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【感想】NHK 歴史探偵「戦国レジスタンス 村上海賊&雑賀衆」を視聴しました

2022年1月26日(水)22:30~23:14、NHKの歴史番組「戦国レジスタンス 村上海賊&雑賀衆』」を視聴しました。

<始まる前に>
村上海賊?村上水軍じゃなかったっけ?
雑賀衆は初めて学びますね。
案外、戦国時代は知らないことが多いんですよね。

<NHKのあらすじ>
信長が恐れた“日本最大の海賊”村上海賊と“戦国最強のスナイパー集団”雑賀衆!
知られざる強さの謎に迫る。
海の民の驚きの戦法!射撃のスゴ技!を徹底調査。

■プロローグ
織田信長に決して屈しなかった人々がいました。
紀州を根城にした戦国最強のスナイパー集団が雑賀衆。
日本最大の海賊が村上海賊。
大名でもない集団がなぜ信長に対抗できたのでしょうか?

■スタジオで
佐藤所長「海賊とかスナイパー、胸踊りますね」
先ずは村上海賊、村上水軍とも呼ばれています。
瀬戸内海を東西170kmに渡って支配していたのです。
諸説ありますが、海の民ではなかったかといわれています。

■愛媛県今治市能島
・村上海賊ミュージアムの田中謙さん
秘密は船に乗ってみるとわかります。
エンジンを止めると激しい潮の流れで船が流されていきます。
能島周辺は潮の流れが激しく、動きは複雑です。
地元では、”船に乗るより潮に乗れ”という言葉があるくらいです。
関所を設け通行料を取り、航海の安全を保障、瀬戸内海の海上交通を支配しました。

■村上海賊ミュージアム
「ほうろく」という爆弾のような武器です。
船が1そう沈没するくらいの力がありました。
火薬の原料、硝石は日本ではほとんど取れなかったのです。
村上海賊はどうやって原料の硝石を手に入れていたのでしょうか?
「猩々緋陣羽織」真紅の陣羽織、村上武吉のものといわれています。
実は、赤色に驚きの事実が隠されていました。
4年ほど前にこの赤色をどうやって出したかがわかりました。
原料はカイガラムシのコチニールでした。
袖口にはプリーツという洋服で使われる粧飾が。
村上海賊は海外と繋がりがあったようです。
手がかりが調査で見つかりました。

■その古文書をテレビ初公開
大友宗麟が村上武吉にあてた書状と伝わっています。
海外と積極的に交易をおこなっていたのが大友宗麟です。
軍事物資を進上しているので、村上海賊と大友宗麟は強いつながりを持っていました。
その強さがわかる事件があります。

■関所破りボコボコ事件(1551年)
「武家万代記」
村上海賊の関所を破ったことで、村上海賊は行動に出ます。
・山内譲さん
ボコボコ事件を再現してみました。
三方から潮が流れ込むエリアです。
村上海賊が得意とする場所でした。
得体のしれない船が停泊しています。
前方に居る船を避けるため島側を進行、すると、島影に隠れていた村上海賊の船が近づきます。
ほうろくが飛んできます。そしてもう1艘現れます。
先ほど進路を塞いでいた船も村上海賊の船でした。
両方から挟み撃ちにして攻める巧妙な戦い方でした。
信長との対決が迫っていました。

■スタジオで
河合先生「毛利と尼子の争いで足利義輝が仲介に選んだのが村上海賊でした」
能島の穴に杭をさしてあった跡が200あり、200艘あったらしいです。
残念ながら記録がありません。
能島、因島、来島が関所になっていました。
瀬戸内海は物流の大動脈でした。
もう一つの集団が雑賀衆です。

