事があればいいのに。
まあ、そんな魔法みたいなこと、起こるはずもないのだけれど。
「……全くもう、しょうがないなぁ」
すると、まるでやれやれと言うかのように、雪菜は首を振った。
その微笑み……さてはまた良からぬことを企んでいるな。
「じゃあさ、わたしが冬休みの行事を一個、増やしてあげよっか」
「は? 何言ってるんだ、お前」
「実はわたし、今まで秘密にしてたんだけど……魔法が使えるんだ。わたしの手にかかれば、行事を一個増やすことなんてお茶の子さいさいなの。どう? 凄いでしょ?」
得意げにそう言って、雪菜は胸を張った。対する俺は、想定してた「良からぬこと」より更にぶっ飛んだことを耳にして、どう反応するべきか困惑した。
絶対今日のコイツの弁当、毒キノコか何か混ざってただろ。
「雪菜が魔法使い? ははは、お前にしては面白い冗談じゃねぇか」
「ちょっと! わたし嘘なんかついてないんだけど! 本当に魔法が使えるんだって! しかもアニメで出てくるようなやつ!」
「へえぇ。じゃあその魔法とやらで、今すぐこの教室を綺麗にしてくれないか?」
「え、そ……そんな手軽に使えるわけでもなくて。せ、制約とか代償とか色々あって」
「何をごちゃごちゃ言ってるんだよ……」
結局、いつものイタズラの延長線みたいなものか。ほっと胸を撫で下ろす。
でも、馬鹿みたいに正直者な雪菜が嘘をつくのも、何だか珍しかった。
「大体、行事って言ったって何を増やすんだよ。雪合戦大会とか?」
「そうだなぁ……例えば」
俺の問いを受けて、雪菜は口元に手を添えて考え始める。少し演技っぽさも感じられたものの、やがて何か思いついたように声を上げ、人差し指を立ててみせた。
「クリスマス、なんてどうかな?」
また得意げに、雪菜は提案する。今まで耳にしたことのない単語、それを言い慣れているかのようにすらっと言う彼女に、俺は一種の恐怖感を覚えつつあった。
く、くるし……ます?
コイツ、何語を話しているんだ?
「く、クルシミマス? なんだよ、それ。何をする日なんだ?」
「クルシミマスじゃなくてクリスマス! 苦しんじゃ駄目でしょ! まあ、いいや。クリスマスはね……そうだなぁ、キリストっていう人の誕生日を祝う日だった気がする。本当に誕生日だったかどうかは自信ないけど」
「おいおい、ハッキリさせてくれよ」
随分と曖昧な物言いに、俺は呆れたように言い返してしまう。
にしても、また知らない名前が出てきたな。
「何で知らない人の誕生日を祝わなきゃいけないんだよ。しかも世界中でって、そんなに偉い人なのか?」
「まあ、そんな感じ。キリストってね、キリスト教っていう宗教を開いた人なの。神様の子とも言われてて──」
「馬鹿、やめろ! お前も今のご時世解ってんだろ? 冗談でもやめた方がいい。誰が聞いてるか解ったもんじゃない。先生も話してただろうが」
誰も見ていないはずなのに、何故か空気が緊迫しているように感じる。恐らく気にしすぎかもしれないけど。それぐらいデリケートな内容なんだ。この学校には、海外からの転校生も沢山いると言うのに。
「とりあえず、仮に魔法が使えるとしても、新しい宗教作るとかいう馬鹿な考えはやめろ。マジで戦争が起こるぞ?」
「もう、幸輝ったら気にしすぎ。まあ、だけどわたしたちの過ごすクリスマスは、キリストほとんど関係ないんだけどね」
「はぁ? 誕生日なのにか?」
「そう! クリスマスツリーとかイルミネーションとか飾って、家族とか友達とかと出かけたり、家で過ごしたりして、一緒の時間を過ごすの!」
クリスマスツリー……? イルミネーションも、何でわざわざ?
