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六 「若き映画監督に捧ぐ」の巻

一九九三年 獨協


『拝啓、桜前線がようやく北海道に届く頃だと云うのに釧路は連日霧が立ち込めていて、未だにコタツの世話になっている。今朝の気温は四度。二日酔いと寒さでなかなか布団から出られなかったが、煙草と缶珈琲の190ミリ缶を買いに出て、先ほどようやく息を吹き返したところだ。

 さて、弘樹は元気かい。お手紙ありがとう。楽しんで読ませて貰った。君の手紙を読んでつくづく「大学なんてどこも変わらねぇなー」と感じたところだ。しかし、しかしなのである。君はちょっと誤解しているのである。うちの地域文化研究室では、僕にある言葉を言ってはいけないお約束になっているのである。君はそのお約束をいきなり破ってしまった。本当だったら昼メシにコープランチを奢らせるところだ。して、その俺に言ってはいけない言葉とは何か?それは「ねぇ昨日の〇×の番組、観た?」なのである。前の手紙に「うちには電化製品がコタツと、妹のお古のくたばる寸前でCDかけると悲痛な叫びをあげるラジカセの二つしかない」と書いたのをお忘れであろうか。書いてなかったとしたら申し訳ないが、否、書いたのである。悪いのは君である。と云うことで君には罰としてこれからクソ長くなるであろうこの手紙を三回声に出して読むことを命ずる。絶対にサボってはいけないのである。では始めようか。

「若き映画監督へ捧ぐ(なんちゃって)」九三年四月二十六日 運命の日(読めば判る)』

 月に一、二回届くJからの手紙はこの半年で十通を数えた。このJという男。現在は釧路にある北海道教育大に通う、弘樹の数少ない高校時代の友人である。「俺はアイヌ民族の研究をする。それが出来るのは日本広しといえどもこの大学しかないのだ」と大義を掲げて旅立ったはいいが、入学してひと月の内に「酒と女と泪の会」とやらの副会長に任命され(しかも、会長はJの恋敵であるO先輩らしい)自堕落な生活を送っている。ある意味健全な十八歳であるともいえるのかもしれない。

最初は便箋二枚くらいだった手紙は、双方の負けず嫌いが影響してか、次第に長くなり、今では十枚近くの往復書簡の体をなしてきている。(因みにこの書簡のやりとりは九三年の二月に始まり、九四の春にいったん中断。再開してからの最後の手紙は九五年の二月に五十枚を超える、もはや手紙というより「巻き物書簡」となって、二年にわたるJと僕とのやりとりは終えることになっている。なぜ途中で中断し、九五年に終わりを告げたのかについては、いずれ触れるとして、ここでは止めておく)


 さて、この往復書簡という代物。相手から届いた赤裸々な文面はキレイそのままに私の手元に遺っていき、時が経つ程に読み返すと趣が感じられるというものだ。しかし、ふと我に返ってみれば、一体自分は何を書いたのだろうかと、後からドキリとさせられるのも常である。連綿と書き綴られるこの青臭い手紙の片割れには、当然同じように僕からのロクでもない文面が相手の元に積もり積もって溜まっているという訳で……。恥ずかしさを通り越して恐ろしさを覚える程だ。でも、それが自分の現状なのだ。息を殺して己を誤魔化していくよりか、恥を晒してでもやりたいことをやると決めたのだから仕方ないのである。恰好つけた言い回しや、小説や詩などから引用した文、脚色して書かれた日常たち。それらはそれで、リアリティが十二分に内在しているといえるはずだ。


