
見えた。
見えるという感覚。
明日打ち合わせ予定の案件、
明後日打ち合わせ予定の案件。
今日は朝からゆるりと2つの案件のキャッチフレーズを考えていた。
どちらもすでに素案はいいろいろと見せてありこんな感じが良いなあと言う相手の感触はつかんでいる。
でも、それは最終形ではないし、ワシにとっては大きな方向性の中の一つの方向。
よくこの段階でディティールばかりに目が行くひとがいるが、それはやりにくい。あくまでも太い丸太であったり、ゴツゴツした原石を放り出しているだけで、そこから枝を払ったり、石を磨いていく。そこでもまたたくさんの方向が出てくる。最初よりはディティールも入ってくる。
それらを書いては消し書いてはまた書き替えている間に当初とは言いたいことは同じでもまったく違う表情の言葉が出てくる。
そこまで到達したら、「あっ、見えた」と、なる。自分が考えてきた思考の道筋は説明のためのロジックとなる。
相手方に理路を正して説明できるし、理解も納得もしてもらえる。もしも異論を言われたり疑問を呈されてもちゃんと答えることができる。
アイデアとロジックは対になっている。
その状況が見えるまで止めない。
それがセルフジャッジメントにおける基本ではないかと思う。
連休なのに少し硬いお話しでした。
