7月24日。死にたい気持ちなんてものはいつもそばにあるわけで。
死にたいと思い始めたのはいつからだろう。
そう思い返すと、大体たどり着くのは10歳くらいの自分だ。
自分なんか死んでしまえばいい。そう強く願ったのはその頃だったと思う。
じゃあ理由は何だったんだろう。どうして死にたいと思ったんだろう。
振り返ってみても、答えは出てこない。
大きく恥を掻き、大きな失敗をして、大きな挫折を味わう。
そんなことをした記憶はない。
小さな恥を積み重ね、小さな失敗を積みかさね、小さな挫折を繰り返した。
成功につながらず、成長にもつながらず。グラフは下降する一方。
気持ちが上がることなんてほとんどなかった。
みんながどうして楽しいのか不思議で仕方なかった。
幼いころから特にいじめられることもなく育った。
無視されるでもなく、育児放棄も虐待も受けず、愛情を受けて育った。
試験の点数も地元の良い高校に入れるくらいの出来ではあって、
もちろん戻れるなら違う選択を沢山するだろうけども、
特別何か大きな失敗をしたわけでもない。
ただ、中学に上がるころには毎日死にたい、消えたいと考えていた。
人前では見栄を張り、空元気でいようとするし、
実際体調が悪いわけではないので元気にふるまってはいた。
ただ、ある日友人が私のモノマネをしたのをきっかけに気づかされた。
「ハヤちゃん『なーんかおもしろいことないかなー』ってよく言うよね。」
そう。ことあるごとにぼんやりとしたものを求めていた。
ずーっとつまらなかった。ずっと満足できなかった。
言われてごまかして、家に帰ってから悩んだのを覚えている。
楽しかったこと、面白かったことを必死に紙に書いて並べた。
でも楽しいことも面白いことも見つからなかった。
だから次は笑ったことを探して書いた。自分が何で笑ったか書いた。
思い出せる限り書いて、どうして笑ったのかを書いていった。
自分の顔が引きつったのを覚えている。
ものすごく嫌な気持ち悪いものをみたあの感覚は忘れられない。
そこに並んだ言葉はこうだった。
「そうしたほうがいいと思ったから」
「機嫌よく、余裕があるように見られたかったから」
「お笑いの笑うタイミングだったから」
楽しくて笑ったり面白くて笑ったことなんか出てこなかった。
普通に過ごしていると思っていた日々を、実は全く楽しんでいなかった。
そんなことに気づいた。それが中学1年生の時の話。
誰にも言えなかった。中学1年生の頃に共感してくれる人なんかいなかった。教室でも部活でも普通に過ごし、家族とも仲良く過ごしているのに実は何も面白いと思っていなかったなんて言えるはずもなかった。
そのあと、「面白いってどんなことなんだろう」と考えるようになった。
まずは勉強。知らないことを知るという感覚もできるようになるという感覚もその頃には特になかった。
勉強は集中して没頭できる。それが気持ちよかった。
そしてどうやれば効率よくできるかを考えるのも楽しかった。
ここで一応確かに楽しいと思えることが1つ見つかった。
次に、友人には本当に申し訳ないのだが、友人を殴ってみた。
グーで肩をなぐったり、パーで背中をたたいたり、いわゆるスキンシップをとってみた。結果、汗ばんだ彼の体はとても気持ち悪かった。
異性ならどうだろうとクラスメートの女の子の肩を触ってみた。
すると自分が興奮するのを感じた。なぜだろうと思い、何度か繰り返した。
最初は女子だから、異性だからなのかとも思ったが違った。
いかに不自然じゃなく嫌がられない雰囲気で触るかを考え、触れるかを実践することに興奮していた。
作戦を練ること、そしてリスクを負いながらも実行すること。
そうすることで脳がハラハラするのを快感と感じるようになった。
こうして見つけた楽しいことは、
・没頭して集中すること
・どうすればできるか作戦を考えること
・リスクを負ってハラハラすること
この3つだということを理解した。