(これを書いている「今」は二〇一九年である訳だが、二十六年経って初めてあることに気が付いた。それは、僕のことを公式に映画監督と呼んだのはこのJであったことだ。「なんちゃって」と付け足してはあるが確かに「若き映画監督に捧ぐ」と書いてあるではないか。この手紙の四月二十六日時点の僕といえば、やっとこさっとこ映画のサークルに入部しただけの状態で、シネマカメラに触ったこともなければ、脚本の一行も書いたことすらないはずだ。初めて八ミリフィルムで撮影し、学生映画祭の予選で発表した「ビロードの時代(十七分)」が九四年の夏。その一年半近く前に書かれた手紙がコレだから、全くもって言霊の力っていうのは侮れない。書かれた文字、発せられた言葉は、物事を具現化させるのだ。僕の場合は、まさにこのJからのふざけて書かれたかもしれない手紙に登場する「監督」という文字によって勇気が奮い起こされたであろうことは疑いようがない。)


 話は戻って九三年、Jからの手紙である。面白いからその自らクソ長いと宣言した手紙の一部を紹介してみよう。彼について書くことは、どこか弘樹の学生映画人生に繋がっているはずだからだ。なかなか映画のようにドラマチックに事が進まない弘樹のストーリー。それはこうした手紙に綴られる様な、日常の与太話と共にゆっくり展開していくのであった。さて、そのJからの手紙の内容であるが「その壱~その五」、そして追伸まで合わせると、六つの章立てになって延々とそれは綴られている。


「その壱 コーギに対するコーギ」は、取らねばならないパンキョー(一般教養)について。「自分にとっては不要であり、興味も無い。それは君にとっても同じ考えだろうが……」という論旨になっている。

『パンキョーは下らなくてつまらんが、専門コーギは興味深い。俺は以下のものを取っている。

◎購読英語  教官が生粋の道産子でとっても面白い奴である。コーギの英語に関する話は三十分。残りは北海道弁講座だ。(この前教わったのは「はんかくさい」さあ意味を考えてみよう)

◎エントロピー論 「エントロピーとは何ぞや」と云うことを教授と一緒に考えていく。と云うのも教授も良く判らんそうである。従って俺もよう判らん。コーギの殆どが惑星のスライドを観ること。しかし、この教授は何か偉いそうで、二年に一度NASAに行っている。北海道出身の宇宙飛行士の毛利さんとお友達だが、コーギは全て大阪弁で行われている。

◎英語コミュニケーション カウエルという日本語を話すのが大好きな教授によるコーギ。学生には日本語を話すのを禁じていながら、自分は日本語をしゃべりまくる牧師さんである。

◎基礎ロシア語 「よっ、待ってました!」と云わんばかりのコーギ。うちの大学にはエジロサハリンスク大学への留学制度(文部省後援)が三名分あり、さ来年の枠を目指して頑張るつもりである。であるが、肝心な教授は殆どモスクワ(正確な発音では、モスクヴァ)に行っていていない。

◎教育原理アイヌ民族についてのコーギである。はじめはかなり期待していたが、教授が俺より知識が乏しいことに気づき、失望している。ブーたれたら、アイヌ関係の本を数冊貰ったので許してやることにする。

◎地域キリ演習 俺のことを可愛がってくれている先生のコーギ、ではなくてゼミである。連休明けには釧教大史上初の一年生単独発表会がある。「J、あとで酒飲ましてやっから俺の言う通りにするか?」との言葉に「うん!」と答えてしまったばかりに泣きたくなる代物を押し付けられることに。テーマは「未成年者同志におけるセックスについて」。ちなみに受講者の男女比は、六対十四である。弘樹、俺はどうしたらいい?

まあ、他にも幾つかあるのだが、目ぼしいものはこれ位である、。お互い頑張るべや!そしてフィールド特講として夏はカヌーとキャンプ。冬はクロスカントリーと極寒キャンプがある。これでたっぷり単位をもらえるんだから、どうだ羨ましいだろう。はっはっはっ。』


