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文章について言語化してみた

文章を書くのは難しい。一言二言ぐらいなら絞り出せるけれど、1000字以上になると手が止まり始める。別段、誰かに向かって訴えたいこともないのに無理やり書いている。
こうした記事でなくても、手紙を書くときでさえ苦悩する。テンプレートをそのまま書いては意味がない。少しは違うことを取り入れて、手紙をもらった人に「よかった」と思ってもらいたい。そうでなければ「無駄な手数を踏ませてしまった、こんなことなら書かなければよかった」と後悔するだろう。


私にとって文章は重要な位置を占める

私にとって文章を書くということは話すことより重要なことである。難聴であることが大きい。聞くことはおろか、話すことはそれほど得意ではない。それならテキストに頼るしかない。今までテキストコミュニケーションには注力してきた。

メールの存在、筆談の面倒臭さ

中学生の頃、「メール」という存在にいたく感動した。単純な私はこれで喋らなくてもコミュニケーションができると思った。普段、喋らない私もメールになると長文になる。話したいことがたくさんあったのだ。でも、顔を合わせば音声によるコミュニケーションになる。メールはあくまで顔を合わせないときに使う補助的な手段だったのだ。
そうか、聞こえる人にとっては口話の方が楽なのだ。それはそうだ。中学生の頃は「筆談して」とお願いしたこともあったが、書くというのは面倒なもので断られることが多かった。

ひたすら小論文を書く日々

高校生になると、大学受験で「小論文」を書く必要があった。第一希望の大学がたまたま小論文のみで面接がなかった。小論文ならハンデがない、努力すれば受かるはずだ、と考えた。
その日から高校の国語の先生に毎日900字程度の小論文の添削をしてもらった。これまで考えたことのないテーマを書かなければならなかったので、まず一般論を調べることからはじめた。樋口裕一先生の小論文対策本を買った。これが書くのに大いに役に立った。テーマに対して賛成の立場、反対の立場が書かれていて、そのテーマの自分の立場に対する反論、反論の反論を書くのにとてもよかった。それから、小論文には「型」があるので、それに沿って書けばそれなりに読める文章になる。あとは鍛錬を重ねて添削をしてもらい、言われたことを受け入れて洗練させるだけだ。おかげさまで大学に合格することができた。運が良かった。
余談だが、小論文に注力しすぎて授業はほとんどうわの空だった。900字の文章を書くのに何時間もかけてしまい、徹夜続きだったのだから仕方がない。

社会に出ると口話が強い

反転して、就職するとまた苦悩が始まる。ちょっとした指示のほとんどが口話なのだ。これが文字に変換されたらいいのに、と何度も思った。聞き取りやすくなるように配慮してくれるのはとてもありがたいことだけれど、文字があればもっと対等になれるのに、と悔しい思いをした。
プライベートでは一対一を貫く。静かな場所で一対一であれば聞き取れる。初対面の人はそれで「聞こえる」と思う。でも、それが限界なのだ。
SNSもメールもコミュニケーションの補助的手段なのは相変わらず。やはり、顔を合わせて会話をするということは力強く、わかりやすいのだろう。
顔を合わせて会話をすることが嫌なわけではない。むしろ、そうしたいという気持ちの方が大きい。ただ、高い壁が立ちはだかっている。

一方通行なようで遠回りなテキストコミュニケーション

これまでテキストコミュニケーションについて語ってしまったが、記事や本など一方的なテキストについてはどうか。会話とは違う。読者は最初から受け身の体勢になっている。読んで何かを思う。ものすごく遠回りなコミュニケーションのようにもみえる。これまでの話の延長にすぎない。
基本は対面と同じようなもので、つまらなければ次はないだろうし、面白いと思えば他の記事や著作を読む。読めば読むほど印象が変わるものもある。
テキストを書く側になるとものすごく頭を使う。相手があるものだけでなく、自分だけのテキストに対しても言葉を選ぶ。私が思い描いているイメージに合う表現が見当たらないこともしばしばある。会話では反応するのに精一杯だ。そんなことを考えようなものなら一々詰まって会話が全く進まない。
すでに言語化できているものなら別だが。

文章の強みは時間をかけて考えることができること

口話でのコミュニケーションがスムーズにいかない私にとって、文章はとても自由に感じる。読むのも書くのもマイペースだ。イメージしたものが言語化すると情報が狭められてかえって不自由なのかもしれないが、それは「言語」という時点で口話と変わらない。テキストは読み書き両方とも時間をかけて考えることができるのが強みだ。
書き初めが面倒で時間がかかるが、数行かけばあとは勢いで書ける。プロットがあればそれに沿って書けばいいのでそれまでの作業を丁寧にやれば楽になる。

文章力を鍛えるには書くしかない

高校生の頃の話に戻るが、私は文章力を鍛えるためにブログを開設したことがある。そこで交流も生まれた。とても楽しかった思い出がある。
今もまた同じような理由で書いている。AIが台頭してなおさら文章力、そして言語化する力を鍛えた方がいいと思ったからだ。冒頭に書いたようになにか伝えたいことがあるわけではない。
結局のところ、自分のフィールドは自分でつくるしかないようだ。

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