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“騎士団長殺し”読書感想文20. 《今世界を覆う災禍がハーケンクロイツの旗とアウシュビッツのフラクタル時間に思えてならない》

“晴れていれば、食事のあとでテラスに出てデッキチェアに寝転び、白ワインのグラスを傾けた。そして南の空に明るく輝く星を眺めながら、雨田具彦の人生から私が学ぶべきことはあるだろうかと思いを巡らした。……生き方の変更を恐れない勇気、時間を自分の側につけることの重要性。そしてまたその上で、自分だけの固有の創作スタイルと主題を見出すこと。もちろん簡単なことではない。しかし人が創作者として生きていくには、何があっても成し遂げなくてはならないことだ。できれば四十歳になる前に……。

しかし雨田具彦はウィーンでどのような体験をしたのだろう?そこでいかなる光景を目撃したのだろう?そしていったい何が彼に、油絵の絵筆を永久に捨てる決心をさせたのだろう?私はウィーンの街に翩翻と翻る赤と黒のハーケンクロイツの旗と、その通りを歩いて行く若き日の雨田具彦の姿を想像した。季節はなぜか冬だ。”

自分にとっての激動の時期、事変の日々が、人生にとっての大きなものを決定づけると同時に、遺伝子または遺伝子的振動を介して祖先や子孫の運命をなぞりまた強制するのは確かだと思う。私の父方母方の血流にはそれぞれ、満州からの引き上げ者や台湾で事業を成功させた者がいる。今までの人生で、それらしき体験や縁もあった。築地でアルバイトしていた頃には、やつれ青ざめた元関東軍軍人から古びた軍刀を見せられつつ、7人の便衣兵を斬り殺した話を聞いた。四谷の喫茶店アルバイトでは香港や台湾の若者達と親しんだ。そして実ることも花咲かせることも無かったが、未だにその幻の面影を抱くダンテも頷く?ほどの恋も(マジ) 。“翩翻と翻る赤と黒のハーケンクロイツの旗”は、何か風雲のようなものを私にも伝えてくる。今の世界を覆う災禍は、私には、この赤と黒の旗とアウシュビッツのフラクタル時間に思えてならない。今の時代こそできるだけ多くの人々がもう一度アウシュビッツに心をいたすべきではないだろうか。何故ならば、膨大な死者の心が世界に量子力学的な影響を与えているとすると、アウシュビッツやユダヤ人絶滅収容所すべての犠牲者の死者としての認識は、まだ“大日本帝国、日本人はナチス・ドイツの同盟国であり、自分たちユダヤ人をこのように絶滅させる国であり民族だ”と呪い祟り続けているはずだから。彼らは杉原千畝も満州フグ計画も、知らないのだから。

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