……ますます意味が解らなくなってきた。
「ごちそうとかも凄いんだよ? おっきいケーキとか、お肉とか!」
「何で知らないヤツの誕生日のためだけに、わざわざ人集めてメシ食うんだよ。しかも本人いないし。だったらエジソン誕生祭でもいいじゃねぇかよ」
「ううん……何でだろうね。そういう習慣があったから?」
「ないだろ。現実見ろ。あと、主役を交えないでプレゼント交換とか、もはやイジメじゃねえかよ。行事にしないで、普通に本人の家で誕生パーティーやれよ」
「ええ? だってもう亡くなっちゃってるし。それに! クリスマスとプレゼントって密接な関係があるの! サンタさんっていうおじさんが、世界中の子供たちにプレゼントを配るんだよ?」
「サンタサン? 誰だよ、そのオジサン。ってかどこから出てきたんだよ。きりすと……のお祖父ちゃんか?」
「わたしもよくわかんない。でもね、そのサンタさんって人、すごく優しいの。赤い服を着て空飛ぶソリに乗って──」
「おいちょっと待て。ソリが空を飛ぶ? なんじゃそりゃ」
「いいから黙って聞いてよ。それでね、そのソリをトナカイが引っ張って──」
「いいや、ちょっと待て。空飛ぶソリをトナカイが引っ張る? 何でトナカイなんだよ、鳥でいいじゃないか」
「うるさいなあ、そういう設定なの! それでね、そのソリに乗って、夜に世界中の子供たちの家にプレゼントを届けに行くの。その時、煙突とか窓から家に入って、子供たちが寝てる枕元にプレゼントを置くの。どう? なかなかロマンチックでしょ?」
……ロマンチック云々以前に、それっていわゆる不法侵入じゃないか? そうツッコミそうになったけど、流石にくどくなるから堪えた。
「で? 雪菜はプレゼント交換をしたいがために、そのクリスマスを作りたいのか?」
代わりにそう問うてみると、さっきまで嬉々と語っていた雪菜の身体が、一瞬だけ固まった気がした。
「あ、いやそうじゃなくて……確かにそれもしたいけど」
「いや、どっちだよ」
「その……そう! 友達! さっき言ったでしょう? クリスマスは家族とか、友達とか、恋人とかと過ごす時間だって」
「ん? さっき、恋人含まれてたか?」
「含まれてた! とにかく、クリスマスを作ってさ、一緒に遊びに行こうよ。クリスマスの街並みって凄い綺麗なんだよ? 思わず溜息が出ちゃうくらい! きっと、幸輝も楽しめるかなって!」
「まずそのクリスマスらしさが何たるかを知らないんだけどな……その、なんだ」
頭を掻きながら、僕は雪菜に目を向ける。
「それって、わざわざ新しく行事を作ってまでやることなのか?」
「……えっ?」
「普通に一緒に遊ぼうとか、出かけようで良いんじゃないか? わざわざ新しい宗教作るとか、誰かの誕生日を祝うためとか、そんな大それた理由付ける必要ないんじゃないか?」
「えっ、そ、それは……」
言葉を濁らせて、雪菜は俯いた。
全く、相変わらずコイツは素直じゃない。
「普通に誘ってくれれば乗ってやったのに。どうしてそんな、クリスマスにこだわろうとするんだよ。どっか行きたいのなら、遠慮なくそう言ってくれれば──」
「駄目だよ」
不意に、雪菜がはっきりとした声で俺の言葉を遮ってくる。驚いて目を向けたが、彼女は俯いたままだった。顔色を窺うことも、残念ながらできなかった。
「もう、やだなあ。幸輝ったら。急にそんな優しくされたら、どんな顔したらいいか解らなくなっちゃうじゃん」
「は? 何だよ、急に……お前が言い出したんだろうが」
「それにさ、幸輝。前提を忘れてるよ。わたしはさ、幸輝が鈴原先輩をデートに誘えるように行事を増やそうって提案したんだよ? それなのに、わたしと出かけようって言ったら、何の意味も無くなっちゃうじゃん」
そう言って、雪菜は顔を上げた。
日光を反射した、ダイヤモンドダストのような笑顔だった。
「だから……楽しみにしてて! 明日にはクリスマスがあるのが当たり前な世界になってると思うから!」
