青春の古層2.
人間と町或いは都市の間には神話的生命が宿る、または降臨する、と思う。私における内的衝動の一つに芸術的なものに対する憧憬がある。最初の内なる感覚は、母が買い揃えていた世界文学全集の挿絵を拾い眺めしていた時に飛び込んできたF.G.ロルカの月の詩だった。次は母と叔母が愛読していたハイネの詩集だった。詩の次は、何か自分でも創作したくなり、そのためにまずは真似るべき文体のようなものを発見するために、世界文学全集の文豪作品の最初の一ページだけをを読んで見ることだった。理由もなく気に入る、作品に宿る雰囲気を探した。サマセット・モームの『月と六ペンス』は読みやすく読破してしまったが、何かを感じ取ったのはヘルマン・ヘッセの『郷愁』だった。人間関係では、高知県出身の親友Mであり、いつもバイクの前輪と後輪のように、目標もなく街や山野のランドスケープを歩き回った。私は当時、これぞという道、業界を見いだせず、漠然と発展途上国に行き、国造りのような世界で生きたいと感じ外国語大学に進んだ。(数年で別の世界が見つかりフェイドアウトした)。Mには強い芸術への衝動があり、絵画と彫刻の間で焦点をしぼり始めていた。彼は彫刻を選び、見事に東京芸大に落ちた。即座に御茶美(御茶ノ水美術学院)に入り、そそくさと上京した。4回芸大に敗れ、日大芸術学部に落ちついた。私は巣鴨の大学(当時)に進み、池袋界隈に住んだ。兎にも角にも東京に踏み込んだ私たちは例によってランドスケーピング地獄に陥っていた。この時期から、わけもなく特定の町に惹かれ始めた。前世の記憶か深層意識に棲む先祖の青春の記憶なのか定かではない。キーワードは池袋→池袋モンパルナス村、御茶ノ水・神保町→カルチェ・ラタン。行ったこともないし、詳しくも知らない。ただ尋常でない郷愁を覚える。今この文章を、かつての江戸を髣髴とさせる日本橋堀留町界隈で書きつつ、異次元からの風に吹かれている。