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“騎士団長殺し”読書感想文24. 《免色を演ずるとすれば月並みだが吉川晃司をイメージしてしまう》

“「『薔薇の騎士』は不思議なオペラです。オペラですからもちろん筋立ては大事な意味を持ちますが、たとえ筋がわかっていなくても、音の流れに身を任せているだけで、その世界にすっぽりと包み込まれてしまうようなところがあります。リヒアルト・シュトラウスがその絶頂期に到達した至福の世界です。初演当時には懐古趣味、退嬰的という批判も多くあったようですが、実際にはとても革新的で奔放な音楽になっています。ワグナーの影響を受けながらも、彼独自な不思議な音楽世界が繰り広げられます。いったんこの音楽を気に入ると、癖になってしまうところがあります。私はカラヤンかエーリッヒ・クライバーの指揮したものを好んで聴きますが、ショルティ指揮のものはまだ聴いたことがありません。もしよければこの機会に是非聴いてみたいのですが」「もちろんかまいません。聴きましょう」”

村上春樹氏は総合小説を書きたいという記事を、村上春樹本で読んだ記憶がある。“騎士団長殺し”にも、氏が愛好した“グレートギャツビー”の影は落ちているだろうし、シュトラウスの“薔薇の騎士”も聴いた。私にとって、2月の夜の寒々とした孤独感を、光と熱によって青春の息吹に満ちた春の夜に転換されたような充実を与えてくれた。氏の言う総合小説の所以だと思う。“薔薇の騎士”=湧き出る蘇生力・再生=人生との和解=冒険と躍動、そういった音楽。当然、“薔薇の騎士”は免色のまとうなにかの象徴として配されている。免色を演ずるとすれば、やはり月並みだが、吉川晃司をイメージしてしまう。または白洲次郎。ライトな超人のイメージ。人生の不可思議な難関を奇跡的な力で超克し乗り越えた、主人公を牽引し超自然の物語を引き立てる、ヴァン・ヘルシング教授的な副主人公。

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