「えっ、ちょっ……何言って──」
俺の制止を聞かずに、雪菜は自分の鞄を背負い、教室の扉の方へと向かった。その背中を呆然と見つめていると、彼女は廊下に出たところでこちらを振り向き……微笑んだ。
「それじゃあ、ばいばい!」
明るい声音でそう言った雪菜は、俺に手を振ってそのまま行ってしまった。
いつも通りのはずなのに何故か寂しそうに見える笑顔が、しばらく頭から離れなかった。
帰り道。黄昏の橙色が煌めく、線路沿いの道。
昇っていく白い息を見つめながら、ずっと、雪菜のことを考えていた。
いつもならこの時間は……特に掃除当番が一緒だった日は必ず、アイツが引っ付いていた。まるで、飼い主の後を追ってくる飼い犬のように。
だけど、今日は隣にアイツがいない。厄介に思ってたはずなのに、いざ離れてみるとその喧しさが恋しくなってくる。この数年で、俺も変わってしまったのかもしれない。
いや、急にこんなことを考え出した理由は、それだけじゃない気がする。
さっきの雪菜の去り際の表情。あれがずっと、胸のどこかで引っかかっていた。満面の笑みの中に隠された、寂しさめいたもの。普段と変わらない挨拶のはずなのに、明日になればまた会えるって解ってるはずなのに、何だか嫌な予感がする。もう二度と、アイツの活発的な声を聴くことは無くなるかもしれないって。
……馬鹿だな、俺も。雪菜のアニメ脳が移っちまってる。
そんなアニメみたいなこと、起きるはずもないのに。
多分、雪菜の前で鈴原先輩の話をしちゃったことを気にしすぎてるんだ。……そうだ。冬休みのどこかで、アイツを遊びに誘ってみよう。雪菜も誘いたそうにしてたわけだし。そうすれば、少しは機嫌も直るんじゃないか。何なら、今から連絡しても──。
……そういえば、アイツの連絡先知らないや。
俺もこの前、スマホデビューしたばっかりだし。
「……しょうがない。明日、直接誘ってみるか」
そう呟いてみたものの、その頼りない言葉は、すぐ横を通過する電車によって跡形もなく消し去られてしまう。けど、誰かに伝えるわけでもないから、消されても問題なかった。
そうだ、どうせ明日になったらまた会えるんだ。またいつものように、犬みたいに飛びついてくるはずだ。
だったら、今日は何もしなくて大丈夫だろう。
そう、明日になれば。
◇ ◇
目覚まし時計が、けたたましく鳴った。
目をこすりながらその忌々しい音を止め、二度寝しようと布団に潜る。潜ろうとして、ハッと目が覚醒する。
今日はクリスマスイヴ前日。冬休み前に鈴原先輩に会える最後の日だ。デートに誘うなら今日しかない。この日を逃せば……もう後はない。
……やばい。今から緊張してきた。心臓がバクバクうるさい。
でも……大丈夫だ。デモンストレーションは、完璧に済ませてる。
多分、先輩はいつもと同じように、学校終わりに部室に立ち寄るはずだ。まずはそこに偶然を装って入る。そこで映画のチケット二枚を取り出して、こう言うんだ。
「実は友達と行くはずだった映画のチケットが一枚余っちゃって……良かったら先輩、一緒に行きませんか?」
よし、一言一句完璧に覚えてる。勿論、余ったわけではなく、二枚ともこの日のために自前で買ったわけだけど。あとは誠心誠意を込めて、下心を出さないように伝えるだけだ。
温かい布団の中で深呼吸して、俺は冷たい下界へと飛び出した。すぐさま上着を羽織って、布団の熱が逃げないように気をつける。
––––それにしても。
何か……忘れているような気がする。
鈴原先輩をデートに誘うのと同じぐらい大切で、絶対に忘れたらいけないものを、忘れている。
まあ、忘れるってことはそんなに大したことじゃないってことだ。今は置いといて、いつか真面目に向き合うことにしよう。
その日は、いつもの何倍も身支度に時間をかけて、通学路に足を踏み入れた。寒さのせいだろう、ずっと震えが止まらなかった。
