【感想】NHK 歴史探偵「ブギウギコラボスペシャル」を視聴しました
2024年3月6日(水)22:00~22:45 歴史探偵「ブギウギコラボスペシャル」を視聴しました。
<始まる前に>
今日はNHK朝ドラの番宣らしいです。
笠置シヅ子、名前だけは知っているという感じ。
<NHKのあらすじ>
歴史探偵とブギウギがスペシャルコラボ!
昭和の大スター笠置シヅ子と激動の時代を読み解く。
名曲「東京ブギウギ」誕生の秘密も紹介。
歴史探偵で朝ドラがもっと楽しくなる!
■ブギウギコラボスペシャル
●スタジオで
実際に使われた小道具をお持ちしています。
茨田りつ子役の菊地凛子さんと秋山美月役の伊原六花さんがゲストで登場。
時代背景を紐解いていきます。
笠置シヅ子の代表曲
「東京ブギウギ」
「ヘイヘイブギー」
「ジャングル・ブギー」
「買物ブギー」
■笠置シヅ子のルーツ
「東京ブギウギ」昭和23年の笠置シヅ子の大ヒット曲です。
・MITCHさん(トランペット奏者)
「動きながら歌う、センセーション、パイオニア的でした」
「ラッパと娘」
リズム感が生み出したもので、体を激しく揺らしながら歌う、衝撃的な歌でした。
大阪の道頓堀へ行くと分かります。
■ラッパと娘誕生の秘密
道頓堀へ
・吉川裕之さん
大阪のエンターテイメントのカオス、芝居小屋が江戸時代から並んでいて、文楽も始まっています。
関東大震災で帝都東京は壊滅し、大阪に移る人が増えました。
日本最大の都市へ、大大阪時代の到来です。
道頓堀は、園芸の中心として賑わいました。
大阪松竹座
笠置シヅ子は、昭和2年13歳で松竹楽劇部に入団します。
「恋のステップ」当時の歌声が残っていました。
高音で歌う合唱スタイルで大きく異なっています。
シズ子の運命を変える人物との出会いがありました。
ジャズの音楽でみんな踊った、道頓堀ジャズが大流行しました。
曲のリズムは、スイングという形で、「ラッパと娘」にもジャズのスイングが。
道頓堀ジャズにどっぷりのめり込んでいた作曲家が服部良一です。
ブギウギでは草彅剛演じる羽鳥善一のモデルです。
この頃、転機が訪れます。
松竹楽劇団の副指揮者に選ばれたのです。
関東大震災から10年あまり、大阪の娯楽文化が東京に流れ込んでいました。
白羽の矢が立ったのが笠置シヅ子でした。
服部が初めて会ったときの印象
「下りまゆのショボショボさせた小柄の女性、三センチほどもある長い付けまつ毛の下の目はパッチリ輝き
激しく歌い踊る。その動きの派手さとスイング感は他の女の子とは別格」
一つだけ気になったことが、シズ子の歌い方です。
合唱スタイルの高い声で歌っていたシズ子、服部良一が目指していたのはアメリカの地声を使った歌い方です。
・輪島裕介さん(大阪大学)
「クラシックとは違う、考えた結果が地声です」
歌い方を矯正し、練習に打ち込んだ結果完成したのが「ラッパと娘」
スイングの女王と呼ばれるようになり、昭和の大スターの階段を登り始めます。
●スタジオで
佐藤所長「地声で出てきたときおーっとなりましたよね」
菊池さん「すごい勇気がいっただろうし、服部先生の魅力とりつかれたと思います」
趣里さん「ラッパの演奏者の方と掛け合いを楽しむ、エンターテインメントなんだと感じました」
佐藤所長「音楽のお客さんと一体となったグルーブ感覚は羨ましい」
・佐藤利明さん
淡谷のり子「歌を勉強したものにとっては恐ろしさを感じます」
「声楽を学んだブルースの女王は、地声で歌う笠置シヅ子は淡谷さんの考えにない」
菊池さん「『どうしようもなく下品ね』という言葉が出てくるほど興味を持った淡谷のり子の一言と感じました」
第二次世界大戦が始まります。
■戦争に突入
昭和14年1939年戦争に突入
「ぜいたくは敵だ!」というスローガンが掲げられ、娯楽への締めつけで笠置シヅ子は目の敵にされます。
四角い囲いの中で歌うことを義務付けられます。
長いつけまつげは贅沢すぎる、今後歌ってはならない。
●1941年太平洋戦争が勃発
ダンスホールや劇場は閉鎖され、娯楽の火は消えていきました。
ジャズは敵性音楽とされ歌うことも聞くことも禁じられます。
さらに、最愛の弟・八郎を戦争で失ったのです。
絶望の中でシズ子は歌い続けました。
