ロンドンのように日本も町中にたくさんゴミ箱を置いてほしいワケ
常々思ってたことがあります。
日本は道端にゴミ箱が少なすぎる。
無駄に分別が多すぎる。
なんか思うんです。
日本ってますます住みにくくなってきてる気がします。
ロンドンを旅していた時、にいたるところにゴミ箱がありました。
駅にもあるし、歩道にもあるし、公園にもあるし。
とにかく、これでもかってぐらい色んな所にありました。
しかも、ほとんど分別する必要がない。
僕が宿を取ったエアビーでは、生ごみと、それ以外しかわかれていませんでした。その話を聞いたとき、「え?そんなに適当になってんの?」と、僕は目が点になりましたね。
燃えるゴミ、燃えないゴミとかそういう概念がほとんどなかったのです。
だからペットボトルも普通にゴミ箱にぶち込みました。日本では考えられない光景です。なんならちょっと罪悪感さえ感じました笑
しかし、これが本当に楽ちんでした。
ロンドンのゴミ処理について気になったのでちょっと調べてみました。
実際に調べてみると、大きく分けて3つ(+1)しか分類がないようです。
・生ごみ
・資源ごみ
・一般ごみ
(・草木のごみ)
生ごみはいいとして。
資源ごみは、スプレー缶、ビン・カン、紙、ペットボトルなど。
一般ごみはアルミやラップの箱、古着や発泡スチロール、おむつ、電球などなど。
ものすごくざっくり分かれていますね。
もちろんこれは地域とかにもよるそうなのですが、日本のように細かく分別しているのと比べると、圧倒的に楽ちんです。
確かに、日本の道端はきれいです。
ロンドンは、ハイブランドのショップが立ち並んでいるエリアの真横なのにも関わらず、汚かった。
でもそれは、分別の問題ではなく、道端にゴミを捨てる人がいるか問題ですからね。
それと分別の煩雑さは別問題。
ここまで煩雑にしている理由は、どうやら再生利用な資源にするためという名目があるようです。
でもそれは逆に言えば、国民に作業負担を強いることで、国が楽になろうとしていることの裏返しとも言えます。
分別は行政サービスの一環でやるべきで、国民に無駄な負担を与えるものではない。
と、僕は思うのです。
国民がやってくれないとできない!行政が破綻するぞ!という寝ぼけた事を言うかもしれませんが、それは論点がおかしい。
国民を働かせないと回らない前提のシステム自体が狂ってるのです。
そもそも、ガラガラ~とゴミを機械入れたら、勝手に分別してくれる技術って作れると思うんですよね。特に日本の技術力なら。
ちなみにロンドンでゴミ箱が町中に設置された経緯ですが。
ロンドンも昔はゴミ箱が無かったらしいですね。ところが中国人観光客がゴミを捨てまくって問題が起きたので、設置した経緯もあるそうです。
何事にも歴史あり…ですね。
幸か不幸か便利になって助かります。