【単発コラム】「表現の不自由展・その後」を観て
あいちトリエンナーレ内の企画展「表現の不自由展・その後」(以下「不自由展」)に対する攻撃・脅迫とその後の顛末について、自分の中ではすべて答えが出ていたが、それでも実際に鑑賞する機会を得られたことは、パズルに形のわかっている最後のピースを嵌め込むような満足感と納得感があった。
まず「不自由展」の内容と印象について。もちろん、どんな展示内容であろうとも原則として規制や検閲はされてはならないのだが、内容によっては厳格なゾーニングが必要だったりということはあるだろう。攻撃者たちは「日本人ヘイト」とか「日本人が傷つけられた」と言うが、日本人全体と言わず、そういう人たちが「傷つく」ほどのものなのか。また、展示の形式なりがそうしたことに配慮していたか。そこについては意識しながら鑑賞した。
一言で言って、それは全体として「おだやかな」展示だった。中垣克久作品がほぼ唯一、激しい主張を放った作品と言えただろうが、それ以外はむしろ静かに訴えかけるものであったり、作者自身の内面に深く降りていくものであったり、あるいはユーモアであったり(岡本光博「落米のおそれあり」)。もし今回の攻撃者たちが、意図せずにこの会場に足を踏み入れてしまったとしても、「あ、いやだな」と思ったら素通りすればいい程度のものだったろう。当初の「不自由展」は若干配置等が違ったようだが、それでもこの点は変わらないのではと思った。
「平和の少女像」と並んで攻撃の対象となった大浦信行の一連の作品についてもそうだ。富山県美術館の収蔵から外され、これを含む図録が焼却処分されたコラージュの組作品「遠近を抱えて」自体は、謎めいた雰囲気の、むしろとっつきにくい作品で、作者の個人的な内面に強くコミットしている印象。もちろん、昭和天皇をちゃかしたり貶めたりしているようには見えない。そしてこの図録焼却事件を踏まえたとされる、近作の映像作品「遠近を抱えて Part II」だが、これはより具体的に作者の心象風景を表しているようだ。もちろん焼却されているのは「遠近を抱えて」という作品であり、昭和天皇の肖像そのものではない。それでも「不敬」(この言葉自体、今頃よみがえって来ているのが気味悪いが)だと思う人は、映像作品を作品として、物語として理解できていないのだろう。私にはこれがまるで、昔の恋人の手紙を燃やすシーンのように思えた。「どうしてこんな人に入れあげちゃったのかな……」と思いながら、その人を好きだった自分を否定できない、というような。そこには激しい怒りも侮蔑もなく、ただ過去を振り返る内省的な眼差し、決別しようとしてできない心の揺れが、静かに描き出されている。シーンの背景に流れる民謡風の唄も、そこに土着的な共同体のしがらみへの複雑な感情を重ねているかのようだ。コラージュ同様、必ずしもとっつきやすい作品ではないが、研ぎ澄まされた意図がかなりの人には届く、そういう作品に思われた。
「不自由展」の展覧会としての「出来」はどうかというと、満足度8割くらいだろうか。あえて贅沢をいえば、ここをもう少し良くできるのでは、という点はあった。しかしそもそも出来の問題と検閲とは別の話である。やはり観られてよかったと思うし、これを観られないような圧力を行政がかけるのは裁量権を逸脱していると思う。よく持ち出すたとえだが、図書館にあなたを不快にする本が置いてあったとして、それを置かないよう図書館に強要する権利があるか、ということと同じだろう。答えは当然ノーだ。あなたがその本を「読まなければいい」のだ。
そしてもう一つ、展示再開後の鑑賞方式についての感想を記しておきたい。ご存じのとおり、再開後は「不自由展」を自由に鑑賞することはできず、抽選による1回30〜35人のガイド付き鑑賞となった。入場にあたっては公的な身分証を提示し、誓約書を提出、貴重品を除き荷物はすべて預け、入口では金属探知機の検査を受ける。また、抽選用リストバンドの配布、結果発表の確認、そして鑑賞30分前の集合・手続きと、3度にわたって他の展示の鑑賞時間を中断され、あいトリ全体の鑑賞の自由まで著しく制限されるのだ。つまり残念ながら、ほぼ自由な鑑賞ができると言える環境は実現できなかった。安全上やむを得ないとはいえ、それをやむを得なくしているのは脅迫や業務妨害レベルの電凸であり、それを事実上容認している政府と警察である(テロリストの脅迫には屈しないのではなかったのか?)。ガイドツアーの開始を待つ間、このことに改めて沸々と怒りが湧いてくるのを禁じ得なかった。私はこの卑劣な攻撃をした連中と、それを事実上容認し延焼させた安倍政権と河村名古屋市長を、一生許すことはないだろう。こうした集団的な妨害や、政治の不当な介入が行われない社会になるまで、目を光らせつづけなくてはならない、と強く思う。