■雑賀衆
戦国最強の鉄砲集団、スゴ技の伝説があります。
遠くに吊るした釣り針、かすかに光るホタルも撃ち落とす。
・和歌山市立博物館の太田宏一さん
遺跡から出てきた鉄砲の弾です。
直径11mmくらいです。
戦国時代に多く使われていた弾19mmと比べると、小さい鉄砲弾を使っていました。
なぜでしょう?
それは狩猟用の火縄銃でした。
山に暮らしていたので狩猟が重要な生業でした。
雑賀衆は今で言う和歌山市民でした。
和歌山市全域に匹敵する地域に住んでいました。
最強になったのは生きるためでした。
不安定な時代、立ち上がったのが雑賀衆です。
自分の身は自分で守る。
その時手にしたのが狩猟用の鉄砲で、安かったのです。
威力は大きい弾の方が威力があるので、威力に劣ったのです。
知恵で弱点を克服していました。

火縄式鉄砲 Wikipedia

■十七、八間
「佐武伊賀働書」に、ある決まりごとが記されていました。
十七、八間つまり30mで狙うべし
30m先の的に5発撃ってもらいます。
5発すべて的の真ん中に命中し、厚さ1mmの鉄板もほぼ貫通しています。
次に、40mで撃ってみます。
的の中央に一発も当たらず、貫通もしていません。
30mが一発必中で敵を倒せる距離でした。
この距離なら行けるという分析をしていました。
更に命中率を上げるため、「こみかえ」という射撃法を採用していました。
「こみかへ」準備する人と鉄砲を打つ人に分業していたのです。
信長と直接対決することになります。

■スタジオで
河合先生「通常の射程距離は80mなので、それに近づくのは勇気のある行為です」
河合先生「大名とか宗教勢力が傭兵として雇っています」
村上海賊と雑賀衆繋がりがありました。
「過所船旗」通行許可証です。
村上海賊が雑賀衆への宛名書きに、紀州雑賀衆と読めます。
絹でできていて、上の方に書いているのは敬意を示しているのです。

能島村上家の過所船旗 天正玖年(1581年) 重要文化財(山口県文書館蔵)Wikipedia

■1576年織田信長との対決
最大の障害となった本願寺が徹底抗戦していました。
織田軍は総攻撃を仕掛けます。
その時、雑賀衆が織田軍に激しい銃撃を加えました。
本願寺が敗れると、次は自分たちの紀州を狙われる恐れがありました。
「信長公記」放たれた銃弾は雨のようで、織田軍は大敗します。
信長みずから戦場に向かいました。
織田軍は奮起、攻勢に転じます。
しかし、その時、一発の銃弾が信長の足に命中、攻撃を中断せざるを得ませんでした。
普通の人が権力者信長に立ち向かったことはありませんでした。
本願寺を包囲し、兵糧攻めにします。
800艘の大船団、村上海賊が現れ織田軍に襲いかかります。
そして、「ほうろくが投げ入れられ、船が焼き崩された」と書かれています。
翌年、信長は紀州に矛先を向けます。狙いは雑賀衆です。
しかし、またもや鉄砲に苦しめられました。
「織田信長朱印状」村上海賊に対しては、のぞみがあるなら何でも叶える。
味方に引き入れようと画策しますが、村上海賊はこれを拒否したのです。
決して信長に屈することはありませんでした。

■スタジオで

佐藤所長「この番組でも3本の指に入るほどカッコイイ」
豊臣秀吉が天下統一し、雑賀衆は攻め込まれバラバラになります。
河合先生「一部は秀吉に仕えています。徳川御三家に散らばって仕えています」
村上海賊は秀吉によってダメージを受けます。
「朝鮮通信使船上関来航図」
船団の一番前に「村上先乗」と書いてあり、案内役をやっていたのです。

ーーーおわりーーー

次回は「缶詰は見た 日本近現代史」2月2日(水)放送です。

■感想
村上海賊に雑賀衆、強いとは聞いていましたが相当強い事がわかりました。
自分の身は自分で守る、自存自衛の先駆けですね。
今の日本も見習いたいものです。
敵が攻めて来ても打ち返す気力だけは持ち続けたい。
その敵が誰であろうとも。
やられたらやり返すぞ、昔の人は自分を守る知恵を使っていました。
法律が守ってくれるというのは自明の理。
だけど、法律があってもそれを守らない為政者がいたら自存自衛しかない。
自然災害のように法律を超えてやってくる敵もいるわけです。
それに備えることは当然必要ですよね。


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