「大空の弟」服部良一がシズ子のために作詞作曲したものです。
八郎のことを描いた曲です。
音源が残っておらず、幻の曲です。
ブギウギでは、残された楽譜と資料からアレンジした歌が披露されました。
・服部隆之さん(作曲家)
ドラマで未放送のパートがありました。
少し曲調が明るくなる、後半はアップテンポな曲になっていました。
シズ子を励まそうとする服部良一の思いが込められていると言います。
●終戦
連合国軍最高司令官マッカーサーがが厚木基地に到着GHQの占領下に。
娯楽文化が復活します。
名曲が誕生します。
昭和23年に発売された「東京ブギウギ」
空前の大ヒットをします。
■「東京ブギウギ」なぜ大ヒットしたのか
それまでシズ子が歌っていたのは4ビートのスイングでした。
ブギウギは、アップテンポの8ビートで構成されています。
・服部隆之さん
「独特のリズムで、体が動いてしまったでしょうね」
もう一つ心を掴んだのが歌詞です。
ズキズキ、ワクワク、胸の鼓動を表す言葉が8ビートにマッチします。
具体的に楽しみ方を教えてくれる、歌がその気分を引っ張り出してくれる
前に向かって歩みだそうとする人に、高揚感を与えました。
・木場則子さん
「一緒になって体を動かしていました。元気もらいました」
●スタジオで
佐藤所長「すばらしいなと思いました」
菊池さん「前に前に歌っている姿勢はすごいぐっときます」
伊原さん「はっきり説明してもらえた感じがしてみんな入りやすかったんだろうなあと思いました」
8ビートの効果は学術的にも認められています。
西田裕介教授(国際医療福祉大学)
「交感神経が活発になり、気持ちが高揚する」
笠置シヅ子
「東京ブギウギは私自身の復興ソングだったのですが思いがけなく戦後大衆の復興ぶしとなりました」
戦後流行ったものがあります。
「パーマ」電気パーマ機
佐藤さん「GHQ民主化政策でカラーの映画やミュージカルの出てくる女優は真っ赤な口紅、ネイルがスタイルとなり、カラフルな時代の自由を味わいました」
全国に広がっていきます
■買物ブギ
●朝鮮戦争による朝鮮特需
「買い物ブギ」
魚や野菜など豊富な品物、庶民の日常が歌われています。
・輪島裕介さん
「消費に対する欲望が換気されるような部分を訴えかけた」
・東京ブギウギ27万枚
・買い物ブギは45万枚
日本各地のご当地ブギを作ることに取り組みます。
大阪、博多、名古屋、ブギを作ってほしいという依頼が殺到しました。
シズ子は、仕事の合間を見つけある場所を訪れます。
●香川県東かがわ市引田
生まれ故郷の東かがわ市引田です。
凱旋公演されたときの記念写真が残ります。
・橋本康男さん
発展から取り残されている地域もありました。
・八木さん、高橋さん
「ヘイ!がよかった」
●1953年テレビ本放送開始
初日の番組を飾ったのは笠置シヅ子でした。
「今週の明星」スターであり続けました。
引田、知られざる一面を感じさせる写真がありました。
一人娘ヱイ子を連れて釣りを楽しんでいる写真です。
シングルマザーのシズ子にとって、ヱイ子はかけがいのないものだったと言います。
●スタジオで
佐藤所長「弟さんを亡くされて、歌があるから辛さを乗り越えられた」
実は昭和32年(1957年)に43歳で歌手を引退することを決めてしまうのです。
ーーーおわりーーー
次回は「誕生!「古都」京都」3月13日(水)22時放送です。
■感想
「ブギウギ」というドラマを見たことがないので、なんとも言えないのですけど、昔の芸能人なのでいろいろ数奇な運命に巡り合った人だったようです。
今回は番宣なので暗い話題には触れていませんが、かなりあったらしいです。
この時代の芸能界は、闇が深そうで調べると面白そうですが止めておきます。
芸能興行というのはドロドロしていそうですね。
これは触れちゃだめというものが多そうで興味津々。
それにしても、NHKというのは、プロパガンダのために設立されたということだけは覚えておいたほうが良いでしょうか。
まあ、私もこの記事を書くように、そのプロパガンダを撒き散らす役目を、知らないうちにやっているんですけど。
面白いものは面白い、と是々非々で考えるようにはしています。
あまり内容とは関係なくてすいませんです。