禍話リライト『狂言獣』(怪談手帳より)

この話は体験者やその知人、親族などから直接聞いたものではない。
戦前から戦後にかけて流行した、特定の地域や集落にまつわる数多の奇妙な噂の中の一つである。
個々人の報告や記録の伝聞で構成されている為か、もともとの内容は断片的で繋がりの曖昧な箇所も多いのだが、ある程度の筋が通るように補足・再構成していることを先にお断りしておく。

※※※

陰気な集落だった。
もともとそこまで豊かな地域ではなかったが、様々な要因が重なって住人全体の生活がじわじわと苦しくなりつつあった。
だいぶ離れたところに小さな寺があり、葬儀や埋葬などはそちらがやっていたが、集落の中にも神社と呼ばれる一角があった。
それはいわゆる一般的な神社ではなく、集落の片隅に古くから置かれている小さな祠と、慣例的にその祠を世話する家とをまとめて神社や神主と呼んでいたのである。
その神主はもう壮年もとうに過ぎた男だったが、子どももなく、早くに妻に先立たれ、先年には母も亡くして、一人で祠の横の家に住んでいたという。
集落全体に余裕が無くなって、それまで行っていた縁起事や祭りの全般が疎かになっていることを、老いた神主は危惧して度々警告していた。
「土地が悪くなっている。先祖代々のしきたりや縁起事を軽視している所為で、このままでは良くないことになる」というのである。
けれども住人たちはそういう警告に耳を貸す余裕をすっかり無くしていた。
そんな状況のなか、集落におかしなことが起こり始めた。

最初は声だったという。
なんの前触れもなく、どこからか

ぎょおー、ぎょおー、

と鳥の声がする。
しかも途中から、それが老婆が叫んだり喋ったりしているような人間の声に変わっていくというのだから普通ではない。
混乱する住人たちに神主は、昔から鳥や獣の声を真似て叫ぶ怪しいものの話が色々とあること、概ねそれらが不幸の前兆であることなどを告げた。
怖がる声も多かったが半信半疑な者もあり、そうこうするうちに、やがてもっと異様なものが色々と目撃され始めた。

例えば、丸めた背が庇ぐらいまである青黒い全裸の男が、片手に何かの細長い死骸を引きずっていた、とか。

例えば、牛や馬、猿などと思われる血まみれの目玉の山が家々の軒下にいつの間にか積み上げられて悪臭を放っていた、とか。

例えば、見たこともないくらい大きな鳥が集落共有の三輪車の荷台の上にとまっていた、とか。

記録されているそれら以外にも様々な異常なものが連日目撃されたという。
虎に似た獣が集落で一番大きい家の屋根へのさばっていた時は、複数人が同時にそれを目撃して、一様に「獣の顔が変だった」と証言した。「笑っていた」「いや、ぶつぶつ何かを喋っていた」などと言うものもいた。
警察への通報も当然行われていたが、警官が来たときには大抵の場合何も居なくなっていた。
そのうち住人の多くが、「自分の家に人の顔をした動物が居座っている」という同じ内容の夢を見るようになった。
麻痺したようになっていた住人たちも、とうとう
「神頼みでも仏頼みでももうなんでもいいから、とにかくなんとかするべきじゃないか」
と意見を一致させた。
そして、何人かが代表として相談の為に神社へと向かったのである。
神主の一人住まいの細長い建物の中に入ったところで、不意に奥から声が聞こえてきた。
それは、あの不気味な鳥の声だった。
奥の戸を開けると、部屋の真ん中で神主が胡坐をかいて座っている。
両目が吊り上がり、痩せた喉から、

