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【短編】 三日月とうたうたい
会社勤めになると、私の周りには仕方がないことばかりになった。
あんまりやる気になれない仕事も、もはや形だけになった趣味のカフェ巡りも、学生の頃までの『私』として過ごす時間がなくなってしまった。
チームはみんな家族、って雰囲気の会社の飲み会。
あんまりイマドキじゃないよ、と思いながらも、自由参加(強制)だったから行かざるを得ない。
みんなは、何かを諦めたみたいに仲良くしてる。
まるで「昨日は楽しかったね~」って言うための、儀式みたいな飲み会だった。
私もパァ~( ᐛ)ってかおしながら、お酒をたんまり飲んだ。
嫌だなぁ、と思いながら、大きな何かに流されるようにその場をやり過ごす。
でも、それはウォータースライダーみたいな楽しいものじゃなくて、御手洗みたいなもっと必然的なものだった。
まるで汚れたものを奥へ奥へと押し込むように、私は私のこころをどこかへ流さないといけなかった。
…
仕事帰りの商店街がちょっとだけ、好きだ。
シャッターだらけのお店の合間を歩いていると、もう私以外の皆、寝てしまったんじゃないかと思えてくる。
音を立てないように、勝手を知った商店街をひそひそ歩いていると、自分が少し優しくなれた気がして、心地いい。
その商店街を進んでいくと、噴水のある広場があって、私はときどきそこでひと休みしたり、ベンチに腰掛けて何気なく買った小説を読んだりするのだった。
そのどうしようもない飲み会終わりの日、その広場には先客がいた。
学校とかでよくある譜面台を置いて、ギターを肩から下げたお姉さん。
こういうのってほんとにいるんだ、って感じの昔ながらの路上ミュージシャンだったけど、見た目は私と同い年くらいの若々しい女の子だったから少し気になった。
知らない歌だったけれど、透き通った声をしていて、でもはっきりと声を出しているのが伝わるような、生きてるって印象の歌声。
その歌が終わって、私が小さく拍手をすると、彼女はお辞儀をした。
「ありがとうございます、ちゃんと聞いてくれたの、お姉さんが今日は初めてです。」
「全然。凄く上手だと思います。難しいことはわかんないけど、生きてる~!って感じの歌声で。」
「ふふっ、ありがとうございます。」
一瞬の間があって、私たちは顔を合わせて微笑み合う。
私はすごく言葉足らずだったと思うけれど、なんとなく私たちは分かり合えたような気がした。
今が夜なのがもったいなく思えてくる。多くの人が通りかかる朝だったなら、もっと沢山の人にこの人の声が届くのに。
「あの、よかったらもう一曲聞きませんか。」
と、にこやかにお姉さんが聞いてくれたから、
「ぜひ、聞かせてください。何曲でも、何時間でも。」
私もそう答えた。
「はは、じゃあ、一曲だけ。オリジナルの曲なんです、私の。あんまり上手じゃないけど、それでも今、ほんとに伝えたいことなんです。」
しばらくして、お姉さんがギターをチューニングしながら、あ、あ、あ、と声の調子を整えていく。
「うん、じゃあ、いきます。」
『いつか。』
そうして、私たちのうたが始まった。
~
例えば、涙もろくなったのは
大切なものが増えたから
重ねた日々がしわになって
いつかおばあちゃんになる頃には
それもぜんぶ愛おしいなんて
微笑めるようになるのかな
あなたが見る景色のむこうには
私の知らないあなたの記憶がある
私とあなたは他人かもしれないけど
だから優しくなれるんじゃないかと思うんだ
例えば、昨日
あなたと手を繋いで
息苦しい毎日から逃げるのも
少しだけならいいかなんて
みっともなく許し合っていたかった
あるいは、今日
思い出を抱きしめた
いつか元気でねってお別れをするために
遠くなる日々、ありふれた涙に
いつか、私が微笑めるよう
ありのまま今、歌ってたいんだ
らら、らら。
らるる、らら。
らら、らる
らるり、らら。
~
私は気づけば、彼女とそのメロディーを一緒に口ずさんでいた。
皆が寝静まったかもしれない商店街の隅で、私たちはそのリズムに身を任せながら小躍りしていた。
その日は三日月が綺麗な弧の形をしていて、とおくでお星さまがキラキラしている、そんな夜のもとで、私たちはしばらく、歌い続けていた。