![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/55519257/rectangle_large_type_2_c3e22523f4db287a79b689364e2a21a0.jpg?width=1200)
怖い女。
碓井広義「向田邦子の言葉 少しくらいの嘘は大目に」を読了。
向田ドラマのセリフの妙はよく語られているが、今回この本を読んで感じたのは、ドラマにしろ著書にしろ、タイトルが秀逸だなあ、ということだ。
ドラマのタイトルを、ざっと書き上げてみると、「時間ですよ」「寺内寛太郎一家」「阿修羅のごとく」「あ・うん」「だいこんの花」「七つちがい」「きんぎょの夢」「ちん・とん・しゃん」「桃から生まれた桃太郎」「双子の縁談」「おはよう」「おかめひょっとこ」「じゃがいも」「ドテカボチャ」「七色とんがらし」「毛糸の指輪」「冬の運動会」「眠り人形」「家族熱」「カンガルーの反乱」「愛という字」「家族サーカス」「蛇蝎のごとく」
エッセイや小説だと「父の詫び状」「眠る盃」「夜中の薔薇」「女の人差し指」「男どき女どき」「思い出トランプ」「隣の女」
いずれもタイトルだけでドラマが勝手に想像できる(中身と合っているかどうかは別にして)。
本も手に取ってみたくなる。
ドラマや本のタイトルは、コピーライターの仕事で言うとキャッチフレーズや見出しのようなものだろうか。それとも企画書の題だろうか?
コピーライターはキャッチフレーズ をまず最初に書く。いろいろ考えてチョイスしたら、そこから本文(ボディコピー)を書く。
見出しの場合は、中身の方向を決めるために最初に書く場合もあるが、本文を書いてから再度中身を伝えているか、読みたくなるかという視点で見直すことが多い。
脚本家や作家はどうなんだろう、先にタイトルを考えるのだろうか?
いずれにしろタイトルはすごく重要だと思う。
noteにしろfacebookにしろタイトル次第で反応にかなりの違いが出る。
広告畑が長いからタイトルもキャッチフレーズ的な思考で考えるようにはしている。全体のまとめ的な言葉になるよりも、アテンションやインタレストを大切に考えている。
よくコピーライターとライターとは、どう違うのか?と、聞かれるが、けっきょくのところは広告的な脳で考えているか、広告的な視点を持っているかでコピーライターとライターは決定的に違うのではないかしら。コピーは視点です。ライティングはストーリーです。そこに違いがあるのではないかしら。
どちらが上か下か、優劣があるのかと言うことではまったくない。
育ってきた分野が違うのと思考性が違うということだと思う。
だから、どちらに頼んだ方がいいのかと言う問いには、やりたいことをよく見つめてから選ぶべきだと答えるようにしている。より広告的な効果や広がりを期待したいならコピーライターに、読み物としてのストーリー性に重心をおきたいならライターに。そう言う選択肢ではないだろうか。
いま、マスメディアを使った広告(純広告)はどんどん減っている。しかし、SNSにもコンテンツにも広告的な働きを求める傾向が強い。
あるいは、マスメディアを使わずにキャンペーン的な効果の発出も求められる。
となると、われわれコピーライター自身もやること、やれること、役割を整理して発信しなおさないといけないと思っている。
先日、あるセミナーで 出席者の先生がおっしゃっていたが、「SNSの時代は限定市場だ」そうだ。そこに、いまの時代に、コピーライターがいかに、じぶんをカテゴライズして、個の集合体である、いまの時代というマーケットの中で生きていくかということが示唆されていたかのように感じている。
さて、本稿のタイトルをなぜ「怖い女」にしたかというと、向田邦子さんの大ファンで、こんな年上の彼女がいたらなあ、と不遜な恋心を以前から抱いていたからである。
でも、本書に収められてるセリフの数々を見て「凄いなあ」を通り越して「怖いなあ」という感情に至った。ダメだ、こりゃ。オレには無理だわである。
こんなに深層を見透かされていたら、オトコとしてはその女性の掌で一生踊らされているんだろうなあと思う。
そして、もう一つの驚き(怖さ?)。向田さんは、なんと老母と1つ違い。1歳年下だった。おかんとほぼ同じ歳のひとに、恋はできんなあダメだ、こりゃ。オレには無理だわである。
最後に本書から、ドキっとした台詞を抜き書きしておく。
読めば読むほど、見透かされているなあと、思う。怖い女だなあ。
「見栄はらないような女は女じゃないよ」
「女はあんまり謝っちゃダメよ」
「あたしね、背中で決めたのーー良かったと思ってるんですよ」
「だましてはいない。惚れただけですよ」
「人を思うと他愛なくなります」
「サヨナラというこことは、アイ、ラブ・ユーというこっちゃないか」
「へえー、じゃ、年寄りの結婚てのは、相づち結婚か」
「主人の、サンダルのかかとに汚れがつくでしょ。あれ見てたら吐き気がしてきたって。そうなったら、もう、ダメね」
「本当の気持ちはひとつっきゃないって方が、オレ、不自然だと思うけどね。ウソ付きだと思うけどね」
「私は『清貧』という言葉が嫌いです。それと『謙遜』という言葉も好きになれません。(中略)清貧は、やせがまん。謙遜は、おごりと偽善に見えてならないんです。清貧より欲ばりの方が性にあっていますし、へりくだりながら、どこかで認めてもらいたいという感じをチラホラさせて、私は人間が出来ているでしょう、というヘンに行き届いたものを匂わされると、もうそれだけで嫌気がさして、いっそ見栄も外聞もなく、お金が欲しい、地位も欲しい、私は英語ができるのよ、と正直に言う友人の方が好きでした。」(手袋を探す/夜中の薔薇)
ほら、ね。ここまであけっぴろげにおおらかに語られると怖いですよね。