そして、「その弐 ユクノ研究室」では連日のコンパの模様について記され、「その参 眠り薬を下さい」の章ではお得意の失恋話が続く。


『Jです、泣きそうです。なんだか君と二月に行ったすすきの(第二グリーンビル四階の炉端「釧路」)の店の前での、あの淋しい宴を思い出している。とにかくJは本当に泣きそうなのである。前の手紙で「花ちゃん」が何たらかんたらと書いたであろうから、ここまで書いたらもう判るだろう。そうなのである。たった二週間ちょっとの間に花ちゃんにアタックしようと思ったら、独りで勝手にすっころんだのである。これからはちょこっとマジメに書くのである。であるなんて書かないのである。と思ったがやっぱり書くのである。である、のである。』(以下、大学ノート三枚にわたって女々しい文章があるが、割愛)

「その四 お願い」では塾の先生のコツを教えて欲しい旨と、電気炊飯器を買いたいから二、三万貸して欲しいと金の無心の内容。

『八月に来釧する時に返す。金が余っているなら馬に投資する一回分?を頼むよ。こちとら「哀愁の町に霧が降るのだ(椎名誠」ばりの生活をしている。始めの頃は「これでいいのだ!」なんて思っていたが、段々と飯盒では苦しくなってきた。もちろん都合がつかなかったり、思う処があるなら結構。一応、あくまでも一応、銀行口座を記しておく。』(と、北海道拓殖銀行の口座が書かれてる)

「その五 最後に」はお決まりのみゆきの詩で締めくくられている。

『五月に来釧できないとのこと。楽しみにしていただけに残念。(折角、牧場の女の子から手を加えていない本物の牛乳をもらって取っておいたのに)八月六日から九月二十八日までは夏休みなのでその間には、這ってでも来なさい。矢が降ろうと血の雨が降ろうと、とにかく来い。これは命令である。八月の北海道はいいぞー。絶対に来てね。その時には花ちゃんを紹介できるように頑張るから。返事待ってるからな。弘樹もけっぱれ!

どんな立場の人であろうと

いつかはこの世におさらばする。

確かに順序はあるけれど

ルールには必ず反則もある

街は回っていく 人一人消えた日も

何も変わる様子もなく

忙しく忙しく先へと

百年前も百年後も

私がいないことでは同じ

同じことなのに 生きていたことが

帳消しになるかと思えば淋しい

街は回っていく 人一人消えた日も

何も変わる様子もなく

忙しく忙しく先へと

かけがえのないものなどいないと

風は吹く

百億の人が忘れても 見捨てても

宇宙の掌の中 人は永久欠番

宇宙の掌の中 人は永久欠番

    (永久欠番 中島みゆき)』

以上がJからの手紙の一部始終である。重ねて書くが、相手からの内容は全て自分の手元に遺っていて、自分が書いたものは全く残らない「手紙」というものは実に凄い発明品だなとも思う。


 そして今日も弘樹は、せっせと一限の「スペイン語会話」に出て軽く一服した後、既に始まっているであろう二限の「イェルサレムの歴史(高橋教授)」の大教室の扉を開ける。驚いたことに四百人ほど入るこの教室には、学生は二人しかいなかった。(教授の書いた教科書を何冊か買えば単位が取れると聞いてとったこの講義。初回は超満員だったのだが……)しかし、そんなことなど意にも介さず、高橋教授は坦々と講義をすすめている。その状況に弘樹も一瞬ひるんだ様子を見せたが、それならばと、便箋と万年筆を取り出して、Jへの手紙の返事を書くことにした。

 書きながら弘樹は感じていた。Jへの羨望に似た気持ちと、同情とを。二月にJの親父さんが事故を起こしてからの大変さは、その時の奴の様子から痛いほど感じていたし、それによってかJが脱皮し始めている姿をみて、弘樹は何か焦りの様なものも感じ始めていたのだった。自分は「枠」から未だ出られていないのだと。秋までには自分も何とかしたいのだと。今回の返事はまた少し長くなるかもしれないなと、手紙を読み返しながら考えていた。

