“騎士団長殺し”読者感想文2.
「しかし、急にそう言われても、ぼくはまだ顔を持たない人の肖像というものを描いたことがありません。」私の喉はからからに渇いていた。「おまえは優れた肖像画家だと聞いている。そしてまたなにごとにも最初というものはある」と顔のない男は言った。…その笑い声らしきものは、洞窟のずっと奥から聞こえてくる、虚ろな風音に似ていた。…
「急いだ方がいい」と顔のない男は言った。「わたしはそれほど長くこの場所に留まることはできない」
顔が異次元の裂け目になっている男という造形は、なかなかだと思う。死神、死の天使の新しい造形だと。不穏な訪問者による不吉な運命の始まりだが、この導入部にもしも、例によって音楽を当てこむならば、どのようなものなのか。沈黙、静寂しかないのか。1Q84にはヤナーチェクのシンフォニエッタが、さり気なく挿入されているが、シンフォニエッタを聞いてから1Q84の物語イメージが一気に変わるのも確かだ。私には青豆が女007のように異形の世界に侵入していく冒険譚のイメージが重なった。
顔のない男、死神の顔には、能面や仮面の久遠の力を持ってしても、迫力不足だが、乳白色の霧の向こうに見える世界に読者が連れ込まれる深層心理学的な罠が仕掛けられていると感じる。亡者がこの世の境に留まり、嵐のような記憶と感情に苛まれる。幽界と冥界の境の川には奪衣婆、懸衣翁といった東洋の死神、死の天使がいて、亡者の業、カルマを計量し、行く先を決定する。その旅路の門出は人様々と思われる。なかには疾風怒濤の嵐吹き荒れる青緑色の海が、顔のない男の顔にあってもいいと思った。
あらゆるアーティスト、作家、クリエイターはインスピレーションを素材にするので、どうしても、世界におこる事象の気配、漣を感知してしまい、無意識に予知能力を現してしまう事は、現在特に顕著だ。前回世界が破滅に瀕した少しあとに、村上春樹氏も私達も生を受けた。奇しくも今度は私達が破滅に瀕する世界に遭遇してしまう事が、死神との物語という形で、村上春樹氏のインスピレーションに降りた、のかもしれない。