◇
そうだ……これで良かったんだ。
幸輝と別れてすぐ、学校の屋上に逃げたわたしは、鞄の中から魔法のステッキを取り出した。空に掲げたピンク色の結晶が、黄昏の光を通して不思議な色を放っていた。
フェンスの網目をそっと掴んで、空の橙色の線をじっと見つめる。
そう、これで良いの。
だって元々、わたしのエゴから始まったものだもん。
クリスマスを消そうと考えたきっかけは、小学校の頃。わたしはその時、三年の時に担任だった男の先生に好意を寄せていた。いつもわたしのこと褒めてくれて、優しくしてくれて。
だからわたしは勘違いしてしまったのだ。先生はわたしのこと好きなんだって。子供にありがちな勘違いだって言われるけど、わたしとしては考えるだけで胸が痛くなる。
だけどある日、同級生からこんな話を聞いた。先生には彼女がいる。結構長く付き合っているらしくて、今度のクリスマスでプロポーズするらしい、って。それを聞いた瞬間、わたしは沼に沈んでいくような感覚に陥った。ご飯は喉を通らないし、まともに寝ることもできない。あんなに好きだった先生の授業も、上手く聞き取れなくなってしまった。
このままだと、本当に先生は別の人と結婚しちゃう。
どうして? わたしのこと好きだったんじゃないの?
このままじゃいやだ。いっそクリスマスなんか無くなってしまえば──。
そんな風に途方に暮れていた、学校の帰り道。
「ちょっと、そこのあなた」
わたしは、バクの被り物をしたスーツの男に、声をかけられた。
「あなたのその悩み、私に聞かせて頂けませんか? もしかしたら、その悩みを解決する手掛かりが見つかるかもしれませんよ?」
知らない人にはついていくな。昔からずっと言われてきたことだった。
けど、何故か「悩みを解決する」という言葉が頭から離れなくて、吸い寄せられるようにわたしはバクの男に近づいた。詐欺に引っかかる人も、多分こんな感じで騙されていくんだろうなと今になって思う。
「ええ、ええ。なるほど。それは災難でしたねぇ。それでクリスマスを抹消したいと……いやあ、あなたは本当に頭がいい。そんなあなたにとっておきの商品がありまして。ご覧になりますか?」
そう言って、男は手に持っていたツールケースから「商品」を取り出し、わたしに見せてきた。金色の取っ手に、ピンク色の結晶。女児アニメの映画特典で付いてくるライトをそのまま巨大化したかのような、ファンシーなデザイン。
バクの男は、それを「魔法の杖」だと紹介してくれた。
「その杖に込めた願いは大抵叶えることができます。死んだ飼い犬を生き返らせることも、喧嘩した友達と仲直りすることも簡単にできます。勿論、クリスマスを消すことだって、できちゃいますよ」
「ほ、本当に?」
「ただし、願い事には相応の対価が支払われます。対価となるものはこの杖が勝手に決めてしまうので、くれぐれもお気をつけて」
それだけ言い残して、バクの男は去ってしまった。対価が支払われる、その重大性を小学生だったわたしは全く理解できていなかった。
だから……願ってしまった。
クリスマスなんて消えてしまえ、と。
そしたら本当に、クリスマスが無くなってしまった。クリスマスツリーとかイルミネーションだけでなく、クリスマスの概念そのものが、消えてなくなってしまった。それほどの力を、この杖は持っていたのだ。
そんな超常現象を「魔法」の一言で片づけた当時のわたしは、クリスマスが無くなったことにウキウキしながら、家に帰った。帰ろうとした。
だけど──家がなかった。
お父さんも、お母さんも、大好きなおもちゃも、家も、跡形もなく消えてなくなっていた。まるでそんなもの最初から無かったかのように、土地だけを残して消えていた。
そこでようやく、「代償」の意味を知った。
だけど、知るには何もかも、遅すぎた。
