俺のほうが正しい。
33年生きてきて、凝り固まってきた考えもあるし、それを受け入れつつ、そうじゃないほうがいいなと修正できるようにもなった。
なかでも人を使う、人を頼るってのはなかなか難しいなと思うことが多い。
別に自分が優秀だとか学歴マウントを取りたいだとかそういう意味ではない。
だがしかし人にやってもらったのに自分の想定よりもはるかに下のところでつまずき、そこを終点として報告してくる例があまりにも多すぎるというのが現実に起きている。
私は別に能力的に優れてはいない。
そしてそれを自覚し、自信もない。
だからこそ、こうだと思うと強く言われるとそれを受け入れてしまいがちだし、それでいいやと言うとおりにしてしまう。
そのほうがいいのかな、それが正しいのかなとその時は同意してしまう。
でも結局のところ、それでうまくいったためしはない。
え?こんなに時間かけておいてこんなもんなの?ほら、みんなも不満そうだよ、見てよ。
っていうケースが多い。
で、「ちょっと修正できます?」と頼まれ、やむなく直してGOとなるケースが大半。
自分の意見を信じよう
もうちょっと自分を信じればいいんだよね。
特に自分のことに関しては。
中学3年のとき、家から近いし勉強なんてどこでやっても一緒だし、制服の方が楽だからと工業高校を志望した。
工業高校に入ってどうする?自分で勉強なんて無理だ。自転車で20分ならすぐだからと、市内の進学校に通うことになった。
結果、起きれず遅刻し大半を親が車で送り、自由な校風に馴染めず友人もできず。明るい思い出が一つもない高校生活を送ることになった。
高校1年のとき、みんなが持ってるし姉も高校からだったからお前も携帯を持てと親に持たされそうになった。
使わないし周りと連絡取らないし、なによりおもちゃが身近にあると勉強しなくなるし、目も疲れるし眠れなくなるからいらないと断った。
でも結局持たされ、不安視していた通りになった。
5000円も毎月払うなら参考書や本を買ってほしいと言っても断られた。自分の意見に意固地になるべきだったと思う。
高校3年生のとき、大学には行きたくない。学校が楽しくないから。社会も楽しくないから、学費や生活費の分家で過ごして何するか考えたいと言った。
大学は出ておいたほうがいい。楽しみが見つかるだろうし。高卒で仕事なんかない。と言われ進学することになった。
結果、浪人した。
浪人のとき、通信でビデオ学習ができるところが近所にあった。東京の予備校の授業を見れて、何度でも見返せるところがあるからそこに行きたい。もしくは家で浪人したいと言った。
自分でなんか無理だ。予備校に行って目の前の授業を受けたほうがいいと言われ、札幌に出た。
結果起きれず遅刻し、言っても馴染めず、予備校講師が何言ってるかもわからず、チューターには予習が大事と家での自己学習をすすめられた。
7月からほとんど予備校に行かず、自宅で独学して大学に入った。
親のせいにも見える。周りのせいにも見える。
けれども私は自分の意見を信じなかったせいだと思っている。
周りは良かれと思って言っている。
けれどもそれが必ずしもいいこととは限らない。
これからはせめて、自分のことは自分で決めよう。
不快なことは拒絶し、良いと思うことは進めてしまう。
有言実行である必要はない。
不言実行、アドバイスも求めない。
それがきっと私にあった生き方なんだと思う。
※親の『おかげ』とはならない。
こういう話をするとよく、恵まれていた、とはいえ親のおかげで今のその生活があるんじゃないかという馬鹿がいる。
いらねえよ、こんな生活。
幸せじゃねえぞ俺は。
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