ネットワークの生前贈与。
ワシはなんで、こんなことをやっているんだろう。
金曜日は「ミニ広告井戸端会議」。
農林会館にオフィスを構えていたころにはじめたので、スタートはもう10年近く前かもしれない。最初は農林会館のあの空間を味わってもらいながら、ビール片手にワイワイできたら良いなあと思っていたように思う。
そのうち、宣伝会議のコピーライター養成講座の教え子たちから同様の機会をつくってほしいと請われ、同じようにはじめたけどこちらはどうしてもなにかを教える、質問に答えるという形式に傾いていった。誰かが進行を仕切るというわけでもなかったせいか続けるのはシンドカッタ。ワシに過度に期待や責任を生じさせるならやり方が違うかったように思う。そのうちコロナになり、どちらも休止を余儀なくされた。
コロナで使わなくなった農林会館から、仕事の活動の場をナレッジサロンへ移した。コロナが終わり、井戸端会議再開の声を聞くようになり、ならばと再開することにした。
農林会館でやっていたころは参加費をいただき飲み物を用意したりしていた。面倒だし、個人的にはこういう場ではアルコール拔きの方が良い。アルコールがはいる方が良いというひともいるだろうが、ワシは嫌や(笑)。
ワシは場をシェアするという考え方だけに徹することにした。できるだけ面倒を被らないことで長くやろうと決心した。やることは、場所や会話のとっかかりをシェアするだけ。最近やっているが当初は懇親会も予約が面倒なので避けていた。
この、シェアするという考え方が大事なのではないかしら。シェアできる場所がある、シェアできる経験や知見がある。シェアというキーワードはいまの時代、大切なことだと思う。そして、シェアする知見や経験はなにもワシだけではなく参加者全員にもあるはず。だから、みんながフラットにシェアできるよう、より井戸端会議的になることをいまはめざしている。ワシはとっかかりだけ。会話のネタや方向与えすぎないこと。
最近はずいぶん井戸端会議らしくなってきた。とっかかりのネタを提供して、あとはそこから外れようが、より深まろうがどちらでも良いと思っている。
とにかく、ワシのセミナーみたいにならないことだけを心掛けている。参加者も話せるということで、参加者にもワシにも満足度の高い集まりになってきたのではないかしら。ウィンウィンというヤツだ。傾向として女性の参加者が多い方が主題から外れていって長屋の井戸端会議みたいになりやすい。そのアナーキーな感じもええけど、すこしはコンセプチャルなほうが満足感が高いと思う。なので、そこはコントロールしているというか、ファシリティションしている。(つもり)
金曜日の参加者はリアル7名、東京からオンライン参加1名。みんなが満遍なく話せる適切な人数だった。そして、女性は2名。I崎さんのプロパガンダ的にはなりかけたけど、長屋の井戸端会議ほどのとっ散らかった会話にはならなかった(笑)。
製造業2名、ラジオ畑、CM監督、建築士、コピーライター2名、大手広告代理店OB、紙芝居屋さんという構成だった。
構成はけっこう重要でクリエイターばかりだと面白くない。マウントしてくるひとがいても面白くない。
業種やキャリア、人間味がバラエティーに飛んでいるほど面白い。違った業種同士が同じひとつの話題をアナーキーに話し合うのが楽しいんだと思う。
“ ネットワークの生前贈与”
何のためにやっているのか?いまはこれが答えというかキーワードだと感じている。
それだけ長くワシも仕事を続けてきたということか。長く続けてこられたということは、なにかを還元する責任もあるのではないかしら。贈与税がかからない範囲でこれからも続けていきたいと思う。