わたしは泣き叫んだ。泣いても戻ってこないことなんて解っていたのに。夜通し泣き続けた。流石にうるさかったのか、近所の人に怒鳴られて公園に逃げた。
遊具の上で、どうするべきか夜通し考え続けた。冬の冷気が吹きすさぶ中、眠気が頭を支配する中、必死でどうしようかと考え続けた。
……最終的に頼れたのは、魔法の杖だけだった。
後先考えず、お父さんとお母さんを取り戻すことだけを考えて、叫んだ。
「わたし、大人にならなくていいからっ、家族とお家を返してください……!」
すると、クリスマスを消した時のように杖の先から光が溢れ出して、元々家があった場所めがけて飛んで行った。そうして、光が大きな塊となって、膨らんでいって、やがて見慣れた家屋の形になった。
わたしはハッとして、家に向かって夢中で走った。
扉を開けると、そこには涙を溜めた母さんとお父さんの姿があった。
何時だと思っているんだ──そう怒るお母さんの胸の中に、わたしは飛び込んだ。その時は恐らく、人生で一番涙を流した。何度もごめんなさいと謝ったけど、多分別の意味で受け取られたんじゃないかなって思う。
家族は戻ってきた。家も元通りになった。
だけど、その代償として……成長が止まってしまった。
身長は伸びない。整理も来ない。他の女の子みたいに、胸が膨らんでくることもない。
わたしは察した。本当に、成長が止まったんだ。もう大人になることはない。そう考えると、後悔の念ばかりが胸に積もっていく。
どうして、あの杖を受け取ってしまったんだろう、と。
その日を境に、わたしは杖を使うことをやめた。これ以上使ったら、もっと大事なものを失ってしまう。そう思ったから。例の先生は、クリスマスが無くなっても普通にプロポーズして結婚した。わたしの苦労は、結局無駄になったのだ。
だからもう恋もしない。恋のせいで、わたしの人生は狂わされたんだから。
そう思ってたのに……わたしは、自分が思っている以上に単純な女だったらしい。
中学に入ってから、成長が止まっても尚、変わらず接してくれる幸輝に、恋をしてしまった。
けど、これも結局片思いで終わる。幸輝には好きな人がいるし。
そんな幸輝の恋を、わたしが邪魔している。クリスマスが無くなったことで、誰かの結ばれるはずだった運命を阻害してしまっている。
わたしは、幸輝が好きだ。
顔も、優しい性格も、声も、どこまでも正直で可愛いところも全部、大好き。
だから、彼には幸せになってほしい。
……どっちにしろ、こうするつもりだった。身長も容姿も変わらない、この状態が怪しまれないのは高校までだ。お化粧で老けてみせるのにも限界がある。だからいずれ、みんなに知られない形で消えようと思っていた。
そのタイミングが、今になっただけだ。
「……お願い、魔法の杖」
そう呟いて、わたしは杖の先についた結晶を空に掲げた。純白の淡い光が、内側で蝋燭の火のように灯った。
「わたしの存在なんてどうでもいい。だから、クリスマスを元に戻してあげて」
結晶の光が、夜空に浮かぶ恒星のように、強く瞬いた。
「それと……幸輝の恋を叶えてあげて。これがわたしの、最期のお願い──」
……あーあ。
わたしってホント、恋愛が下手だなぁ。
杖の先から出た光が空高く吹き上がって、花火のように空中でパッと開いて、星が見えつつある空に染み渡っていく。最期にクリスマスの風景を一目見たかったけど……もう駄目みたい。手の先、足の先とか、身体の至るところが光の粒子となって空に昇っていた。わたしの身体が、間もなくこの世から跡形もなく消えてしまう。
そうだ、聞こえるかわからないけど、最後に言っておこうかな。
フェンスの向こう側──アイツの家がある方角に向かって、わたしは思い切り叫んだ。
──大好きだったよ、幸輝。
空に落ちていく涙と、カシオペア座の光を視界に収めて、わたしは消失した。
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