ぎょおー、ぎょおー、

と声を発している。
唖然として眺める住人たちの前でその声はしわがれた女のものへと変わっていき、早口で何ごとか――念仏や祝詞のようにも聞こえる何かを喋り出した。
しばらく固まっていた住人たちだったが、やがてハッと気が付いて近寄ろうとすると、神主はいきなり立ち上がって、目の前の何人かを突き飛ばして外へ逃げた。
慌てて追いかけていったところ、庭へと走り出た神主はそのまま祠へと向かっていく。普段は鍵の掛けられていた戸が完全に開け放たれているのが見えて、そしてなんと、神主はそのまま祠の中へするすると入り込んでいってしまった。
ひと抱えもない、木で作られた古い祠である。大人の人間一人が入れる訳がないのだ。
しかし確かに住人たちの目の前で、神主はその中へと消えた。
呆気に取られて、何が何だかわからないまま追っていって、祠へと取りついて、中を覗き込んだ。
だが、中には誰も居なかった。代わりに、乾いた棒のようなものがいくつも転がっていた。
取り出してみた男が、呻き声をあげて地面に放り捨てた。
それは、根本から切り取られた動物の脚だった。それに、誰のかわからない長い髪の毛がそこらじゅうに絡みついていた。
それらを祠の中から掻き出した時、彼らは祠の中に『他に何も無い』ということに気が付いた。
氏神を祀っている筈の祠である。それなのに、祭壇も御神体らしい物も何も無く、完全に空っぽだったのだ。
理解が追い付かないまま彼らは神社の家屋へと引き返した。神主が書斎代わりに使っていた奥の部屋に入ると、机の上に絵が広げられてあった。
それは化け物の絵だった。ぐちゃぐちゃと墨で塗りつぶしたなかに、女のように髪の長い、人か獣かわからないものの姿があった。子どもの落書きのような稚拙な筆致だったそうだ。
その横に書かれた紙には、これは見慣れた神主の達筆で、ずらずらと文章が連ねてあった。
それは「鳥」「声」という文字の下に「〇月」「〇日」「〇の刻」「〇〇家前」というような内容が書かれたもので、どうやらあの不気味な声のあった日時や場所を記録したものではないかと推察されたが、翌日以降の日時や場所も延々と書き連ねていることに気が付くと皆押し黙ってしまった。
机の側には源平盛衰記や太平記などの古典が重ねられており、その中の癖の付いた頁を開くと、いくつかの文章に赤い文字が引かれていて、いずれも有名な鵺の怪物や人語を操る怪鳥の出てくるくだりだったという。

その後の調査で、長い間集落で祀ってきた祠にはなんの由来も無いことがわかった。
祠の中身が本当にずっと空っぽだったのかについては、
「いや、祭壇を見たことがある」
「私は御神体を見たことがある」
といった声もあり、判然としなかったらしい。
神主はそのまま行方不明になった。
神社と祠はそれから数日としないうちに落雷によって焼けてしまい、その火事で住人の死者が何人か出た。
それが直接の原因ではなかったが、もともと衰えていたこともあって、結局年が変わらないうちに集落は離散することとなったのである。
――ただ、本当は、落雷が原因ではなく放火だったとも言われている。
焼ける前の神社に、『かつて集落で目撃された様々な怪しいものと、居なくなった神主を全部混ぜたような動物』がいつの間にか入り込んでいて、住人がそれを殺そうとしたのだ、と。
それは当時飛び交った噂の一つに過ぎないが、焼け跡から『神主らしき男の骨』と、『見たこともない獣や鳥の骨』などが混ざり合って大量に出てきたのは確からしい。
骨しか出なかったことから、神主は相当前に死んで白骨化していたのではないかとも言われた。
その後も、集落の跡を通りかかった者たちから、「その辺りで見たこともない獣を見た」とか、「大勢が笑い合っている声が聞こえる」というような話が度々出たというが、これは更に真偽の曖昧な噂である。

今回紹介した一連の話を伝えたのは、当時の警察関係者と村を出た元住人だという。
彼らは気味の悪い出来事について、「神主だけではなく住人の何人かも共謀してのつくりごとだった」という風に結論づけていたらしい。
「長年、神社と呼ばれた家すら狂言だったのだから」と。
しかし、俯瞰して見るならば誰しもこの話にすわりの悪さというか不可解さを覚えるだろう。
確かに全てが狂言であれば一応の説明はつくが、困窮した集落でこんな自作自演を行う意味は何か? 
それ以外にも理屈の合わない箇所がいくつかある。結局説明や解釈は怪異に纏わりつく暗雲の全てを払ってはくれない。

消えた神主
鳥のような叫び声
村で目撃された変事の数々
残された絵
空っぽの祠
焼け跡の骨
その後に広がった噂

それぞれの不気味な出来事は満足のいく説明もされないままにそれぞれ放り出され、狂言という解釈によって仮初に繋ぎ合わされているだけだ。
むしろこの話は、手足や尾鰭がどこなのか、本体は何なのか、どこからが狂言で何が本当の話だったのか判然としないところに肝があるのかもしれない。
特に後日談にある、目撃された『異形と神主が混ざり合ったような何か』、それが『神社跡に居て焼き殺された』というくだり。
一体どんなものだったのか何も描写されてはいないが、だからこそ輪郭の不明瞭な陰気な集落の背景の前で、見知らぬ老年の男の顔と、異様な動物や鳥などの想像の姿が混ざり合って、思い返す度ごとに異なる像を結ぶような気がするのである。

ちょうど虚空の中で声をあげ、異様とされてからも正体不明のまま仮初の名を与えられた、あの怪物のように。



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本記事は、猟奇ユニットFEAR飯による青空怪談ツイキャス『禍話』の「シン・禍話 第十夜」より、余寒さんの怪談手帳「狂言獣」を抜粋し、ほぼそのまま書き起こしたものです(一部表現を変えた箇所があります)。
(34:10頃から)

https://twitcasting.tv/magabanasi/movie/682725061

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