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福岡県知事選挙に立候補した病理学者は、「ウイルヒョウ」になれなかった

ドイツの病理学者にウイルヒョウという偉大な人物がおります。
顕微鏡を武器に「細胞病理学」を提唱しました。

ざっくり言えば、「病気は生命の最小単位の細胞に異変が起こることだ」と提唱しました。
その一つの例として、白血球ががん化した病態である「白血病」を発見しました。

それまでは病気は体液のバランスの変化によって起こるという説が有力でしたが、ウイルヒョウはその説に終止符を打ちました。

以後、細胞の形態の変化を観察する病理所見で診断が行われ、さまざまな治療法が開発されるようになりました。
局所の病変部位を外科的に除去することが一般的に行われるようになり、外科学が進展します。
また、細胞に親和性のある薬物が特定され、薬物治療も発展していきました。

ウイルヒョウにより近代医学が始まりました。
手術中に病変の一部の組織を採取して病理検査に回し、その結果「がんです」という病理医の報告を聞いて、手術を続行します。

ウイルヒョウは、病理医として有名ですが、公衆衛生の実践者、人類学者、政治家としても活躍しています。
軍医学校で医学を学んだので、予防医学や公衆衛生の重要性も理解していました。
貧困による栄養不足、劣悪な住居環境、長時間労働などの社会的要因が病気を作ると言っています。

現在でいう健康の社会的決定要因(SDH:Social Determinants of Health)の重要性を指摘しています。
細胞レベルのミクロの病変から、社会的な要因というマクロの問題までをカバーしていた超人です。

医学生の頃に、福岡県知事選挙がありました。
当時の知事は、五選をめざす亀井光知事でした。
新築した知事公舎が豪華で、10cmの深さのある絨毯が敷かれているという亀井御殿の噂がながれ、社会的に批判を受けていました。

そこに、九大法学部の奥田八二教授が、革新系の対抗馬として立候補を表明したのです。
九大総長は病理学者の田中健蔵さんで、辞表を持ってきた奥田教授に向かって「政治よりも学問をした方がいい」と説得しました.

奥田教授は辞表撤回せずに、選挙戦に出ました。
その結果、大方の予想を覆して革新系の奥田知事が誕生したのです。

それから四年後、まきかえしを狙う保守系の知事候補となったのが、田中総長でした。
田中総長もまた、学問をやめて政治の世界を選んだのです。

福岡県知事選は、因縁の「九大決戦」と言われて全国的にも注目され、激しい選挙戦が展開されました。

アパートの郵便受けには、田中健蔵候補の「ケンゾーやるぞー!」というビラが入っていました。
中央とのパイプを売りにしており、九大総長がなんで中央とパイプがあるのかは疑問でした。

結果は、現職の奥田知事が勝ちました。
臨床実習で九州労災病院に行く途中の道路に、田中候補の選挙ポスターが落ちていて、雨に濡れ、車にひかれていました。

田中総長は学問に徹するべきだったという話が、ちまたに流れました。
なぜ政治の世界を目指したのか?

私の推理は「ウイルヒョウになりたかったのではないか」というものでした。

ウイルヒョウは、ドイツ帝国議会の国会議員となり、鉄血宰相のビスマルクと対峙しています。
「政治はスケールを大きくした医学」がウイルヒョウの信念で、病気を予防するには社会をよくすることが大事だと、言っておりました。

病理学者田中健蔵さんは、ウイルヒョウを目標にしていたのではないか?
私は、いつか田中健蔵さんに取材して「ウイルヒョウになれなかった男」という小説を書こうと決心しました。

その頃、ルポライターの沢木耕太郎さんの「クレイになれなかった男」を読んでおり、かなりその影響を受けておりました。
カシアス・内藤というボクサーの短編です。
カシアス・内藤は、フォークグループのアリスの「チャンピオン」で歌われています。

ところが、すっかりと忘れておりました!
それから30年後、福岡市で開催された学会に出席したときに、田中健蔵さんが亡くなったという話を耳にしました。

「しまった!」と思いましたが、後の祭りです。
病理学者田中健蔵さんのウィルヒョウ仮説は永遠の謎となりました。

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