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7月17日。そろそろ心が疲弊してきた。

親に電話した。
「気になっているかもしれないから連絡したんだけど、就職先決まっていないから。」

母の答えはこうだった。
「連絡ないからきっと決まってないんだろうなって思ってたよ。お金に困ったら相談しなさいね。」

至極合理的な答えでおどろいた。
それと同時にこのタイミングで子が親に電話をする場合、金の無心なのではないかと思われていたのかもしれないなと少しショックを受けた。

私の親は基本、私のことを理解してくれている。
私以上に私のことを理解している人物としてあげるとすれば、親を外すことはできない。

私の好きなものは何かという質問に対し同じ答えを出すことはできないが、この中で私が選んだ好きなものはどれかという問題ならきっと正解を導くことが出来ると思う。
きっと、彼らは感覚を深く理解している。

よくみる。ちゃんとみる。ということ。

そんなに頻繁に連絡は取っていないし、1年に1度会えば多いくらいの頻度でしか顔を合わせたりしない。
けれども不思議なもので、大体こうなんだろうなという推測がおおむね当たる。

それだけ私のことを幼少期からきちんと見ていたんだなとおもう。
ただ見る、面倒をみるというだけでなく、こいつは何をしそうか、どう考えるかという癖なんかも全部しっかりと見ていたんだと思う。

そういえば沢山質問されたし、昔から沢山話していたもんな。
学校から帰っては話し、食卓でも話し、車でどこか行くときも話していた。
会話が絶えない家庭だったなと改めて思う。

周りの話を聞くと、そうでもない家庭が多いことに驚く。
自分よりも親の方が話が上手だとか面白いという話もするんだけど、部屋にこもっててあまり話さなかったという人も少なくない。

各家庭色んな色があるからいいんだけどさ、私は楽しかったよ。
この家に生まれて、この家で育ってよかったなって心底思う。
私の思いやりの心は他のどこでもない家庭で育まれたものだ。
それが今、社会を生きる上で役に立っているし、人から頼られる理由にもなっている。

ありがとうダディ、ありがとうマミィ。
そんな呼びかたしたことないけど、感謝の気持ちはほんとだよ。

ただね、ダディが私が大学に入るときに言ってた、
「楽しいなと思えることが見つかればいいんじゃないかなと俺は思うよ」
という言葉、残念ながらまだ見つかってないんだよね。
あれから13年くらい経って私はもう32歳で、ダディが私を生んだ年齢になったけど、どうやらまだまだ見つかんないみたいです。

ダディの葬儀の時に、棺桶で寝てるダディに向かって、
「俺、今○○が楽しいと思ってんだよね」
って言えるようになれたらなと考えてます。
見つかるのにまだまだ時間が必要なので、まだまだしばらく長生きしてほしいもんです。

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ハヤエル
ありがとうございます。お金もらうの気持ちいいです。貯めたお金でカフェ作ります。