 高橋教授が急に興奮した様子で語り始める。弘樹も何だろうと、つられて顔をあげた。

「えーっ、第二次大戦後まもなく、死海のほとりの洞窟から発見されたのがこの「死海文書」というもので、約二千年の眠りから蘇った貴重な資料となっております。いわば、二十世紀における最大の発見、インパクトであるともいえる訳ですが、これによって今まで見えてこなかったユダヤ教の実像というものが・・・」

 全く興味もなくとった講義ではあったが、ちゃんと学んだら面白そうだなと思った。しかし自分にはそんな余裕はなく、今は映画にしがみ付いていかねばという気持ちしかない訳で、多分次からこの講義は出なくなるだろう。今は八月に釧路に行くまでにやっておかねばならないことを、とりあえず書き出してみることにしよう。目の前の便箋にずらずらと書くのだ。

「ねぇ、弘樹くんてこういうの興味あったんだ?」

「へっ?」

「でも、死海文書って凄い名前ね」

突如耳元で誰かに、囁くようにふうっと話しかけられた。見ればドイツ語学科所属で同じサークルのR女史だった。

「あぁ、よく聞いてなかったけど意外と興味あるかもな(っていつの間にこいつは来たんだろうか!?)」

などと、適当に相槌を打っていると、

「ふうん。でも、ほぼ誰もいない中で講義するなんて悪趣味ね」

 見れば最初に居たはずの、自分以外の二人の学生の姿もいなくなっていた。今この大教室には、後方上段に座る僕とR女史、そして高橋教授の三人のみである。

「だけど、流石にここまでくると先生も気の毒だと思わない?私来週からこの講義出ようかなぁ。ね、弘樹くん」

 弘樹は一瞬、R女史の方を見やるが、特に本気とも思えない彼女の軽はずみな発言は聞かなかったことにして、手紙の続きを書き始めた。

「ねぇ、八月に北海道いくの?」

「ってなんだよ、人の手紙勝手に読むなよ。お前の方が悪趣味だっつうの」

即座にJからの手紙を奪い返すと、

「私も一緒に行こうかなぁ?」

「ってどこに?」

「北海道よ決まってるでしょ。八月の北海道はいいぞって、絶対来いって」

恐るべしR女史。いつから盗み読みをしていたのだろうか。

「本気かよ?」

「本気ってなに?旅行なんだから気楽に楽しんでいかなきゃ勿体ないよ」

「うーん……、だめだ」

「えーーっなんでよ?」

「だってお前。北の国から全部観たのかよ」

「そりゃあみてないけど。分かった。見ればいいんでしょ。みるわよ~」

 何でこんな展開になったのかは分からないが、「ほんとにちゃんと初期の連ドラ時代から遡って観るっていうならいいだろう、そしたら連れて行ってやろう」ということになっていた。

 贅沢な貸し切り状態の講義もいつの間にか終わったようで、僕らは学食の二階にあるサークル席へと向かう。途中、用事を済ませてから行くとR女子を先に行かせ、僕は中央棟一階のATMに立ち寄った。ピッピッポとボタンを押して三万円を引き出す。そして「送金」のボタンをプッシュ。北海道拓殖銀行という今まで知らなかった銀行の口座へ、そのまま三万円を送った。

とりあえず、今の僕に出来ることは、これしかなかった。「北の国から」の泥の付いた一万円札には遠く及ばないが、一瞬で届く電信のお金も役に立つだろうか?少しでも立ってくれれば、僕も嬉しい。


 学食に向かう中庭を横切りながら、ふと気が付いた。R女史の無邪気な提案が、少しだけ僕の気持ちを軽くしてくれていたことを。なぜか急に決まった北海道ツアー。目指すはJの住む霧の釧路だから、ポップさに欠けるんだけど、まあ良しとしよう。

 友よ、それまでにせいぜい原始生活から抜け出して、ロシア系の美女でもゲットしておいてくれたまえ。

 アディオス!

(二〇一七年「本場のクリスマスを知ってますか?」に続く)


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