腑に落ちた私は、少しスッキリした気持ちで数日間過ごしたあと、
みんなが面白いと思ってしていることを自分が楽しめていないことに再度気づき、何とも言えない気持ちになった。
何が面白いの?と聞いて回ったりした。鬱陶しかったと思う。
でもそれが不思議で仕方なかった。
みんなで協力して何かを成し遂げることのどこに面白さがあるの?と。
それが理解できなかった私は仮面を被って生きることを覚え、初めは窮屈だったそれにだんだんとなれ、自分の顔を忘れるようになった。
自分の人生じゃ無い。
自分で選択して自分で行動して自分の理想を生きる。
それがきっとカッコいい生き方なんだと思う。
でも残念ながらそれは私向けじゃない。
人の選択に合わせ、周りがどうやったら生きやすくなるか考え、
なるべく周りに同調して自分を出さないようにする。それが私。
だって駄目なんだもん社会では。そうしないとダメ。
死んだ人間を羨ましいと言ってみたり、
災害が起きたときにあっちの地域が楽しそうと言ったり、
宗教信じてる人を見て自分も宗教作ればよかったなと言ったり、
障害のある人のハンデを無視して接したり。
そういうことは社会ではしちゃいけない。
だから被った仮面を外すことなく、当たり障りない感じで生きる。
自分のためになんて生きちゃダメなんだってわかってる。
なんかの拍子で死ぬまで生きてなきゃいけない。
暴言吐いてる爺さんや、多忙でせっかちな生活保護受給者なんかのために、
税金を払ってあげなきゃいけない。
コロナ感染症にかかっても重症になりにくいとしても、
重症になるかもしれない基礎疾患持ちの人が自粛しない分、
外出を自粛しなきゃいけない。それが社会。
わかってるよ、少しは真面目に義務教育を受けていたから。
正当化できるのは自分が苦しむ理由だけ。
だから生きるというのは苦しいことなんだと、そう思ってる。
自分の人生がある人もいる。それは素晴らしい。
やりたいことをやれ。そういわれて始める人もいる。素晴らしい。
けど私はそれができない。一生養分。それが私。
自分で決めてんの?そうだよ。私が唯一選択したこと。
自分の人生なんかない、死ぬまでただ苦しい日が続くだけ。
そういう生き方をすることを選択したんです。
「死ぬ気で何かやってみればいいじゃん、なんでもいいんだよ。」
そう言ってきた人がいた。少し考えて私はこう返した。
「これから君の家に行って、君の家族を殺してみようと思う。」と。
彼は謝りながら私をなだめた。私はもちろん許した。
なんでもなんて簡単にっていい言葉じゃないんだよ。
人の人生に口を出すのは簡単。でもみんな無責任だ。
他人事だから何とでも言える。
それが自分事になって初めて間違いに気づく。彼もそうだった。
止まれ、止まれ。
早く死んでしまいたい。
人よりきっと生きていると思う。
生きるということは死に向かうという事。
死にたいと思って進んでいるから、きっと人よりは生きている。
「生きたいと思ってみんな死ぬんだよ」という言葉を聞いて、
生きたいと願えば死ねるのかなと思い、キャンペーンのように生きたいと毎日言い続けたこともあった。けど何も変わらなかった。
生きたいななんて思わないから、私みたいなのは不死身なのかもしれない。
いつからだろう、死にたい気持ちに覆われてどうしようもなくなったとき、
私は左胸をグーで叩く癖がついた。
止まれ、止まれと願いながら胸の真ん中から少し左寄りを叩く。
何度も何度も繰り返し叩く。
もっと良く生きられないのかな、どうにかならないのかな。
死にたいって思わず生きられるようになりたいな。
何回も何回も何回も、同じことを考える。
でも結局のところは何も浮かばない。何もいい案は出てこない。
そうしてしばらく考えて、どうにも無理だとあきらめて、
そうか無理なのかずっと苦しいのかと思い知らされ、
死にたいなと思って生きるを繰り返している。
そうして今日も私は右手で胸を叩く。真ん中から少し左寄りを。
止まれ、止まれと願いながら。